壱
昨日に引き続き、健一も怜治も食欲があまりなかったものの、昨日よりは朝食を食べる事が出来た。
食事を終えて、すぐに二人は物置部屋へと入った。しまい込んだ人形を手にする為だ。
押し入れから木箱を引っ張り出し人形を見てみると、雪野の顔半分から漆喰が剥げて木目が覗いている。
「雪野の顔、ここまで酷かったか?」
健一が思わずといった体で問うてくる。
「いや。夢の中じゃ、ここまで酷くなかったよ。……俺達が逃げ出したあと、動き回って酷くなったのかな?」
「気持ち悪い事言うなよ。まるでこの人形自体が動き回ってるみたいじゃねぇか」
怜治は事も無げに、それをあっさりと肯定した。
「夢の中で会ってるのはこの人形だろう? だったら動き回ったっておかしくない」
「ちょっと待てよ。この人形は寄代なだけだろ? こいつに魂が宿ってるってやつだ。人形自体が動くわけねぇじゃねぇか」
「うん、まぁ、そうなんだけど……でもここまで酷くなかった事は確かだ。俺は間近で見てたから間違いない」
そこで怜治は、あ、と声を零した。
「どうした?」
反射的に怜治の顔を見る。
「華緒の袖が破けてる」
華の着ている着物の袖が、半ばまで破れていた。
「多分これ、俺のやったあとだ」
怜治の言葉に健一は、知らず息を飲んだ。
「人形の袖の方が破損が酷いな。華緒の袖はここまで破けてなかった筈だ」
怜治が華緒の袖を手に取って言う。
「……じゃあ、人形のくせに、人形を身代わりにしてるって事か?」
「変だけど、そうなるかな。雪野の顔も華緒の袖もおかしい」
健一はそこで嫌そうな顔を怜治に向けると、
「このぼろぼろの人形をお袋達のところに持っていくのか?」
どこか窺うように聞いてくる。
「仕方ないだろう。母さん達しかこの人形の事知らないんだから」
「お……おう」
健一は全く気乗りのしない顔で頷いた。
先にこの人形の事を母親達に聞こうと言い出したのは健一だったが、夢の中での事がこんな風に拡大解釈のように反映された事に対して戸惑いを覚えるのだった。
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「なぁ、お袋。ちょっといいか?」
健一が、リビングの食卓テーブルについてお喋りに花を咲かせている双子の姉妹の元へ木箱を持ち込んだ。
それまで姦しく話していた二人はぴたりとお喋りをやめて、健一とその後ろについて来た怜治に目を遣る。
「どうしたの?」
文代が不思議そうに問う。
「いや、この間見つけた人形なんだけどさ。婆ちゃんの遺品だって言ってたよな?」
言って、健一は二人の前に木箱を置いた。
「お婆ちゃんの? なんだっけ」
「ほら、怜ちゃんと叔母さんが来るからって押し入れ開けた時に俺が見つけた人形だよ」
その言葉に文代は木箱の蓋を開け、中から薄紙に包まれた人形を取り出す。
「あぁ、雪月華。……あれ? こんなに痛んでたかしら」
人形の状態を見て声を上げる。
「俺が知るかよ。さっき見たらそんなだったぞ」
健一は白々しく素知らぬ振りを決め込んだ。
「雪月華か。懐かしいわね」
今度は菊代が懐かしげな声を上げる番だった。
「菊代ちゃん、この人形知ってたっけ?」
「ほら、昔このお人形使ってままごとしたじゃない。文ちゃん忘れたの?」
「そんな事したかしら?」
文代は頬に手を当てて考え込んだ。
そんな文代に代わって、菊代が人形の名前を挙げていく。
「私、人形の名前もちゃんと覚えてるわよ。左から、雪野、月姫、華緒。お母さんが作ってたのも覚えてる」
「私もお母さんが作ってたのは覚えてるけど、名前までは覚えてないわ。ただ、お母さんがいつも『雪月華』って呼んでたのは覚えてる」
「この人形、婆ちゃんが作ったの?」
二人の会話に割り込むように怜治が声をかけた。
それを菊代が肯定する。
「そうよ。人形の髪の毛はお婆ちゃんの髪の毛よ」
