四
怜治は早速明かりをつけてから、敷きっぱなしになっている布団に座り込み、もう一度人形を箱から取り出した。
漆喰で作られた人形の面はすべすべと滑らかで、鼻筋が通った鼻梁の上には顔料で細い眉が描かれている。そして目はそれぞれが個性的だった。
薄青い着物の人形──雪はくっきりとした二重が描かれている。唇はぼってりと紅が乗っていた。色気があると言ってもいい。
薄黄色の着物の人形──月は細い切れ長の目をして、唇は切れ長の目と合わせるように細く紅が引かれている。美人顔だ。
薄桃色の着物の人形──華は目がぱっちりとしていて、唇に引かれた紅はちょんちょんと申し訳程度。それでも充分愛らしかった。
そうやってじっくり見ていても、怜治には全く気味悪く感じられない。人形は人形以上でも以下でもなかった。それ以外の感慨は浮かばないのだ。だからどうして健一があれほど怯えるのかが怜治には分からない。
「どれも個性的な美人だけどなぁ。健ちゃん、なんでこんなのが怖いんだろ」
独り言をぶつぶつ呟きながら、そのままごろんと横になる。
と、人形をまじまじと見ていた時、健一が部屋へとやって来た。そして怜治の姿に驚いて声を上げた。
「何やってんだ!」
健一の慌てぶりに、怜治は寝っ転がったまま至って普通に返す。
「何って、人形見てただけだけど」
そう言った時、戸口で突っ立ったままの健一の顔が強張るのを見止めて、怜治はなんでもない事のように声をかけた。
「大丈夫だよ。ただの人形だ」
「……本当か?」
それに応えるように、身体を起こす。そして言った。
「どれも単なる人形だ。でも美人だな」
「美人?」
胡散臭げに呟いて扉を閉めると、五〇〇ミリリットルのペットボトルを怜治に渡した。サンキュと声がしたのと同時に、怜治と向かい合うように布団の上に腰を下ろす。
「怜ちゃん、ほんとに何も感じねぇのか? 薄気味悪いとか……」
「別に」
言って、怜治は自分に向き合っていた人形を健一に向けた。
突然の事に、健一は人形の顔をまともに見てしまった。瞬間、健一の心臓がどくんと撥ね、嫌な汗が噴き出す。人形を見た途端、やはりそれに見詰められているような妙な威圧感を感じて粟肌が立ったのだ。
そんな健一の様子を気にかけることなく怜治は言う。
「どうだ? ただの人形だろ?」
だが、健一は答える事など出来なかった。言葉が詰まり、瞬きすら出来ずに目が乾いていく。そうしていると、徐々に目が痛くなってきた。
痛みに耐えかねてぱちりと瞬きすると、人形から感じられていた妙な威圧感がぱったりとなくなっていた。粟立っていた肌も、すうっと元に戻っていく。数度瞬きするも、やはり威圧感は感じられない。それに伴って、人形の顔をまじまじと見入る事が普通に出来るようになった。
そこで健一は、はぁと息を吐き出した。知らぬ間に呼吸を止めていたらしい。酸欠の為に、一瞬だけ頭がくらっとしたが、それでも人形に目を止める。
「健ちゃん?」
様子のおかしい従兄弟に怜治が声をかけるが、健一は人形に止めていた目を怜治に移した。そして覚束ない状態で言うのだ。
「人形……だな。ただの」
「だから、そう言ってるだろう?」
怜治は最早呆れ顔だった。
「ほら、手に持って一つ一つの顔見てみろよ」
言って、健一の手に押し付ける。
健一も思いの外それを素直に受け取り、人形一体一体を見詰めていた。
「おかしいな……。前に見た時もさっき見た時も妙な感じがしたんだけど、今はなんともねぇ」
そんな健一を笑い飛ばして、怜治は言い遣った。
「気のせいだ。一度気持ち悪いと思ったら、その感覚が抜けないってだけの話で。でも落ち着いて見たら、ただの人形だったろう?」
「……そう、みたいだな」
溜息をついて、どこか拍子抜けしたように言う。そして続けた。
「そうだな。多分、怜ちゃんの言う通りだな。なんか『人形だ』ってだけで気味悪がってたみたいだ」
「そうそう。全部気のせい、気のせい。俺はこうして何も感じないし」
言いながら、ペットボトルの蓋を捻って開けた。
その時だ。階下から文代の声が聞こえてきた。
「健一~。お父さん、お風呂上がったわよ。あんた達も早く入りなさい」
その声に、分かったと返して、健一は怜治に人形を手渡した。
「俺、先入ってくるから、人形、箱にしまっておいてくれ」
「了解、了解」
怜治は手をひらひら振って、部屋から出て行く健一を見送った。そしてジュースを一口飲むと、人形に目を向けた。
「一体、どんな由来のある人形なんだか。婆ちゃんの形見ねぇ……」
頭を掻きつつぼやくように言って、木箱をあぐらの膝の上に乗せると、中に人形を丁寧にしまい込んだ。そして木箱は邪魔にならないようにと、布団の頭の方に無造作に置く。