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雪月華  作者: 杏月飛鳥
罪と罰
31/39

 と、尻に硬い感触を覚えた。はっとして目を開けると、教室の中で席についていた。服装も制服になっている。さっきから周回していた楽曲も全く聞こえてこない。



 しんとしている。



 怜治は椅子に座っているのだと認識した途端、席を立った。そしてそのまま扉に飛びつく。クラス表示のプレートを見ると、そこは一年の時の教室だった。


 一年生の教室があるのは四階だ。図書室は一階下だった。怜治はもう名を隠す事はしないと決めている。だから人形達に見つかっても一向に構わなかった。


 落ち着き払って図書室まで堂々と廊下を歩いていった。いつも学校で歩いているのと変わらずに。


 しかし図書室までやってくる間、誰に会う事もなかった。図書室の前で立ち止まり辺りを見回してみても、人形達の影も形もなく、ましてや笑い声さえ聞こえてこない。



「いざ待ってみると、案外出ないもんなんだな」



 ぽつりと言葉を落として、目の前の扉を静かに開く。

 中は、昨日健一が力任せに蹴倒した机がそのまま倒れている状態だった。



「健ちゃん?」



 昨日と同じようにそっと声をかけるが、返答はない。

 仕方なしに怜治は蹴倒されたままの机を元に戻すと、その席について健一を待つ事にした。

 暫くそこで待ってみたが、健一が来るどころか人形達さえ現れない。



 不意に胸騒ぎがした。



 雪野は健一を恨んでいる。昨日の様子では、月姫と華緒は雪野の言いなりだ。もしかしたら、人形達に捕まってしまっているのではないかと思えたのだ。さもなければ、昨日のように図書室に来たくとも廊下が間延びして辿り着く事が出来ないかだ。


 それを思って、廊下に飛び出した。辺りには誰の姿も見えない。


 怜治は健一の名を呼びながら、まず階段を駆け上がった。四階で健一の名を呼ばわったが、反応はない。それから階下に駆け下りた。四階と同じように、各階で健一を呼ばわってみるが反応はない。そうしている間に一階まで来てしまった。一応昇降口まで行ってみたが、鍵がかかっていて外に出る事は出来ないようだった。


