四
それを確かめて、美津代はもう一度口を開いた。
「この子達はね……、『雪月華』は私が一から作ったもの。顔も一つ一つ描いていった。髪も私の髪を使った。でもね、それだけに魂が宿るのにそう時間はかからなかったよ。普通、人形に魂が宿るには、十年、二十年、三十年と長い時間が必要なんだけどね」
そう言って、ちらと三人の女達を見た。そして続ける。
「さて、そこでだけどね、魂が宿った人形が望むのはなんだと思う?」
「……は?」
健一がぽかんとして口を開く。
「魂が宿った人形が望むもの……?」
怜治は考え込む風にして鸚鵡返した。暫し黙考して言葉を零す。
「もしかして、命か? こいつらは命を欲しがってた。俺達から月の瞳を奪い取って人間になるって」
「その通りだよ。……じゃあ怜治。『月の瞳』がなんだか知ってるかい?」
「え?」
怜治は突然の問いに目をしばたたかせた。
「……こいつらが言うには、月の精を吸って、それで人間になれるものだって事だけど。違うのか?」
その答えとも問いとも取れる言葉に、美津代は薄く笑んだ。
「『月の瞳』は命を指し示すものなんだよ」
「命?」
健一と怜治の言葉が重なった。
「『月の瞳』は必ず対だ。文代と菊代が双子なのと同じようにね。文代の瞳は菊代を示し、菊代の瞳は文代を示している。お前達の目もそうなんだよ。『月の瞳』は命を指し示すものだから、『月の瞳』を手に入れた人形にも命が宿るんだ」
しかし健一の顔にも怜治の顔にも「理解が及ばない」と書かれていた。それでも健一は言葉を紡ぐ。
「俺と怜ちゃんが生まれた日が同じなのも、それと関係してるのか?」
「してるよ。お前達は双子のようなものだ。……私の爺様も双子だった。やっぱり『月の瞳』を持ってたよ。でもね、その頃は双子は忌み子だったんだ。爺様の弟は生まれてすぐ水に浸けられたって話だ。そのせいか、爺様は早くに片目を失明してしまっていたよ」
「残ってたのはどっちの目なんだ?」
健一が言って、身を乗り出す。
「普通の目だ。それでも『月の瞳』は満月の夜には淡く光を放っていたっけ」
そう語って、美津代はどこか遠くを見詰めていた。
「じゃあ、うちは代々そういう家系なのか? 月の瞳を持つっていう」
今度は怜治が問う。
「いや、私の父さん、お前達には曾爺様だね。その人は『月の瞳』を持つ人ではなかった。たまたま私が双子で『月の瞳』を持って生まれ、私が双子を産んで、その子達も『月の瞳』を持っていたってだけだ。そしてその子達がまた双子に当たる子供を産み、私から偶然続いたのさ。だからお前達の子供が『月の瞳』を持って生まれるかは分からないね」
「ちょっと待てっ」
そこで健一が待ったをかけた。
「俺、婆ちゃんが双子だなんて聞いた事ないぞ」
「誰にも言った事はないもの。……私の双子の姉様は、早くに流行病で死んでしまったんだ。『月の瞳』の事も、文代と菊代には話した事がない」
そこまで話を聞いて、健一も怜治も思わず言葉を失った。
そのまま暫し沈黙が続いたが、先に言葉を取り戻したのは怜治だった。
「それで、その月の瞳と人形の関係なんだけど、これはどうなんだ? 婆ちゃんは人形に命を与えられる目だって知ってて人形を……雪月華を作ったのか?」
それに美津代は首を振った。
「人形を作って暫くの頃かねぇ。人形に魂が宿ってから初めて気付いたんだ。精魂込めて作った『雪月華』を枕元に置いて眠るとね、必ずこの子達が夢に現れた」
そこまで言って、一度女達の方を見遣った。そして続ける。
「夢の中にこの子達が現れて、お前の目をくれという。駄目だというと、じゃあお前の子供達から目を奪うと言い出した。だから私は、そんな事をしたら人形を壊してしまうよ、と脅したんだ。この子達を作ったのは私。だから魂を奪う事が出来るのも私だけだ」
「それで?」
「それだけだ。それで大人しくなったよ。……でも、供養と守護の為に作ったのに、またとんでもない魂が入り込んだものだよ。まさかこんな事になるとは思わなかった」
「それってどういう……?」
健一と怜治が顔を見合わせて問うてきた。
美津代はどこか困ったように話し出す。
「普通、母親は子供を一人腹の中で育てるもんだ。滋養を取ってね。それを二人も三人も同時に育てるとなると、なかなか身体に無理がかかる。私の最初の子は三つ子だったんだが、死産した。次の子からは一人一人産んでいったけど、最後の子の文代と菊代を無事に産んであげられた時は嬉しかったよ。自分の中で二人を無事に育てられたんだから。だから『雪月華』を作ったんだ。最初の子の供養の為と、文代と菊代を護って貰えるようにね」
「なのに、人形に魂が宿ったと思ったら、こんな人形になったわけかよ」
そう言って、健一は正座している女達へ嫌そうな目を向ける。
「よもや、私達の目の意味に気付くとは思わなかった。近くに置きすぎたのかも知れないねぇ」
言って嘆息する。
「私が死ぬ前に、人形を始末できていれば……」
「じゃあ、なんでそうしなかったんだよ? 危険だって事は分かってたんだろ?」
健一が食って掛かるように詰め寄った。
「文代に『雪月華』を人形供養に出して貰おうとしたんだけど、どこにしまってあるか分からないと言われたんだ。参ったよ。私もその頃はもう、身体の自由が利かなくなってしまっていたから」
そこで健一は大仰に溜息をついた。
