シーン7/顔合わせと手合わせ
教会の住居部分はそれほど手を入れる必要は無かった。水周りを直してもらい、掃除をして電球やカーテンをつけるとだいぶ人の住まいらしくなった。住居部分は3フロアあって、それぞれにひとつずつ部屋がある。多いときはひと部屋に二人ずつ聖職者が住んでいたらしい。各室に簡易なシャワーとキッチンがある。
部屋に設置されていた家具はモノが良いのかほとんど痛みも無い。琳さんはここに引越してくる気になったようだ。
「ねぇねぇ、みんなも一緒に住まない?」
いやです。
「芝居終わるまで、合宿しようよ。楽しそうじゃない?」
楽しくありません。劇場としては良くても、廃墟で寝るなんて絶対ヤダ。考えてもみてよ、深夜の廃教会なんてホラー映画以外のなんだと思う?
だが陽太が乗ってしまった。あいつホントに何言われても『うん』て言うんだな。そのうちアラスカで暮らし出すんじゃないか。
「俺は家で弟子の稽古つけなきゃなんないからなぁ。もうちょっと芝居の間際になったら泊り込めるかもしれないけど」
月輝雨も残念そうに言う。残念なのか。廃墟なんだぞ。
とりあえず、俺達は初回の顔合わせを行うことにした。アリスが待ちくたびれている。
「では、顔合わせを始めます。今回のコンセプトは、この劇場を面白く使った芝居!公演時期は7月あたまを予定しています。夏休みに入る直前です。休みに入ると帰省しちゃう学生もいるんで」
「どういう作品になるんですか?」
アリスがものすごく前向きな感じで言った。ほんとに芝居、好きなんだな。そして芝居の話なら結構ちゃんと喋れるんだよな。
「アイデア募集中です。ついでにメンバーもまだ募集中」
台本演出は俺、音響は親方と陽太、照明については親方が探してくれる。今回は劇場既設の照明機材が無いから、プロを頼むことになったのだ。
「ここはなかなか厳しいな。袖も無いし、機材も全部持ち込みになるし」
親方は腕組みをしながら教会のなかを見回した。
「照明と音響は入口近くにブースを設置するしか無かろう。照明の吊りこみはどうする?」
「客席上にはバトンを設置して貰えそうです」
「そうか、それはよかった」
そういうと親方は天井を見上げた。三階ぶん吹き抜けで作られた礼拝堂は、天井がものすごく高い。天井のバトンだけでは照明はずいぶん制限されるだろう。
「…そうか」
親方は何かに気づいたような表情をした。
「なぁ、客席ふくめた劇場全部に足場を作ったらどうだ?」
コヤ全部にイントレ?
イントレというのは鉄パイプで組んだ照明や音響用の足場のことだ。よく野外コンサートの舞台横に設置してある巨大なジャングルジムみたいなやつ。設備が整った劇場では必要ないが、今回みたいに元々劇場じゃない建物でやる時は必須だ。
「このコヤ全体をジャングルジムにして、客席もジャングルジムの中に作る。そうすれば客席後ろの上方からスポットライトを当てられるぞ。コヤが工事現場みたいになってしまうがな」
工事現場?
なにかが、あたまの中で光った。
工事。
ジャングルジムみたいな、礼拝堂いっぱいの足場。
教会の修復工事だ。
目的は、
教会の再生。
再生…。
「再生だ!」
俺は思わず大声で叫んだ。皆がいっせいに俺の顔を見る。
「ジャングルジムのなかの芝居、テーマは再生だ。廃墟だった教会が修復され劇場に再生する。ぐーたらだった演劇部が再生する。この芝居は、再生をテーマに作ろう!」
皆から、声が上がった。
「再生、いいじゃん!」
「いいテーマだ」
「テンション上がる」
「抜け殻琳さんも再生できるかもな!」
月輝雨、カド立てるのやめてくれる?
