シーン6/ハオランと不穏なかんじのゲーム
目の前に琳さんがふたりいる。正確には琳さんと、親戚のハオランさんがいる。
「しかしビックリするほど似てますね」
「うん、よく言われる」
琳さんはにっこりしてそう言った。ハオランさんは無表情で無言だ。顔はそっくりだが印象はだいぶ違う。ハオランさんは二十代後半だろうか。年上。背も高い。体格も良い。濃紺のスーツ、高そうな靴、いろいろ取っつき難い。
「ハオランさん、天井にバトンを設置したいんですが」
「バトン?」
「照明を吊る鉄パイプみたいなやつです。少し大きめの劇場だと、バトンは可動式で上げたり下げたりすることが出来ます」
「ああ、なるほど。照明を吊りこむなら、かなりのスペースや強度が必要になるな」
「そうですね、天井の強度が一番心配です。可動にするにせよ固定にするにせよ、照明機材はそれなりの重量ですから」
今日は教会を劇場に改築するための打ち合わせだ。このへんの話は陽太がメインになる。ふだんはニコニコして「うん」か「うんうん」しか言わない陽太だが、こういうときは別人のように大人っぽい。俺が取っつき難いと思うハオランさんと対等に話もできる。さすがプロの現場で仕事をしてるだけのことはある。俺も社会に出たらあんなふうに出来るんだろうか。
「可動にするかは予算との兼ね合いでかまいません。小さな劇場では固定のところが多いです。この劇場は天井が高いから可動の方が有難いけど、固定なら固定でやりようがあります」
「固定にすると君らが苦労するんだろう?」
「何とかします」
陽太がそう言うと、コイツなら何とかしてくれる、という気がする。
「琳さん、遺産として入った金、ぜんぶこれに使う気なのかよ?」
月輝雨が小声で俺に聞く。よくわかんないけど、確かにこれ、相当な金額を使うことになるよな。大丈夫なんだろうか。就職する気もないのに。
昼になり、俺達は朱家の経営する中華料理店に飯を食いに出掛けた。綺麗でお洒落で美味しそうな店だ。朱家は不動産だけじゃなくていろいろ多角経営してるらしい。琳さん、ハオランさんとこで働けばいいのに。
ハオランさんがいったん仕事に戻るというので俺と琳さんと月輝雨と陽太の四人でテーブルを囲んだ。
「いいね、あのコヤ」
陽太がにこにこしながら言った。
「雰囲気がある。古い講堂に似ている。足場組みたくなるね」
「陽太もそう思う?」
琳さんがにっこりした。
「なぁ、琳さん。改修とか芝居とか金ずいぶん掛かるけど、どうするんだ?」
「月輝雨は現実的だねぇ。さすが自営業。お金は俺が見るから心配しないで。でもチケットは売ってよね?」
「チケットは売るよ、もちろん。でもそれじゃ足りねぇだろ?」
「オヤジが残した金、使っちゃおうと思ってさ」
やっぱり。でもどうなんだそれ。就職も決まってないのに、手元にお金はあったほうがいいんじゃないの?こういうこと考えるのは俺が小心者だからなのかな。
「使っちゃおうって、幾ら使う気だよ。あんたが自腹切りまくるってのは、あんま気分が良くねぇんだけど」
よかった。月輝雨も似たようなこと考えてそうだ。
「うん、大丈夫。これは投資なんだよ。ハオランがウェディングビジネスやりたがってたしさ。あの教会、シアタースタイルウェディングとかイベントとかに使って貰おうと思ってるの」
出た、琳さんの計算高さ。でもけっこうズレてたりするからなぁ。ちょっと心配だ。
「馬鹿じゃねぇかアンタ。あんな古臭い教会でウェディングイベント成立するかよ。そんならもっと今風に綺麗にしなくちゃなんなくて、ますます金かかるじゃねぇか」
「えー。そうかなぁ」
月輝雨に一理あるような気がする。それにいろいろ気になるぞ、たとえば。
「あのう、そういう使い方するなら住めませんよね?」
「ああ…住めないかもね」
「琳さん、住むつもりだったんじゃないの?」
「当面は住むよ。あの教会、落ち着くし。ハオランが使ってくれるとなったら考える」
「どこまで適当なんだよ」
月輝雨は毒づいたが、あまり強い調子ではなかった。俺にもその気分は理解できる。俺達は、懐かしい古い講堂に似たあの教会が好きになってきていた。
昼飯を食い終わり、俺達は通りに出た。中華街は古い街だ。おなじヨコハマでもみなといみらい地区のような新しい繁華街とはずいぶん違う。古い建物、かすれた横文字や中国語表記はいかにもヨコハマという雰囲気だ。だが妙に即物的でけばけばしい、いまどきのお洒落な街では絶対見ないような大看板も多い。
人が多く雑多でエネルギーが渦巻いているようでもあり、同時に過去の記憶がつくりだした蜃気楼のような頼りなさも感じる。
ふいに琳さんの足が止まった。
目の前に、屈強な若い男が立っている。そして植物みたいに細い綺麗な女の子。濃い色のサングラスをかけている。立ちふさがるという格好で、二人は琳さんの顔を見つめている。
琳さんは感じのよい微笑を浮かべて首をかしげた。
「どこかで会ったっけ?」
若い男は無反応のまま琳さんを凝視している。あきらかに敵意もしくはそれに似たものを感じる。陽太と月輝雨が無言になった。表情が変わってる。ヤンキースイッチ(戦闘モード)ON、しかもダブル。あのさぁ、そういうのはもうやめようよ、俺達大人なんだしさぁ。
