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雪月華  作者: 杏月飛鳥
雪月華
19/39

 気付いた時には制服姿で体育倉庫の中にいた。鍵がかかっているらしく、扉は開かない。



 薄暗い中で、健一は扉を叩きながら幾度か怜治の名を叫んでみた。けれど、なんの反応も返ってこない。誰の足音もしないのだ。



 さっきまでは確かに自分の部屋だった。時計を見て、怜治に声をかけたあと瞬きをしたらここにいた。何がなんだかわけが分からなくて混乱したが、それでも夢の中に飛ばされた事だけはなんとか理解した。そうでなければ、こんな事はあり得ないのだ。




 体育倉庫はしんとしていて、聴いていた筈の曲はどこからも聞こえてこない。




 今までは夢の中に飛ばされても自分の部屋の中だったが、今夜は違う。ここが学校の体育倉庫なのは分かったが、今夜に限って何故こんな場所に飛んでしまったのか理解できなかった。しかもこんなところに閉じこめられて、健一は手も足も出ない。



 そして怜治はどうしているのだろうか、と思う。怜治もこの夢の中に飛ばされているのか、それとも現実にいるのかは不明だ。兎に角今は、どうやって目を醒ませばいいのかと、そればかりが頭を回る。何しろここは、あの人形達の作り出した夢の中なのだから。



 健一は折り畳まれたマットの上に腰を下ろし、扉をめ付ける。そんな事をしても鍵が開く事はないと分かっていても、見ずにはいられなかった。だが僅かでも何かしらの変化が起こるなら、それを見逃したくないとの思いもあった。




 誰でもいいから扉を開けれくれ、と強く思う。



 たとえそれが雪、月、華のいずれかでも構わなかった。




 どうする事も出来ずに暫く体育倉庫の中でじっとしていると、不意に人の声が聞こえた気がした。その声はとても小さいが、体育館の中に微かに響いている。慌てて扉に飛びつき、耳を押し当てる。



 広い体育館に響く声はどうやら女の笑い声のようだった。それが近付いてくるのだ。健一は咄嗟に扉から離れた。また扉越しに捕まっては(たま)らないと思ったからだ。



 そのまま健一は、そっと音を立てないように跳び箱の陰に隠れた。雪月華の誰が来るのかは分からないが、扉を開けたと同時に外に飛び出そうと考えたのだ。



 じっと身を固くして扉を盗み見る。すると、けらけらと笑う声がはっきりと聞こえてきた。扉の前にまで誰かがやってきたのだ。



 こつ、こつ、と扉が小さく叩かれる。



「ねぇ、いるのでしょう?」



 どこかふわふわとした声は月姫のものだった。



「ここから出してあげる」



 こつ、とまた扉が叩かれる。そして言葉は続く。



「ねぇ、れいちゃんが今頃どうなってるか知りたくなあい?」



 その言葉に健一は思わず息を詰めた。怜治が今どうなっているのか、健一も知りたいのだ。けれど、ここから出られない為に、どうする事も出来なかった。しかし月姫は知っているのだろうか? 怜治が今どうしているのかを。



「今ね、雪野お姉様が追いかけてる」



 こつ、こつ、と小さく扉が叩かれ、月姫はそのまま言葉を続けた。



「今頃、れいちゃんは目玉を()り抜かれてるかも……嫌よね、ねぇ」



 その言葉に健一は思わず声が出そうになったが、敢えて口を噤んだ。声が出ないように唇を真一文字に引き結ぶ。



「返事をして。れいちゃんがどうなってもいいの? あたくしなら貴方をここから出してあげられるわ。一緒にれいちゃんを助けに行きましょう」



 全ては甘言だと思った。僅かでも声を出せば、月姫がここに押し入って目玉を()り抜こうとすると。だから口を噤み続けた。



 その(かん)も月姫の言葉は続いたが、全て無視した。



 確かに怜治がこの夢の中にいるのなら危険な目に遭っていないとも限らない。が、まずは己を護る事から成さねばならない。自分が無事でなければ、怜治に何があっても助ける事すら出来ないのだから。



 次々と続く月姫の甘言がふとやんだ。いなくなったのか、とも考えたがそうではない。扉の向こうにもう一つ気配が現れたのだ。



「姉様、ここにもう一人いるの?」



 その声は月姫の声に比べると甘やかで、僅かにあどけない。



「華緒。お前まで来たの」



 甘言を垂れ流していた月姫の声音がワントーンダウンして、冷たく響く。冷たいと言うよりも、急に現れたらしい華緒をあからさまに邪険にしている風だ。



「ここにもう一つの目があるなら、すぐにでも抉り出してしまいましょう? 私がやってあげる。慈海(じかい)様の目を抉り出して殺したのと同じようにして」



 甘やかであどけない声が恐ろしい言葉を吐き出す。



 慈海──。確かあの寺で会った住職は慈海と言わなかったか? やはりあれをやったのは華緒だった。それを思い知らされて、健一の全身の産毛がぞうっと総毛立つ。



「折角三人揃ったんだもの。ここに引き込んだ(・・・・・・・)のも私たちの力じゃない」




 ここに引き込んだ(・・・・・・・)? 私達の力?




