女子高生になった魔法使い #1
俺の悪夢は何故こうも鮮明なのだろうか。
今だってそうだ。
俺の学校に転校してきたエイマが、クラスの連中を前に挨拶をしようとしている。
「はじめまして。イギリスからやって来ました、エイマ・オリヴィエです。皆さんの平凡でつまらない青春を、この私が魔法で薔薇色に染めちゃいまーす!」
な、何言ってんだこいつ!
教室の教壇上から耳を疑うような挨拶をかますエイマ。だが。
「!?」
俺の体は何故か席に貼り付いて動かない。
おまけに声も出ない。
「おい千暁、あんな可愛い魔法使いが従妹って何で黙ってたんだよ」
頼久!
「そっか諏訪くん。エイマちゃんみたいな可愛い魔法使いがいれば普通の彼女なんかいらないよね」
乙幡!
違うそんなんじゃ……!
「うう、そんなんじゃない────……」
は、と瞼を開けると、そこは教室ではなく自分の部屋だった。
「……ゆ……夢か……」
夢と分かってホッと胸を撫で下ろした。
昨夜は今日の事が心配でなかなか寝つけなかったが、不安がそのまま夢に出てきてしまったようだ。
ふと、窓から差し込む朝日にハッと目覚まし時計へ目をやる。
「っっ! 完全に寝坊だ!」
登校完了時間は八時半。時計はすでに家を出る八時を過ぎていた。
慌てて寝巻きから制服に着替えていると、突然部屋の扉が開いた。
「ちょっと千暁ぃ? あんたがいないと学校までの道分かんないでしょ」
下のスウェットを脱いでいるところ、部屋に紅ノ森高校の制服を着たエイマがやって来た。
制服姿に目を奪われそうになるも、パンツ丸出しの俺は当然エイマに物申す。
「何勝手に入って来てんだよっ!」
「あんたがなかなか起きてこないからでしょ。ていうかもう歩いてたら遅刻確定だからケンちゃんが車で送ってくって。断ったけど」
「は!?」
制服のズボンのベルトを締める手が止まる。
「何で断ったんだよ? お前だけでも先に行けって」
「馬鹿ね。ケンちゃんに迷惑かけらんないわよ。着替えたわね。じゃあ鞄持って、靴これね。ほら行くわよ」
「は!? おいまだ顔も洗ってねぇし歯も磨いて」
「そんな時間無いわよ」
エイマは俺に鞄と靴を持たせ強引に部屋から連れ出すと、階下へは降りずに自分の部屋へと移動した。
エイマの部屋は昨日の殺風景とは打って変わって、生活感のある部屋に変貌していた。
置いてあるものは彼女の趣味か、アンティーク調の家具が揃っている。
しかしそんな事はどうでもいい。何故玄関へ向かわないのか。
「おい、早く行かないと転校初日でマジで遅刻するぞ!」
「だから遅刻しないようにコレで行くんじゃない」
エイマが俺の前に突き出したのは、昨日家の玄関に突っ込んだとされる箒だ。俺の顔から一気に血の気が引いて行く。
「お前バカか! バカだろ! 俺はそんなもん乗るくらいなら遅刻して説教される方を選ぶ!」
「ユリちゃんケンちゃん行ってきまーす!」
「「いってらっしゃーい」」
「おい人の話を……っ」
階下から二人の呑気に送り出す声が聞こえると、エイマは俺の制服のネクタイを引っ張って自分の後ろに跨がらせた。
「待て待て! 俺はマジで無理だ!!」
「本日晴天。気流安定。そんじゃ、学校までレッツゴー!」
俺の泣きの懇願を無視して、俺とエイマを乗せた箒はジェットコースターが発車するかの如く、開け放った窓の外へと飛び発った。
地上から百メートルの高さを風のように突き抜ける箒の上で、エイマのウエストにしがみつく俺はパニック寸前だった。
「うわああああ! 降ろせ! 降ろせ! 降ろせええ!」
「無理に決まってるでしょ。あ〜気持ちい。ほら見なさいよ。天気も良いし絶景じゃない」
そんなの見てる余裕はまったくない。
俺を高所恐怖症にした張本人は悠々と紅ノ森の街並みを見下ろしている。俺は恐る恐る宙ぶらりんの足元へ視線を落とした。
繁華街の上空を体感約時速四十キロ程で飛んでいる。
いよいよ視界がぼやけてきたところで、エイマが俺に尋ねた。
「で、学校はどっちよ?」
「そのまま行けばでかい三階建ての白い建物がある……」
「三階建ての白い建物……ああ、あれね」
紅ノ森高校の校舎を発見したエイマ。すると。
「しっかり掴まってなさいよ」
何をするかと思えば、エイマが上半身を前に折り曲げると箒は学校に向かって急降下した。
「うわあああああー! 落ちる落ちる落ちる!!」
徐々に近付いて来る紅ノ森高校。
勿論このまま学校に突っ込めば命はない。
「着陸体制に入るわよ」
エイマはそう言って箒の柄を一発叩いた。
しかし落ちる速度に変化はない。
「ちょっと、良い加減にしなさいよこのバカ箒!」
信頼関係全然出来てねぇ──っ!!
迫り来る学校の校舎裏。
もうダメだ……!
「チッ、仕方ないわねっ」
俺が死を覚悟しているのをよそに、エイマはどこからともなく杖を取り出して先端を校舎裏の芝生に向けた。
「ネルコハソダツ!」
地面に叩きつけられる────と思いきや、地面に接する寸前で柔らかい何かが体を包み込んだ。
「千暁……千暁ってば!」
ハッ────!
エイマの声に気がつくと、膝下あたりまで伸びた芝生が体の下に敷かれていた。まるで緑のベッドだ。
「と、どうなってんだ……?」
「フォレスト魔法で芝生を成長させてクッションにしたのよ。なんとか無傷で済んだわね」
……助かった……。
芝生が元の長さに戻る中、安堵したのも束の間だ。
「お前っ、何で杖持ってきてるんだよ!」
「別に良いでしょ。誰かの前で使わなきゃいい話だし」
「良くねぇよ! 今のだって誰かに見られてたら」
「誰もいないわよ。仮に見られたとしても、記憶飛ぶくらい頭を強く打てば問題ないわ」
その心構えには問題がありすぎる。
エイマは手にしていた箒を宙に投げた。
すると、箒はメイク道具のブラシに姿を変えてポーチの中に収まった。
「私、先に行くわよ。職員室寄らなきゃだから。せっかく間に合ったんだから、あんたも急ぎなさいよね」
俺をひとり校舎裏に残して、エイマは小走りで昇降口がある校舎の表側へ去っていった。
朝から寿命が数年縮んだ気がする。
こんな事は二度とゴメンだ、と言いたいところだが、先は長い。
「って俺も行かないと!」
落ちた衝撃で放られた靴を履いて、昇降口へと急いだ。