「ジゥ・リン(朱・琳)?」
女の子が口火を切った。琳さんの微笑が消えた。
「ゲームに参加する?」
「ゲーム?」
琳さんはかすかに眉を寄せ、なんのことかわからない、と言う顔をした。女の子はそういう琳さんの反応をうかがっている。若い男のほうは無表情だ。ハオランさんといいこの男といい、ヨコハマって無表情な人が多いのかしら。
陽太が無言のまま一歩踏み出し、琳さんの右横に立った。月輝雨も若い男をじっと見ながら左隣に移動する。ふたりとも見事なヤンキーヅラになってる。
三人は得体の知れない二人組と対峙する構図になった。そこで俺は二歩ほど下がってみた。いや、だって、ほら、ねぇ。
「何のゲーム?」
「それ、戦略的おとぼけ?それとも本当に知らないの?」
「知らない。何を言ってるのか全然わかんないし」
「朱琳よね?」
「答える義務あるのかな」
「メリットがあるかも」
「どんな?」
「無駄な暴力的抗争を回避できる」
「じゃ、答えるけど、俺の苗字は朱じゃない」
「でも、琳よね?」
「うん。で、君はだれ?」
「挨拶は送ったはずだけど?」
「…あ」
琳さんはスマホを取り出した。
「君…グエン?」
「ひどいわね、まったく記憶に残ってなかったんだ」
「いや、だって。サングラスしてるし。せっかく綺麗な目なのに」
グエンは笑い声を上げた。
「そういう心のこもらないお世辞言うとこ、ハオランとは違うわね」
「ハオランの友達なの?グエン」
「ううん、ただの知り合い」
「でもハオランからメールが来ていた」
「成りすましたの」
「成りすました?」
「彼、アドレス帳にあなたを朱琳って登録してたわよ」
「あの用心深いハオランのアドレス帳をどうやって見たの?」
「ゲームに参加すればわかるわ」
「ゲームっていったい…」
「そっちのお友達は?」
「陽太、月輝雨、それと、章生」
えー、勝手に教えないでよ。こんな怪しげな人たちにさぁ。
「強そうね」
グエンという女の子はにっこり笑った。陽太と月輝雨は笑わない。ちなみに彼女が強そうね、と言ったときの視界に俺は入っていない。別にいいけど。
「わたしはグエン。こっちは弟のカインよ。よろしくね」
「ねぇ、グエン。ゲームって何?」
「ハオランに聞いてみて。彼がゲームオーナーなんだから」
グエンはそう言うと、笑顔で手を振って去っていった。笑うと意外と可愛い。
「どーゆーことなんだよ?」
「ほんとに知らないんだってば」
「ハオランさんは?」
「仕事終わったら戻ってくるんじゃない?」
「ったく」
「でもさ、綺麗な子だったよね」
「章生貧乳好きだからな」
「え」
「よく見てるねぇ、月輝雨。どんくらい貧乳だった?」
「頑張ってBってとこ?」
月輝雨のヤツ、バトルモードに入りつつもそこチェックしてたんだ。相当なおっぱい星人だな。
「陽太は?」
「うん?」
「貧乳と巨乳、どっちがすき?」
「うーん?どっちも」
「そうだよね。どっちも捨てがたいよね。やっぱり巨乳には目を奪われるし」
「うんうん」
「おい、なんの話してんだ」
「章生、隠れ巨乳派だったの?」
「いや、どっちも好きというだけです」
「意外。章生ってむっつりスケベ?」
「失礼な。そういう琳さんはどうなんですか」
「俺は貧乳絶賛中だよ」
「だから、何の話なんだよっ!」
なんでそんなに怒んだよ、お前がふった話じゃないか。
俺たちは教会に戻り、要らないものを分別し捨てるという作業に戻った。ひとしきり作業を続けるうち、ハオランさんが戻ってきた。ハオランさんは、俺達がいっせいに立ち上がったので少し驚いたような顔をした。
「ハオラン、変な二人組に会ったよ」
「変な二人組?」
「貧乳のグエンと弟のカイン」
「ああ」
ハオランさんはうなずいた。
「ゲームの話をされた。詳しくはハオランに聞けって」
「なるほど」
ハオランさんは琳さんの顔を見てにやっと笑った。初めてこの人が笑うのを見た。気のせいか、ちょっと人が悪そうな笑顔だ。人の悪さって一族間で遺伝するものなんだろうか。
「いま、朱家では新規採用試験中なんだ」
「新規採用?」
「そう。応募者には事業提案をしてもらう。デモンストレーションつきで」
「?」
「グエンが言っているゲームというのは、バトルデモンストレーションのことだよ」
「はぁ?」
思わず俺は間抜けな声を上げてしまった。
「応募はチーム単位で人数上限はひとチーム十名まで。事業計画をエントリーし、実際に運営してもらう。期間は三ヶ月。資金提供は朱家から行うが、一律十万円のみ。足が出るようなら自腹だ。
評価ポイントは三点、
一、期間内の売上と純益。
二、事業における朱家への貢献度。
三、個人の資質とスキル。
二週間に一度収支と事業の進捗状況をレポート提出する他、最低一回デモンストレーションを実施してもらう。
優勝賞金は百万円。参加者のうち成績優秀者を朱家の事業で採用する。もちろん、賞金だけ受け取って採用は辞退してもらっても構わない」
ええと・・・さっきのグエンとカインはその採用試験にエントリーしているってこと?
