シーン20/ガールミーツボーイ
六月。俺たちは学校からこっそり少しずつ足場用のパイプや機材を教会に運び込んでいた。いや、盗むわけじゃない。借りるだけだ。どうせ文化祭までは誰も使わないし。
舞台の奥と横には扉がついた。天井にはバトンもついた。壁の剥がれや古びた感じは直さずそのまま使う。今回は再生する工事現場が舞台だからだ。
俺たちは石川町に入り浸り、稽古や打ち合わせ、準備の作業を進めた。台本も書いては直し書いては直しを繰り返す。まだだ。まだ固い。キャラクターもギクシャクしている。もうちょっとだ。もうちょっと進めば、動き出す。物語が動き出し、セリフが滑り出て、みんなの一番素敵な表情を引き出してくれるはずなんだ。
足場が組まれると、教会の中は大きなジャングルジムになった。高さは4メートル近くある。てっぺんから飛び降りたら観客は度胆抜かれるだろう。飛び降り地点にはマットを仕込む。これも学校から持ってきた。各種搬出搬入には陽太が親方のバンを駆使してくれた。ばれたら学校にも親方にもすげぇ怒られそうだな。
「チラシ配りいくぞ~」
カインが陽太とワン、リーに声をかけた。
「はーい」
ワンがダンボールに詰め込まれたチラシの束を取り出す。ひと束百枚。ワンは三束ほど担ぎ上げる。リーも三束。陽太も三束。カインも…ちょっとちょっと、今週でチラシ全部使い切る気?
しかしなんなんだろう。稽古再開の当日から当然のように稽古場にワンとリーがやってきた。そして気づくと一緒に作業している。あれじゃ参加させないわけにも行かない。いやもちろん有り難いけどさぁ。すごいアクションに寄った芝居になるよね?台本に無くてもみんな勝手にイントレに上ったきり降りてこないし。お客さんが見上げっぱなしで疲れるから降りてきてよ、ほんとにもう。
「ねぇ章生、わたしセリフが少ないんだけど」
だってグエン、セリフが破壊的に下手なんだもん。陽太も棒読みのポテンシャル全開だけど、グエンのレベルは更に上だ。
「ちぇっ。じゃあ喋らなくて良いから出番は増やしてよ」
グエンは出たがりらしい。
「ねぇ、章生、わたしのシンロウは誰なの?」
「えー。決めてない。誰がいいの?」
「・・・」
「グエン?」
グエンが答えないので俺は目を上げてグエンの顔をみた。…どうしたんだろう、グエン。赤くなってもじもじしてるんだけど。
「別に誰でもいいんだけど、ほら、私とちょうど背がつりあうとしたら、その、琳じゃない?」
・・・・・。
「あ、でも別に誰でもいいのよ。ただ、私の身長だと琳くらいが一番いいかなって」
・・・・・。
「いいの、忘れて。別に誰でもいいんだから。ただ、身長のことは考慮してね」
・・・・・。
ちょっと!これってもしかして、ガールミーツボーイ?グエンが琳さんに!
俺は居ても立ってもいられなくなった。どうしよう。待て俺が慌てることは無い。落ち着け。いや。うむ。よし。グエンのシンロウは琳さんだ。決定。確定。上書き保存。
琳さんが水絵さんを忘れて立ち直るチャンスかもしれない。ラブシーンとか入れるべきかな。入れよう。是非入れよう。よーし、ラブストーリーに寄るぞ!グエン、頑張れ!
「遅れてごめん~」
月輝雨が礼拝堂に入ってきた。
「月輝雨!」
「な、なんだよ」
「琳さんにガールミーツボーイだ!」
「はぁ?」
「だから、琳さんにガールミーツボーイ!」
「ガールに壺ッホホーイ」
「ちがうよく聞けガールミーツボーイ!ほら、理想の男の子に出会って恋が始まる…」
「恋?!琳さんが?!」
「ちがう、琳さんに恋したんだ!」
「俺がなに?」
うしろに琳さんが居た。
「いやいやいやいやなんでもないです!」
「…章生どーしたの?」
「ほんとに何でもないです!琳さん今日ってご機嫌いかが?」
「…」
あっぶねー、俺突然の衝撃に弱いんだってば。でもよかった、とりあえず聞かれてないみたい、グエンが琳さんにガールミーツボーイなこと。
「で、俺にガールミーツボーイってなんなの?」
うわ聞かれてた!
「なななななななななんでもなーいでーす」
「何なの?」
「なんでもないんですってば!」
「なんでもない反応じゃないでしょ、章生」
「琳さん、章生、熱があるんだよ」
月輝雨が助け船をだしてくれた。
「そうなの?」
「そうじゃなかったら琳さんに恋したとか言うわけがない」
「え」
「え」
・・・え?
「えええええーっ!章生が俺にガールミーツボーイなの?!」
ちがう!
「章生、ごめん。俺そういう趣味は無いんだよ」
ちがうって!
「だよなそもそもガールじゃねぇし」
そりゃどうもすいませんねってちーがーう!