「えぇ? 人毛なの!?」
それを聞いた健一が嫌そうに顔を歪めた。怜治は何も言いさえしなかったが、同じ気持ちなのだろう。眉が曇っている。
「それで、この人形がどうかしたの?」
文代がテーブルの上に、ことんと人形を置いて尋ねてきた。
「いや、婆ちゃんの遺品だって取ってあるから、何か謂われのあるものかなぁと思っただけ。……でも、そっか。婆ちゃんが作ったから取ってあったのか」
それを聞き、文代は思わずといった体で、
「でも、こう痛んじゃねぇ……」
と、溜息を零した。
その溜息を拾うように菊代が人形を手に取る。
「雪野の顔半分がないわ。華緒の袖も破れてるし……。文ちゃん、もう人形供養に出してもいいんじゃない? お母さんも怒らないわよ」
「そうねぇ……。じゃあ、最後にお墓参りの時、お別れの意味でお供え物と一緒に飾りましょうか」
「え? 人形供養に出すのか?」
半ば慌てたように健一から言葉が飛び出す。何しろ、その人形供養の先で人形が殺人を行ったのだから。
しかしそれを知らぬ二人は、
「一からお婆ちゃんが作った心のこもったものだから、まさかゴミに出すわけにはいかないでしょう?」
「古い人形には魂が宿るから、ちゃんと供養して魂抜きをして貰わなきゃね」
当然の事のように健一に言い聞かせる。
それを聞いた健一と怜治は居心地悪く目を見交わしあった。
その間、双子は袖を縫っておかなければなどと真面目に話し合っている。
「あのさ……」
健一は更に続けた。
「例えば、この人形で何か怖い思いした、とか、そんな話は?」
そう言う健一を双子が見遣る。
「人形で怖い思いって、何よ」
文代が不可思議げに尋ねてくる。
それに対して菊代が苦笑して言った。
「人形の髪が伸びるとかじゃないの?」
「あぁ、日本人形によくある話ね」
文代は健一に向かって、呆れ顔をした。
「人形の髪が伸びるなんてあるわけないじゃないの。ただのお人形なのよ?」
「いや、その……、婆ちゃんの髪を使ってるなんて言うから、そんな事なかったのかな、とか思ってさ」
言って、あははと誤魔化すように笑ってみせた。
「何言ってるのよ。馬鹿な事言うもんじゃないわよ。みんな綺麗に切り揃えてあるじゃない」
そう言いながら、文代は人形の髪に手を伸ばした。
人形の髪は、皆綺麗に切り揃えてあるばかりだ。
それに健一が所在なげに頭を掻いているところへ、今度は怜治から声がかけられた。
「あのさ、母さん。俺の目、なんだけど……」
「ん?」
菊代が人形から顔を上げて怜治を見る。
「俺の目、片方だけ色がほんの少し薄いだろ? この目、なんかあるの?」
「どうして?」
「いや、なんでかな、と思っただけなんだけど……」
どうも言葉尻が尻窄みになる。
だが菊代は、当たり前のように言い遣った。
「お婆ちゃんからの遺伝よ。お母さんも同じでしょう? 文代伯母さんも健一君も一緒。特別何かあるわけじゃないわ」
「えっと……『月の瞳』って、聞いた事ないかな?」
「何、それ? ドラマ?」
「あ、いや……なんでもない」
尋ねた怜治は、母の答えに肩を落としていた。その肩を健一がぽんと叩く。叩いてから健一は、
「その人形さ、押し入れにしまっておくか?」
出しっぱなしにするのがなんとなく嫌で聞いてみた。
すると文代は首を横に振る。
「いいわ。どうせ明日お墓参りに行くんだもの。持って行くんだから、出しておいた方がいい。袖も縫わないとならないしね」
結局、母親達からはめぼしい情報を得る事は出来なかった。それどころか、あの人形を出しっぱなしにされるという事態が発生してしまった。しかも、墓参りのあとには人形供養に出すというオプション付きだ。
肩を落としてとぼとぼとリビングを出て行く二人に、菊代から「どうしたの?」と声がかけられたが、「夏バテで身体が怠いだけ」と返して二人は部屋へ戻っていった。