 今度はその足で体育館まで行ってみた。中はがらんとしていて人の気配はない。扉の外れた体育倉庫と更衣室にも行ったみたが、どこにも健一の姿はなかった。


 体育館をあとにして、怜治は音楽室へ向かってみた。昨日と同じように出会えるかも知れないと思ったからだ。

 急いで階段まで行き、四階まで駆け上がる。そして音楽室へと走った。


 あちこち駆け回ったせいで身体はくたくただったが、ここで根を上げるわけにはいかなかった。健一の安否を確かめなければならない。


 それにしても妙だ。これだけ走り回り、健一を呼ばわっているのに人形達が怜治の前に現れないのだ。ずっと感じていた胸騒ぎが段々と確信めいていくのが怖い。


 そんな思いに囚われながら、音楽室に辿り着いた。

 中からはかすかに楽曲が聞こえてくる。


 心臓は大きく早く脈を打ち、肺が破裂しそうなほど痛い。喉も擦り切れそうだった。唾を飲み込むだけで辛い。それでもなんとか音楽室の扉を真横に滑らせる。



 途端、いびつな音楽が小さく響いてきた。



 だがそれだけではなかった。開いた扉の中は、真っ白なもやのようなものが立ち籠めていたのだ。そのもやの中に微かに人影が見える。



「健ちゃん!」



 呼吸が乱れて喘ぐように叫ぶが、影は動かない。それを奇妙に思って足を踏み入れようとした途端、



『来てはいけない』



 女の声がした。昨日、切れ切れに聞いた声だ。

 大声を出されたわけではないが、その声は強く鋭かった。踏み入れようとした足が宙で止まってしまう。

 怜治はその声に促されるように、肩で息をしながら一歩後退(あとじさ)った。



「……誰?」

『ここに雪月華を連れてきなさい』



 誰何(すいか)に対する答えはないが、声はそう言った。

 雪月華。雪野、月姫、華緒の三人だ。

 彼女らを連れてこいと声は言う。



「誰だよ……、あんた」



 怜治の誰何(すいか)に、やはり声は応えない。微かに見える影も動かない。

 怪訝な顔になりながらもやの中の人影を見極めようとするが、それも叶わなかった。見えそうで見えないのだ。


 何者が雪月華を必要としているのか判然としないが、健一がここにいないのであればまた他を捜すしかなかった。


 怜治は怪訝な心持ちを捨てきれないままに踵を返し、今度は屋上に向かった。

 階段を駆け上がり、屋上に出る。外はいつものように真っ暗だ。月の細い光だけが辺りを照らしている。



「健ちゃん、いないのかっ!?」



 扉を乱暴に開け放った途端叫んだ。



「怜、ちゃん……っ、来るなっ」



 どこか弱々しい声が聞こえてきた。



「健ちゃん、どこだ!」



 息を切らして呼ばわる。呼ばわって、給水塔の方へと向かった。

 昨日、二人で月を見た場所に。



 そこには四つの影があった。


 一つは金魚を飼う女、雪野。

 一つは蝶を(はべ)らせる女、月姫。

 一つは桜の花弁を舞わせる女、華緒。



 最後の一つは。



 ──両瞼を縫い合わされた健一──。



「健ちゃんっ!!」



 目を最大限まで見開き、息苦しいのも忘れて、怜治は腹の底から叫んだ。


 健一は両脇から月姫と華緒に押さえ付けられて、縫い合わされた瞼から血を流して立っていた。縫合痕が痛々しかったが、それを更に痛々しく見せているのは、頬を伝って顎から滴り落ちる血の滴だった。



「怜ちゃん、来るな……逃げろ、早く音楽室に……っ」

「馬鹿野郎っ! 出来るわけないだろうっ!!」



 怜治は四つの影につかつかと近付いた。近付いて、一番手前に立つ雪野の前で止まる。



「どうしてこんな事をした」



 怒りに震える声で問うた。

 そんな怜治に向かい、雪野はひび割れた面に熟れた唇だけで笑ってみせた。



「わたくしを壊して人間になれないようにされたからですわ」

「……お前達は、誰も人間にはなれない」



「なれますわ。わたくしはもう無理ですけど、月姫か華緒のどちらかは。だって、貴方様の右目があるのですもの。そしてもう一つはここに」



 言って、血塗ちまみれの健一の左瞼を押さえる。



「縫い合わせましたから、名前を奪って、瞼を引き千切って取り出しましょう」



 想像するのも躊躇わせるような事をさらりと言う。



「なら、俺の右目をこの月明かりの下でよく見てみろ」



 その言葉に、雪野は両手で怜治の顔を掴むと、怜治の顔を引き寄せて右目を覗き込んできた。

 相変わらず冷たい呼気が顔にかかる。

 だが怜治は雪野の硝子玉の目から目を逸らさなかった。逆に、じっと見詰める。


 雪野は食い入るように見た。しかし雪野の思いとは裏腹に、月の明かりに照らされるとうっすらと光る筈の瞳は全く光を持たなかった。ただただ左目より、僅かばかり色が薄いだけの瞳だった。


 それに気づき、雪野は驚きに目を見開く。近付けていた顔も離れた。



「嘘……。光を持たない。これは、月の瞳ではないわ」



 まるで譫言のような響きの声を上げた。



「雪野お姉様?」

「雪野姉様?」



 月姫と華緒が不思議そうに声をかけてくる。

 それを遮るように怜治は言った。



「俺の名前を教えてやる。怜治だ。これで目を抉り出せるだろう? こんな役にも立たない目でよければ持っていけ。誰にでも植え付けろ。でも、誰も人間になんかなれない」



 雪野はその場に突然(くずお)れた。がっくりと落とした肩の辺りで金魚が波紋を作る。

 月姫と華緒は(くずお)れた雪野の元へと急ぎ寄った。



「お姉様っ」

「姉様、どうしたの?」



 女達が雪野に交互に声をかける。しかし雪野は目を見開いたまま何も答えない。いや、答えられないのだ。

 それを見て、怜治は冷たく言い遣った。



「この六日間、お前達がしてきた事は最初から全部無駄だったんだ。健ちゃんにした事も、人間になれなかった事に対する復讐じゃない。全く見当違いな逆恨みで、人間に憧れるだけの、ただのやっかみだ」



 だからって、俺はお前らを許さない。最後に呻くように付け加えた。

 怜治はいきなり雪野の胸倉を掴んで引き摺り立たせると、その顔に拳を打ち込もうと腕を振り上げた。



 その瞬間。



 ──怜治──



 頭の中に静かな声が響いた。

 怜治の振り上げた拳がそのまま止まる。慌てて辺りを見回すが、人形達と健一の他に周りには誰もいない。



 そこではっとする。



 雪野が感情のない面で怜治を見ているのだ。瞳は無表情を通り越して虚無を映し、何を考えているか全く分からないが、ただじっと見ている。


 その様を僅かばかり見詰めていたが、胸倉を掴んだ手をいつの間にか離していた。

 雪野はよろりと蹌踉(よろ)け、また(くずお)れそうになったところを月姫と華緒に支えられる。


 怜治の怒りは収まらなかったが、ふと健一の存在を思い出し、怪我を負った従兄弟の方を見た。

 すると、健一は両膝をコンクリートの床について、両手で目元を覆っていた。

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