8. 「今はただの燃えかす。青春の残滓。」
「それで、」
と、椿はアイスコーヒーを飲みながら言葉を続ける。
「朔月のには互換性がなかったのか。」
「無かったわ。」
朔月は窓の外の青い欅を見ながらつぶやいた。と、突然椿に横目遣いで、
「不感症になっちゃったのよ、私。」
と、囁いた。
椿は、むせ返ってくるアイスコーヒーを涙目になりながら、口の中で必死に抑えた。
朔月は、至極満足、といった愉悦の表情である。
「残念ながら、別にそういう意味じゃないわよ、椿君。
大学の頃から、監査員の経験を積んでたじゃない、私。
最初は大企業の経理事務をしていてやりがいもあったんだけど、企業って突き詰めれば利潤が目的じゃない。
時々、なんで理念も方法も私の哲学と一致しない企業の計簿係しなきゃいけないんだ、って思うようになって。
矛盾を感じたまま経験だと思って続けてたけど、結局、資本主義の権化みたいな会計の仕事にうんざりしちゃった、って感じかな。」
「それで今に至るのか。」
椿は気を取り直して尋ねた。
「そうよ、今はただの燃えかす。青春の残滓。」
それにしては、彼女は泰然としている、と椿は思った。
「きっぱり全ての業務から手を引いた時には、悩んだりもしたけどね。
自分を大きく見せようと背伸びしていた思春期の頃よりかは、フリーターになった時の方がずっと気が楽だったわ。
今は数字にもお金にも囚われずに自分探しの旅とかしながら気ままに暮らしているわ。」
椿がアメリカの大学院にいた時に、朔月からきた連絡は、
「公認会計士やめた。ちょっと旅してくる。」というものだった。
燃え尽き症候群なのではないか、と椿は心配していたが、朔月の様子では、そんな心配の必要はなさそうだった。
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