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雪月華  作者: 杏月飛鳥
第三夜
13/39

 コーヒーを飲んで人心地つくと、怜治はぽつりと呟いた。



「それにしても嫌な夢だったな」



 それを健一は黙って聞いていた。

 怜治はそのまま零すように呟き続ける。



「でも、なんであいつ、手が赤かったんだろう。絵の具でも塗ったみたいに真っ赤だった」

「なんだろうな」



 健一がその言葉に考え込む風に言う。



「分からない……」



 そのまま会話は途切れてしまった。二人共華緒の手が赤い理由を考えたが、その理由は思い当たらない。全く分からないのだ。


 そうして暫くしてから、健一が口を開いた。



「兎に角あいつらは、俺の足に跡を残すぐらいには現実世界に影響のある夢を見せるからな。気が抜けない」

「俺も知らない間に眠ってた。少しも眠くなかったのに……。そう考えると、かなり影響力あるんだな。……出来る事なら、このまま人形供養が出せるって事になって欲しいけど」

「そうだな。返事は明日に繰り越しだもんな。今夜は気をつけなきゃならねぇな」



 それに対して、怜治は頷いてみせた。そして言う。



「兎に角、今夜くらいは寝ないで過ごしたい。もし俺が寝たら、すぐに起こしてくれ。健ちゃんが寝たら、俺が起こすから」

「分かった。俺も変な夢は見たくねぇからな」



 そう返して、またコーヒーを一口口に含んだ。コーヒーの苦さが舌の上に広がる。それが眠気を遠ざけてくれるような気がした。


 それを見て、怜治も再びコーヒーを口にする。コーヒーは少し濃いめで、まるで目が醒めるようだった。



「それにしても、あいつら、なんだって俺達の目を欲しがるんだ?」



 健一が一番の疑問を口にした。

 だが、怜治にはそれに答える事は出来ない。



「月姫が、『お婆様はくれなかった』とか言ってたけど、婆ちゃんの事かな?」

「分からない……どういう事なんだか」

「俺達の目がなんだってんだ。お袋だって同じ目を持ってるのに」

「母さんもだ」



 そこで重苦しい沈黙が落ちる。

 暫し互いにコーヒーを飲みあったが、やがて健一が口を開く。



「でも、目をつけられたのは俺達なんだよな」



 それに怜治も黙って頷き返した。

 どちらからともなく、深い溜息が漏れた。


 そのあとは、時々他愛ない会話を挟みながらコーヒーを飲みつつ、健一と怜治は漫画を読んで過ごす事にした。時折息抜き程度にスマートフォンでパズルゲームなどをして、朝が来るのをじっと待った。


 朝日が昇るのを待つ為にカーテンは開け放たれ、網戸だけにしておいたが、ある瞬間、網戸にあり得ないものがぶら下がったのに怜治は気付いた。それは丁度、本のページを捲ろうとしていた時だった。



 スマートフォンのゲームで遊ぶ健一の背後に、人がぶら下がったのだ。



 薄桃色の振り袖。振り袖の中の桜がひらひらと舞って、その先にある両手は真っ赤だった。そしてあの硝子の瞳が健一を睨み付けるように見詰めている。



「健ちゃん、後ろ!」



 反射的に大声で叫んでいた。


 指摘された健一が顔を跳ね上げ、背後を振り返る様がスローモーションのように見えた。まるで粘度の高い水飴の中にでもいるようにゆっくりと。そして、背後を振り返った健一が上げた叫び声も、水を通したようにいびつに聞こえる。


 次の瞬間、健一が水飴の中から抜け出し、物凄い勢いでベッドから転がり落ちた。



「な、なんだ、あれ?」



 健一は尻で這いずって、ドアに背をぶつける。



「華緒だ……っ!」



 怜治が掠れた声を上げると、窓に逆さに張り付いた華緒は目をきろきろと動かし、怜治と健一を見比べた。そうして、よくよく見ないと分からないほどの申し訳程度に紅が引かれた唇を、にやぁと笑ませる。だが、やはり真っ黒な大きな目はまるで笑っていない。硝子玉を嵌め込んだように、ただそこにあるだけだ。なんの色も浮かばない。長い黒髪は、逆立つように垂れ下がっている。


