弐
突然の豪雨は午後十時頃まで続いていたが、十時過ぎには小雨程度にまで収まっていた。
夕飯には相変わらず食欲のない二人にあわせて、これなら食べられるだろうと、冷や麦にしてくれた。健一も怜治もいまいち食指が伸びなかったものの、何も食べないのは親に心配をかけるからと、なんとかそれを口にした。
食事を終えて二人は今夜もやってくるだろう夢に警戒心を抱きながら、部屋でテレビを見つつ時間を潰していた。それでも十一時に差し掛かる頃にはテレビを消した。健一はスリープモードになっているパソコンを立ち上げ、昼間聴いていた洋楽の続きを流し始める。
生温く湿気った重い空気が扇風機から送られてくる中で、怜治はなんの気なしに布団に寝そべった。別に眠るつもりはない。ただ、身体が怠いのだ。今夜はもう本に目を通す気にもならない。それは健一も同じようだった。机前の椅子にぐったりと座り込み、背凭たれに凭れている。
「あと一時間か、二時間後か……」
健一が呟く。
夢の始まる時間の事だ。
「いい加減疲れてきた。本当にいつまで続くんだろうな」
「そんな事言ったって……なんとか解決策を探さなきゃならないよ」
健一のぼやきにも似た言葉に怜治が返す。
「せめて諦めてくれたらなぁ」
「怜ちゃんを襲っておいて、今更諦めると思うか?」
きぃと椅子を軋ませながら健一が椅子ごと振り返る。
「一体俺達のこの目に何があるんだ? それさえ分かればな」
言いながら健一は自分の左目を触る。
それを受けて、
「ただ色が薄いだけじゃないのかな? 母さんも同じ目だけど、特に話を聞いた事ないしな。ただ、婆ちゃんからの遺伝だって事しか知らない」
怜治も自分の右目を触り、その下につけられた傷を辿った。
「なんなんだろうな、俺達の目」
「果たして婆ちゃんさえ知ってたのかどうかって話だな」
どこか投げ遣りに健一が言う。
そこで怜治がむくりと起き上がり、とんでもない事を言いだした。
「いっそ聞いてみるか。俺が雪野でも誰でもいいから捕まって」
「何言ってんだ、怜ちゃんっ」
がたんと椅子から立ち上がる。
そんな健一を見遣って肩を竦めた。
「やっぱり、駄目かな」
「当たり前だろ! 馬鹿な事言うなっ」
「ごめん。悪い冗談だな」
「冗談にもなってないぞっ」
言われて、改めて怜治は目の下の傷に指を這わせる。
その仕草を見止めて、
「傷、痛むのか?」
今度は囁くように聞いた。
「いや、痛くない。……思い出すんだ。雪野の目を……硝子玉みたいになんの感情もないのに……両目を見開いて、血走らせて、俺の名前を知ろうとした時のあの目」
あれはただ事じゃなかった、と付け加えるように呟く。
最後の呟きに健一は言葉を詰まらせかけたが、敢えて聞いてみた。
「そんなに気になるのか?」
「正面切って話してみたいくらいには」
「人殺しなんだぞ? 怜ちゃんだって、何されるか分かんねぇっ」
「でも……」
そこまで言って、怜治は言葉を切ってしまった。
それがなんだか恐ろしい事のような気がして、健一は怜治に念押しした。
「もし、また学校に飛ばされたら、ちゃんと図書室に来るんだぞ」
「大丈夫。ちゃんと行く。俺だって怖いから」
「無茶しねぇって約束できるか?」
その言葉に、怜治はふと健一を見た。見返された健一は真剣な顔をしている。
それに対して怜治は強く頷き返した。
「なら……いいけどさ」
溜息混じりに言って、椅子に腰掛け直す。そのまま健一はパソコンを弄り始めた。すると、それまでかかっていた曲が突然止まり、別の曲が流れ出す。ジャズだった。
怜治は健一がジャズを聴く事が意外で声を上げた。
「健ちゃん、ジャズなんて聴くのか?」
それに振り向くと、苦笑気味に返す。
「落ち着かない時、時々な」
その言葉に眉を曇らせた。
「やっぱり落ち着かない?」
「まぁな。昨日ってぇのか今朝ってぇのか……。兎に角、突然学校になんか飛ばされただろ? 今夜だってどうなるのか分かんねぇ。落ち着かないし、不安だ。いつまでこうして喋っていられるのかも分かんねぇんだしな」
怜ちゃんは? と聞かれて、怜治は言葉に詰まった。思わず俯いてしまう。