さて、テーマは再生に決まった。次はストーリー、登場人物を考えよう。オリジナルだから、脚本は役者ありきのアテ書きになる。
役者は琳さん、月輝雨、アリス。さすがに三人は少ない。俺が書きたいのは『再生』の物語だ。もうちょっとスケールが大きい感じにしたい。
顔合わせが終わってアリスと親方が帰ってからも、俺は月輝雨たちとあれこれ話を続けた。演劇部の他のメンバーは自分達で劇団を立ち上げている。当日の会場受付くらいならともかく、出演してもらうのは難しい。かと言って芝居を全くやったことのないヤツってのもなぁ。もしそういうヤツを使うなら、相当キャラが立ってないと。
ようやく帰ろうと言ったときは22時を回っていた。外はもうすっかり深閑としている。中華街は飲み屋より食事をする店が多いし、それでなくてもこのへんは人が少なくて寂しい。
教会を出てすぐに学校に挟まれた通りに出る。左が中学、右が高校だ。平日の昼間は学生で大賑わいだが、夜は怖いほど静かだ。
「章生」
月輝雨が抑えた声で俺を呼んだ。
「なに?」
「カインがいる」
おもわず立ち止まった。
カインは中学校のフェンスに寄りかかってこっちを見ている。周囲は人通りもない。なんかすっごくヤな雰囲気。月輝雨はポケットに手を突っ込むと、カインに近づいていった。なんで近づくんだよ~。
「よう、カイン」
カインは無言のまま、月輝雨の顔を見ている。
「どうしたよ?姉ちゃん待ってんのか?」
カインは答えず、二人はしばし無言で睨みあう。カインが口を開いた。
「ゲームに参加しろよ」
「は?」
「お前らくらいしか相手になりそうなの、いねぇ」
カインは十代だろうか。俺達より少し幼い感じがする。だからって可愛げがあるわけじゃない。むしろ全く可愛くない。体格は陽太より良いし身長もある。アメフトでもやってそうな感じだ。
そんなカインから見て、月輝雨は相手になりそうなんだろうか?みため華奢だしチビだし(本人には言わないけど)喧嘩が強そうには見えない。それとも蛇の道は蛇で、喧嘩慣れしている人たちには何か判り合えるものがあるのかな。俺は判らないまま人生を送りたいな~。
「月輝雨~、帰ろうよ~」
俺は小声でそう言ってみた。ちなみに俺はカインと月輝雨から三歩下がったところにいる。
「章生、帰ってていいよ」
さすがにそれは出来ないよ。
「じゃ、琳さんちに戻んなよ。陽太か琳さん呼んできて」
それなら了解だ。俺はきびすを返して走り出した。
「さて、さっきの話だけどよ。ゲームには参加しねぇ。俺達、芝居やんなきゃならないから」
「マジで?すげぇやりたそうに見えるけど?」
「うん、今のは建前。本音はちょっと違う」
「どうすりゃ、参加する?」
「俺の一存じゃ決められねぇし。いま、ほかのメンバー来るから待ってくれよ」
「お前、ポケットに何入れてんだ?」
「フラッシュライト」
「はー。目潰しかよ」
「そ、目潰し」
「そういう小道具使うんだ。超卑怯じゃね?」
「これはハンデだよ、デカイヤツがうだうだ抜かすんじゃねぇ」
「今回のゲームではそういうの、無し。怪我させるつもりもねぇし」
「そうなんだ」
「あくまで採用試験のデモンストレーションだからな」
「じゃ、ガードでもつけて喧嘩すんのか」
「俺は必要ないよ。お前がつけろ」
「あ?」
「その体じゃ、フルプロテクトが必要だ。踏み潰しちまう」
「・・・上等。後悔させてやる。来いや!」
俺は陽太と琳さんをともない、西門に向かった。より暴力的な展開になりそうな気もするが他に方法が無い。まったくもう。琳さんのみならず朱家にも振り回される。琳さんちは一族あげてトラブルメーカーなのか?
カインと月輝雨はさっきの場所に・・・いない。
「章生、どこだ?」
「さっきはあそこにいたんですよ」
「月輝雨、どこだ~」
ここは見通しもいいし、見失うような場所じゃない。俺達は走り回った。
「陽太!」
琳さんが切迫した声で陽太を呼んだ。中学校の校庭を指差している。まさか。
「月輝雨!」
その、まさかだった。月輝雨のやつ、カインと中学校の校庭でやりあってた。ほんとにもう、馬鹿なんじゃないの?いや断定でいい。馬鹿!