 それは一体なんの事かと思う。彼女ら三人が揃うと学校に引き込まれるという事か? ならば何故学校なのだ? わけが分からない。



 華緒がそこまで言った直後、めきっと音が倉庫内に響き渡り、健一の思考は中断された。



 はっとして扉を見ると、無理矢理に扉がこじ開けられようとしているのに気付いた。鍵の部分が軋んで音を立てている。月姫か華緒かは分からないが、どちらかが強引に扉を開けようとしているのだ。



 扉がぎしぎしと音を立て、鍵がめきめきと音を立てる中で、突然扉ががたんと音を立てて開かれた。扉が外れたのかも知れない。とてつもない力だった。



 扉が開け放たれた瞬間、健一は咄嗟に跳び箱の陰に隠れた。



「どこにいるのかしら?」



 月姫が声をかけながら体育倉庫内に入ってくる気配がした。それに引き続き、もう一つ別の気配もする。多分、華緒だ。二人の気配は扉付近にあった。このまま飛び出して捕まるわけにはいかなかったが、いつまでもじっとしているわけにもいかない。今なら二人の隙を突いて弾き飛ばせるのではないかと頭のどこかで思う。



 緊張の為に荒くなりそうな息を極力抑えて、静かに深く呼吸する。身体も震えたが、それも無視した。



「姉様、ここに本当にいるの?」



 華緒が問う。



「よく聞いてごらん。息をする音がするから」



 その言葉にはっとして呼吸を止めた。


 健一が呼吸を止めた事によって、倉庫内はしんとしている。



「……そんな音、しないわ」



 華緒がふてくされたように言い遣る。



「おかしいわ。だって、震える呼気が聞こえたもの」

「姉様の聞き違いじゃなくて?」



 そうしている()にも息がどんどん苦しくなってきた。心臓は早鐘を打ち、身体は酸素を求める。



 もう、今しかないと思った。



 健一は呼吸を再開したのと同時に飛び出していた。



 蝶が舞う振り袖と桜が舞う振り袖を確かに目にしたが、それも一瞬の事。その二つの舞いに向かって健一は突進していった。



 不意を突かれて、二人は弾き飛ばされていた。女の短い悲鳴と、がたがたんと倒れ伏す音が背後から聞こえ、健一は一目散に倉庫と体育館を走り抜けた。



 校舎へと続く渡り廊下を抜けて、上階へと続く階段までやって来た。今は兎に角怜治を捜す為に階段を駆け上がった。月姫の言葉が本当なら、怜治も校舎の中にいる筈だからだ。一番いそうなのは教室だと思う。



 階段を駆け上がり、廊下を走り抜けて怜治のクラスまでやって来た。扉を乱暴に開け放つと、怜治の席に本が置かれているのを見つけた。教室に入り、席に近付いて置かれている本を見ると、それは部屋で怜治が手にしていたものだった。それを確かめて、確かに怜治は校舎内にいるのだと悟る。





 だが、一体どこに?





 一応、健一は自分のクラスも覗いてみたが、そこにもいない。



 もう一度廊下に出て、上がってきた階段とは反対側にある階段を下りていった。そのまま一階まで下りれば、すぐに保健室がある。そこなら内側から鍵がかかる筈だった。それを思い出して、一階まで下りた。



 健一は一階まで下りて、一応辺りを警戒する。月姫と華緒が彷徨(うろつ)いているかも知れないからだ。しかし、辺りはしんと静まり返っている。彼女らが身に纏っている振り袖の影もない。




 それを確かめて保健室の前まで来たが、扉が開きっぱなしになっている事に気付いた。




 中をそっと覗くと、ベッドを囲っているカーテンはカーテンレールから半ばまで引き千切れて、ベッドが横倒しになっているのが目に入った。



 それを見止めて慌てて中に入る。倒れているベッドに近付くと、傍に血が数滴落ちていた。


 その有様に、怜治と雪野が争った跡だと理解するのに一秒とかからなかった。



「怜ちゃん……っ」



 思わず声に出ていた。



 もう月姫と華緒に見つかる事さえどうでもよくなっていた。健一は怜治の名を叫びながら廊下を、階段を駆けた。隠れられそうな場所の多い特殊教室を中心に捜し回る。




 そうして一つの事に気付いた。




 本当の校舎なら、常にはかかっている筈の鍵がどの教室にもかかっていない事に。同時に閃く事があった。屋上へ続く扉はどうなっているのかと。普段なら開いていないが、どの教室の鍵もかかっていないのであれば、屋上へも行けるのではないかと思ったのだ。



 それに気付いて、健一は屋上に続く階段へ向かった。


 けれど、その階段前まで来て健一は逃げなければならなかった。




 華緒がいたのだ。




 黒い硝子玉のような瞳が健一を映し、唇が裂けるように笑みの形に開く。そして桜の花弁が舞う袖を翻して襲い掛かってきたのだ。



 健一はその場から一目散に逃げ出した。身を翻し、来た道を逆戻りする。背後からはきゃらきゃらと笑い声が響いてきた。




 華緒の笑い声だ。




 それは実に楽しそうな笑い声だった。獲物を見つけた喜びに満ちている。




 健一は廊下を駆けながら、頭の隅でこの夢から醒めるにはどうしたらいいか考え始めていた。これはどこまで行っても夢でしかないのだ。華緒から完全に逃げ出す為には目を醒ますほか手はない。



 階段を駆け下り、廊下を抜け、また階段を駆け上がる。



 そうして廊下を曲がった時、聞き覚えのある音が耳に届いた。それは音楽(ロツク)だった。廊下を闇雲に突き進むと、その音楽は徐々に大きくなってくる。




 間違いなくキラー・ビーの楽曲だ。




 ふと、健一の目に音楽室のプレートが飛び込んできた。今彼の耳に聞こえている曲はそこから流れているようだった。


 背後を振り返ると、まだ華緒が笑いながら追ってきていた。それでも音楽室に飛び込む。



 そこがゴールのような気がして。

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