「グエンとカインは二人チームだ。事業計画はセキュリティ強化」
「セキュリティって?」
「グエンはIT技術者だ。すでにうちのシステムに三回侵入している。カインは武術に強い。彼は文字通りの警備強化を提案している。デモンストレーションとしてチャイナタウンで暴力沙汰を起こす予定だ。グエンは君らをデモ相手として誘っているんだよ」
「チャイナタウンで暴力沙汰なんて、起こしていいの?」
「どれだけ街に迷惑をかけずに相手をつぶせるか、というデモなんだ。もちろん暴力沙汰を起こしてよいポイントは制限する。うちの配下にある場所だけだよ」
「ハオラン、頭おかしいんじゃない?」
「なぜ?」
「法治国家の民間企業がやる採用試験じゃないよ、それ」
ほんとだよ。つねづね琳さんに就職活動しろと進めている俺だけど、さすがにこの採用試験を受けろとは言わない。ハオランさんとこで働くのは考えたほうがいい。
「あの二人はちょっと特殊な例だよ。ほかのメンバーは普通に飲食店の販促キャンペーンや新規事業の提案をしてきている。君らもエントリーしたらどうだ?優勝したら芝居の制作費や改修費用の足しになるだろう?」
いや、芝居やっても純益なんか上がらないんだってば。事業として勝負するなんてぜんぜん無理だから。
「エントリーしたら、カインとタイマン張れるの?」
・・・なんですって?
「陽太、お前、カインとタイマン張りたいの?」
月輝雨が呆れたように言った。
「タイマンだけじゃなく乱闘もできるよ」
ハオランさんがにっこり笑った。
「これは武術の試合ではなく、チーム戦だ。カインも助っ人を使えばいい」
ちょっ!なに言ってるの、ハオランさん!
「陽太と組んで喧嘩やんのは久しぶりだなぁ。ちょっと楽しそう」
月輝雨!やめなさい!
「カイン、強そうだった。試してみたい」
陽太!ダメ!お前もうヤンキーは卒業してるでしょ!
「えー楽しそう。俺も混じっちゃおうかなぁ」
琳さん!なんであんたまで!
て言うか、芝居はどうなってるんだよ、芝居は。
「皆さん冷静に考えてください。なんで武闘派バトルの話になってるんですか?俺達は芝居をやろうってことで集まってるんでしょ?」
「あ」
「そうだった」
そうだったじゃないよ。ほんとにもう。
「芝居で3つのポイントって稼げるのかな?」
「純益は無理じゃね?」
「役者の資質とスキルは関係無さそうだし」
「貢献度ってのはどうなんだ?」
「興行部門があるなら可能性あるけど、朱家には無いでしょ?ハオラン」
「いや、新規に興行部門を起こす提案をして貰っても構わないよ」
「そうなの?」
なんで採用試験にエントリーする方向で進んでんだよ。何を言えば正気に戻るんだコイツら。えーとえーと、あ!
「アリスや親方の身に危険があったらどうするんですか!」
陽太がはっとした。
「アリスは確かに嫌がるかも。怖がりだから」
悪かったね、怖がりで。あんたらホントもうちょっと人生怖がったほうがいいと思うよ。
「親方は問題ないだろ。つか、親方がカインとタイマン張るって言い出したらどうしようってほうが心配じゃね?」
親方はそんな人じゃない!
「月輝雨、親方は進んで喧嘩はしない」
ほらみろ!
「でも売られたら喜んで買う」
えー。
「とにかく、アリスが怖がるから止めましょうよ」
「怖がってんのは章生じゃねぇか」
「章生、怖いの?」
怖いよ!
「まぁまぁ、いいじゃない。暴力沙汰に巻き込まれて芝居に影響でたら困るしさ。ここは章生の言うとおり、我慢しようよ」
「琳さんの言うとおりです。とにかく、芝居をちゃんとやるのが俺たちの目的なんですから。余計なことに巻き込まれないようにしてくださいよ」
だが、もちろん、巻き込まれるに決まっていた。