 それを見遣って、健一が震える声を出した。



「なぁ、俺が寝てるのか?」

「分からない。俺が寝てるのかも知れない」



 怜治も震える声で答える。


 そんな二人をきろきろと見て、華緒は真っ赤に染まった右手を網戸に突っ込む。が、差し込まれた筈の指先から腕は消えていく。網戸から内側には入っていないのだ。


 しかし、腕は意外なところから現れた。

 ドアだ。ドアからゆっくりと腕が生えてくる。そして、健一の喉輪にぐっと絡める。



「……っ!」



 一瞬で健一の息が詰まった。それは物凄い力だった。首を絞められた時、咄嗟に両手で引き剥がそうと爪を立てたが、冷たい腕の感触がするだけでびくともしない。


 そこに怜治の力も加わるが、どうやっても外れそうになかった。



「健ちゃん! 健ちゃん、しっかりしろ! 今外してやる!」



 健一も怜治も渾身の力を込める。怜治は腕を掴んだまま、ドアに足をつけて突っ張ってみるが、それでも外れない。


 そのうち、健一の意識が朦朧としてきた。息苦しさと血流の流れが止められて、頭の奥がぼうっとしてくる。目の前が徐々に暗くなってきた。


 その時、腕の角度が変わった。真っ赤に汚れた手が健一の顔に這ったのだ。指先で左目を探ろうとしている事に気付き、怜治はそこである事に気がついた。


 この腕は本体ではないのだと。本体は窓の外にいる。それを思って腕から手を離し、窓に向かった。ベッドに上がり網戸を開けると、その先にいる華緒に殴りかかったのだ。


 思い切り顔面を殴ると、ぎゃっと声がして消えた筈の腕が現れた。それと同時に、ドアから伸びていた腕が消える。華緒はそのまま窓からずり落ちて、地面に激突した。どしゃっと大きく歪な音が響いてきたが、今は健一の安全を確認するのが先決だった。



「健ちゃん、大丈夫か!」



 健一は大きく噎せ込んでいた。一気に血流が巡り、酸素が喉に流れ込んできて返事もままならない。布団の上で四つん這いになって、呼吸を整えるので精一杯なのだ。


 その健一の背をさすりながら声をかける。



「華緒はもういない。地面に落ちた。もう大丈夫だぞっ」



 健一はそれになんとか頷き返す。言葉は出なかったが、頷く事くらいは出来た。それでも苦しくはあったが。暫くは身体全体で呼吸を繰り返していたが、やがてそれも治まり顔を上げた。



「死ぬ、かと……思った」

「首、大丈夫か?」



 健一が喉輪をさすっているのを見て、思わずそんな言葉が出た。



「首、跡ついてるか?」

「いや、ついてない。多分、腕だったからなんだろうな。手でやられてたら、多分ついてた」

「そう、か。朝になって……お袋達に見つかったら、大変だったな」



 苦しげな息の元から、無理矢理笑みを作ってみせる。



「健ちゃん……」



 それしか言葉が見つからない。



「怜ちゃん、有り難うな。あいつ、追っ払ってくれて」



 言って、身体を起こす。布団の上でへたり込んではいたが。



「思いつきでやっただけだ。上手くいかなかったら、健ちゃんが危ない目に遭ってた」



 それに対して笑んでみせたが、ふと真剣な顔付きになると、



「俺が襲われたって事は、これは俺が見てる夢なのかな?」



 呟くように口にした。それからベッドに背を凭せ掛けて、



「でも、俺には眠った記憶はない。それとも寝オチしたのか? ……さっきまで、確かにゲームしてたのに」



 どこか考え込む風に口を開く。



「健ちゃん、俺だって知らないうちに眠ってたんだぞ? あいつらには、そういう力があるんだ。どこまでが現実で、どこまでが夢なのかが分からない」


 疲れたような溜息を零して、怜治が言う。そしてベッドの上に上がると、窓から地面を見下ろした。

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