「琳さん、熱のせいだと思って忘れてくれ」
「そうだね、早く忘れたい」
ちょ、琳さんそこまで言う?
「章生、泣くなよ?」
泣かない!
「台本書くのに集中したからだよ。花嫁の心理に入り込み過ぎたんだ」
入ってない!
「ごめんね、章生。俺、もし自分が女の子だったら章生のこと高く評価するんだけどさ」
いらない!
「章生、あんまり思い込むなよ」
「このことは誰にも言わないから」
「俺たちの友情は変わんねぇからよ」
もうやだ、ほんとに、このひとたち。
ワンとリーは素晴らしい運動能力を発揮してイントレを昇り降りしている。パルクールか。
「いや、楽しい。いい運動になります」
「ワン、運動不足解消に来てるの?」
「ちがうちがう、小琳。芝居に協力します」
「まぁ、芝居も結局運動してもらうんだけどね」
琳さんはにっこりした。
「ワンとリーは、ジャングルジムのてっぺんから飛び降りられる?このマットの上に着地してほしいんだけど」
ワンとリーは顔を見合わせ、にっと笑った。そのまま一気にてっぺんまで上りきる。
「猿?!」
上りきった瞬間、躊躇なく宙に跳んだ。
「わっ!」
俺は思わず悲鳴を上げてしまった。
だがワンとリーは綺麗に着地すると前転して勢いを逃がし、そのまま立ち上がった。お見事。カインに陽太にワンにリー、四人がジャングルジムのてっぺんから跳べる。ラブストーリーに寄るにしても、アクションは最大限活用しないともったいないな。
「すごいねぇ」
琳さんがぱちぱちと拍手している。
「上海雑技団みたい」
「いや、私は福建省から来ました」
「私もです」
「雑技団ではありません」
「私もです」
ワンとリー不思議なキャラ立ちしてるよな。うーん。役付けに悩む。
舞台上、汚れ破れたタキシード姿の琳さんが地面にうずくまっている。
舞台奥に明りが入る。再生の巫女月輝雨が現れる。
この巫女は再生と、終焉を司る。訪れるのが再生か終焉か、それは触れられるまでわからない。巫女は手を伸ばし、琳さんに触れようとする。
琳さんは巫女を見上げた。巫女の手が止まる。
「それは再生の手ですか?終焉の手ですか?」
琳さんが巫女に尋ねる。巫女は答えない。巫女は言葉を持たない。ただ、触れる。
「もし終焉の手なら、もう少しだけ待ってください。花嫁を待たせているんです」
巫女は琳さんの顔をみつめる。
「花嫁に会って、お別れを言いたい」
琳さんはそう言うと、巫女の目をみつめた。満身創痍のシンロウ。立ち上がることも出来ない。巫女がもたらすのは終焉に違いない。
巫女はしばらくシンロウをみつめ、そして、向きを変える。音も立てず、巫女は去っていく。花嫁をみつけなくては。シンロウはジャングルジムの鉄パイプに手をかけ、立ち上がろうとする。
「じゃあ花嫁がみつけるわ!」
グエンが目に涙を浮かべて叫んだ。
「かわいそすぎる、シンロウが!巫女より先に見つけて助けてあげなくちゃ!」
う、うん。そういうシナリオにするよ、グエン。
「ねぇねぇ章生、俺動けない役なの?」
「はい、動けません」
「そうなんだ~。まぁ楽でいいかもしれないな」
怠惰だなぁ、琳さん。
「でもあんまり汚れてるのはヤダなぁ。章生、とりあえず顔はあんまり汚さないでね。あとピンスポは絶対入れて。それと満身創痍はいいけど、情けなさすぎる展開はごめんだからね。痛いのもやだ。誰かに殴られるとか無しね。五月にいっぱい殴られたからもう良い」
注文が多いよ。
「なぁおい、俺、セリフないの?」
「ないよ。だって巫女で女の役だもん。お前がしゃべったら変だろ」
「あー。さすがに歌舞伎調でセリフ言うわけにも行かねぇもんなぁ」
「そうだよ。我慢してくれ」
「いや、いいよ。セリフ覚えなくて良いのは楽だしな!」
月輝雨も怠惰だ。みんなして楽ばっかりしたがるな!台本考える俺の労力を考えろ!
カインはセリフが無いことにまったく文句は言わない。むしろセリフを言う想定自体、ハナからしていないみたいだ。ワンとリーも同様らしく、三人してアクションの練習ばかりしている。まぁいいんだけど。芝居の流れを壊さない程度にやってくれれば。
「花嫁は数々の難関を乗り越えてシンロウと巡り合うのよね。モンスターとか退治して」
いやモンスターは出ない。転生もしない。でも異世界ものなんでそれで妥協してくれ。
「ちぇっ。戦いたいのに」
グエンは水絵さんみたいなことを言う。水絵さんも女らしい役より戦う女性の役が好きだった。水絵さんにごねられて深窓の令嬢が闘うヒロインになったこともあるくらいだ。でも今回の役は花嫁だからね、グエン。
「へぇ。グエンも闘うヒロイン志向なんだ」
琳さんが、小さくつぶやいた。