陽太が校門を飛び越えた。琳さんが続く。もうもうもう、やめなって。ケーサツ呼ばれても知らないよ。
カインと月輝雨は、いったんほぐれて睨みあいになっている。
「カイン、月輝雨、なんのつもりだよ?俺らゲームには参加してないぜ」
琳さんがカインと月輝雨に呼びかけた。
「お前らがゲームに参加したくなるように、ちょっと手合わせしようって」
「そうなの?月輝雨」
「喧嘩売られるとやっぱり素通りできないって言うか」
しろよ、素通り!なんでお前はそうやってすぐキレるんだ。女のコの弟子に言いつけるぞ。
「困ったねぇ。顔に怪我でもしたらお弟子さんたち驚くよ」
「う」
「なんだ、お弟子さんたちって」
「そいつ、日本舞踊の師範なんだよ」
「マジで?」
「マジで」
「どおりでカマっぽいと思った」
あ。禁句言っちゃった。
「なめんなガキぃ!」
月輝雨が体ごとカインの足元に飛び込んだ。速い。不意を衝かれたカインの反応が遅れた。月輝雨の靴底がカインの弁慶の泣き所を直撃。うわっ痛そう。
「ってぇ!」
月輝雨はそのまま地面を転がり、距離をとって立ち上がった。にやっと笑う。
「カイン、ガードつけろよ」
カインはすぐ立ち直った。相当痛かったはずだが、痛みに強いタイプみたいだ。背の高さと長いリーチを生かして月輝雨を抑えにかかる。
「ねぇねぇ、よしなって」
琳さんが声をかけるが、エキサイトしだした二人は聞く耳持たない。陽太は見物することにしたようだ。サッカー好きが試合を見るように二人を見ている。
「楽しそう」
陽太。そんなに格闘技が好きなら、もいっかい柔道やりなさい。俺達はストリートファイトなんかやってる年じゃないんだよ。
校舎から警備員さんが走ってくるのが見えた。
「ちょっと!警備員さんきたよ!」
「やべっ!」
「散れ!」
散れ、じゃないよ、散れ、じゃ。
俺たちは脱兎のごとく走り出した。妙にテンションが上がっている。顔が笑ってしまう。
琳さんも陽太も楽しそうに笑いながら校門を飛び越えて走ってく。月輝雨とカインも仲良く走っている。ちょっとあんたたち、速いよ。体力勝負だと敵わないなぁ。俺も走り込んだ方がいいかしら。これから芝居で体力使うし。
四月も終わり近く、体の内側がムズムズするような春の夜のにおいがする。俺達は全力疾走でスタジアムまで突っ走る。走る、走る、春の夜を走る。ようやくスタジアム、後ろを振り返った。
だれも居ない。振り切ったみたいだ。よかったぁ。琳さんが息を切らしながら、どういうわけか大笑いしている。
「ああ、こういうの、ひさしぶり!」
そりゃそうだよ、こんなのしょっちゅうやってどうすんの。俺ら大人なんだからね。琳さんは笑って、息を切らせて、ちゃんと呼吸できなくなって、ひーひー言ってる。
「楽しいね~」
陽太も笑っている。さすが、既に呼吸はほとんど平常状態。でも興奮の余韻が残っている。陽太のからだが熱を発しているのがわかる。
「うん、楽しかったなぁ!ほんと、ひさしぶりに全力疾走したし」
月輝雨は地べたに座り込んだ。おいおい、そんなとこに座っちゃダメだって。
月輝雨。陽太。琳さん。三人は顔を見合わせては笑っている。そんな顔、すごくひさしぶりに見たような気がする。
「で、どうすんだ。ゲームには参加すんのかよ」
カインは皆を見回すと、そう言った。
「章生、どうする?」
琳さんはまだ笑いの残った表情でそう言う。笑ってる場合ですか。
俺がもんのすごく渋い顔をしてみせると、琳さんは頷いた。そうそう、さっきも言ったよね、芝居に集中しようって。ゲームは当然不参加、
「わかった。交換条件にしよう」
は?
「カインとグエンが俺達の芝居に参加する。俺達はカインのデモに参加する。これでどう?」
はあぁぁぁぁぁ?!
「カインとグエンならさ、すっごくキャラ立ってるじゃない?」
いやキャラは立ってますけど!
「なんだ、芝居って?」
「芝居って、ほら、あれだよ。舞台のうえで役者がセリフ言うやつ」
陽太、大雑把すぎ。仕事のときはあんなにちゃんとしてんのにどういうこと。
「ミュージカル?」
なんでだよ。歌うとか踊るとか一言でも言ったか?カイン、お前の理解力おかしい。
「歌は歌わないと思うけど…」
陽太、自信無さそうに俺を見る。歌わないし踊りません。お前、自分がやらないと思って話を聞いてなかったな。方針変更、お前も舞台に出してやる。
「俺はミュージカルは嫌だぜ。洋物の踊りは苦手」
月輝雨お前もか!誰がミュージカルなんて言った!
「章生はそういうチャレンジをしたかったのかぁ」
琳さんそこで嫌がらせ始めないで!俺追い込んでどうすんの!
「グエン姉ちゃん、歌は下手だと思うなぁ」
だから!ミュージカルじゃないんだってば!!
・・・というわけで。
ものすごく不本意なことだが、俺たちはゲームに参加することになった。上位に入っても俺は絶対辞退するからね、朱家への就職。