「これまで大丈夫だったって事は、人形が見つからなかったせいかよ。だとしたら今回の事は、人形を見つけちまった俺のせいだな」
「健ちゃんっ」
怜治が健一を睨み付けて鋭く言葉を吐き出す。
「そう言う考え方やめろよっ」
「だってよ……」
そのまま放っておけば言い合いになりそうな雰囲気の二人に、美津代が割って入った。
「健一のせいじゃないよ。今回の事は私の不始末だ。二人には迷惑をかけたね。でも、お前達のお陰でこうして連れて行く事が出来る。ごめんね、有り難う」
言うと、両手をついて深々と頭を下げた。
それに我に返り、慌てたのは孫二人だった。
「ちょっと待てよっ。婆ちゃんのせいじゃねぇって。頭上げろよっ」
「人形が夢に出てきたのは、きっと俺が枕元に人形置いて寝たからだよ。ほんと、何も考えないで……っ」
二人は美津代に詰め寄り、必死になって美津代の頭を上げさせようとするも、一向に頭を上げる気配はなかった。それどころか、「ごめんね。有り難う」と繰り返すだけだった。
そこに線の細い女の声が届く。
「お婆様、わたくし達が悪かったんですわ。己の役割も弁えず、昔から人間になりたがっていたわたくし達が。そもそも人形は愛でられるもの。人間になるような存在ではありませんでした。申し訳ありません」
雪野が三人に向かって手をついて謝る。それに倣うように、月姫も華緒も頭を下げた。その時、涙が零れるように目から流れる血がぽたぽたと畳の上に落ちた。
「お前ら……」
健一が驚いて女達の方を見た。怜治も同じように女達の方へ目を向けていた。
と、美津代が、つ、と顔を上げた。そして言葉を紡ぐ。
「健一、怜治。こうして会えるのは今宵まで。最後の日にこうしてお前達を呼んだのは、全ての理由と謝罪と感謝を述べる為。明日からは、お前達はお前達の世界で生きていきなさい」
その言葉に、二人は顔を見合わせた。あまりにも唐突すぎる。
「ここは此岸と彼岸の交わる場所。……知っていたかい? お前達の魂はいつもここから、この世界に出入りしていたんだよ。ここは魂の通り道だ。今のお前達は魂だけの存在なんだよ」
「え?」
健一と怜治の声が重なる。
これまで音楽室のあるここから帰る事は出来たが、ここから入り込んだ記憶は一切なかった。いつでも気付けば、学校のどこかに飛ばされていたからだ。そして同時に、ここでの自分達がまさか魂だけの存在などという事も知らなかった。それは二人にとって、大きな衝撃だった。
それを知ってか知らずか、美津代は言う。
「でも、もうお前達がここに来る事は二度とない。『雪月華』の力はもう及ばないからね」
「どういう事だ?」
健一が問う。
「ここは魂だけの者が集う場所。学校という世界はお前達の魂共通の場所だ。魂の中の共通する存在とでも言うべきかねぇ。そこに『雪月華』が干渉できたのは、この子達三つの魂が解放されたからだ」
「解放された?」
怜治が眉根を寄せて鸚鵡返す。
「お前達の元に、『雪月華』が一人一人が現れただろう? そうして三つの魂が解放されて三人が揃うと、この世界、『学校』というお前達の魂に干渉する力を得る事が出来るんだよ。そしてこの部屋は『雪月華』と私の世界でもあるんだ。今、あの世の門が開いているから二つの世界が繋がったんだよ。でももうこの世界は『雪月華』を連れて、私が閉じる」
そこまで語って、美津代は怜治を見遣った。
「怜治、お前の顔の傷はね、魂が受けた傷なんだ。だから、治るまでに暫く時間がかかる。すまなかったね、防いでやる事が出来なくて。私はこの部屋から出る事が出来ないんだよ」
「婆ちゃん……」
祖母の告白に、思わず口籠もる。
「私の話が分かったかい? ここはお前達がいつまでもいていい場所じゃない。分かったら、ここから出ておいき」
美津代の言葉を受けて、健一と怜治は困惑したが、そのまま首肯してみせた。それが正しいというなら、戻るべき場所に戻らねばならないからだ。
それを見遣り、
「いい子だ」
言って、二人の背を軽く叩く。
健一と怜治は背を叩かれてどちらからともなく立ち上がり、部屋の外に広がる廊下へと歩き出した。自分達の魂の在処へと。
部屋から出ると、背後で扉がすっと閉まる気配。
「婆ちゃん!」
思わず二人は同時に振り返り、美津代を呼んでいた。
が、そこに見えたのは薄暗い部屋の天井。遮光カーテンから漏れ入る朝の陽が照らす天井だった。
現実に戻ったのだ。
「終わった……」
早朝の部屋の中に吐息混じりの二つの声が重なった。
途端、驚いて二人は同時にがばっと起き上がる。
「怜ちゃん?」
「健ちゃん?」
「見たか!?」
そこまで全ての声が重なっていた。
見た事、聞いた事、起こった事に対し、二人は顔を見合わせたまま薄暗い部屋の中で暫し呆然とする。
階下からは微かな話し声が聞こえてきたが、二人は口を利く事がなんとなく怖くて、黙ったまま無闇に時間を刻んでいた。
だが、それでも重い口を開いたのは健一だった。
「これで、終わりなのか? 本当に?」
「……分からない」
眉を曇らせて怜治が答える。本当に分からないのだ。あれで終わりなのかどうなのか。だから素直に、分からない、としか言えなかった。
「だよな……。俺にだって分かんねぇんだし」
そこで二人揃って溜息を吐き出した時、目覚まし時計が鳴り出した。





