表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪月華  作者: 杏月飛鳥
第三夜
12/39

 叫んだ瞬間、



「怜ちゃん、ちょっと退けよ」



 不意に聞き覚えのある声が聞こえてきた。女の声ではない。


 硬く瞑った目を開くと、視界がおかしかった。視界の中が直角に歪んでいる。いや、自分が横になっていると気付くのに数秒かかった。手元を見てみると、左手で単行本をきつく握り締めている。



「怜ちゃん、起きろ。ドア開かねぇって」



 怜治は慌てて起き上がった。知らぬ間に眠っていたらしい。そしてドアの前に寝転んでいたのだ。

 ようやく扉を開けて入ってきた健一が不思議そうな顔をしていた。



「寝オチか?」



 そんな言葉を聞きながら時計の針を見ると、さっきと同じように午前零時にさしかかっている。どこまでが現実で、どこからが夢なのか分からない。見当もつかなかった。


 怜治は前髪を掻き上げながら、健一に尋ねた。



「ドア、どんどんやってたか?」

「は? いや」



 言って、健一は首を振る。



「夜中だし、あんま煩くできねぇから。ただ、ドア開けようとして押してはいたけど」

「……そうか、そうだよな」

「どうした?」



 そう声をかけられて、大きく息を吸い込んだ。そして吐き出す息と共に、



「随分長い事、階下(した)にいたんだな」



 僅かばかり非難めいて言う。



「それがさ、インスタントコーヒーなくて、豆しかなかったからミルで挽いてたんだけど、随分遅くなっちまったな」



 悪い、悪い、と苦笑いしながらドアを閉めて、手にしていたマグカップの一つを怜治に手渡した。



「あ、サンキュ」



 健一はベッドに腰掛けながら、



「それよりどうしたよ? 寝ないって言ってたのに、やっぱり眠くて寝オチしたか?」



 言いつつ、コーヒーを啜った。と、そこで思い出したように言う。



「あ、コーヒー沢山煎れてあるから、なくなったらコーヒーメーカーから勝手に入れてきていいからな」

「……うん、分かった」



 答えたが、覇気がない。

 それに不信感を覚えたか、健一が声をかけてくる。



「なんかあったのか? 酷い顔して……」



 そう口にして、急にはっとして口を噤んだ。そして、恐る恐る口を開いた。



「夢、見たのか?」



 ここまできて怜治も隠すつもりはなかった。隠すだけ無駄だからだ。それどころか、隠せばもっと悪くなると思えた。だから健一の問いに頷いた。



「『華』……か?」

「多分。華緒って言ってた」

「華緒?」



 それにもう一度頷いて、今さっき見た夢の内容を話した。粟肌立つ身体を少しでも温めようと、マグカップを両手で握り締める。



「どこまでが現実で、どこまでが夢か分からない。それにあいつ、俺の名前知ってた」



 それを聞いて、健一はすまなそうに肩を落とす。



「それは多分、俺のせいだ。話したろ? 俺が今朝見た夢。あの夢の中で怜ちゃんの名前呼んだんだ。だから知ってるんだと思う。きっと月姫が教えたんだ。……ごめん」



 すっかりしょぼくれた健一に、怜治は言った。



「そうか。それで知ってたのか。……いや、いいんだ。健ちゃんのせいじゃない」



 それに、と付け加える。



「あいつらに俺の名前そのものが知られたわけじゃないし」

「……どういう事だ?」

「怜治って名前が知られたわけじゃないって事だ。あいつ、俺の事、『れいちゃん』って呼んでたから」

「それが……何?」



 きょとんとする健一に、怜治は少し笑んで言った。



「名前には魂が宿るって話、聞いた事ないか?」



 その話に健一は、「いや」と言って首を振る。



「名前には意味があるだろ? それはその人そのものを表す言葉だ。名前は霊魂の宿る言葉だって言われてる。『真名(まな)』ってやつだ。でも俺の名前をあいつらに知られたわけじゃない。だから多分、大丈夫だ」



 健一は目をしばたたかせて、不思議そうにしている。

 それを見返して怜治が更に言う。



「意味、分かんないか?」

「いや、理解は出来た。でもさ……」

「怜ちゃんって呼び名がばれても構わない。怜治って名前じゃなきゃ」

「まぁ、確かに『怜ちゃん』はただの呼び名だからな……」

「なんか、あいつらに怜治って名前が知られたら、俺、何かされそうな気がする」

「どういう事だ?」



 怜治は考え込む風に一度口を噤んでから口を開いた。



「なんて言えばいいんだろうな……、自分でもよく分からないけど、勘みたいもんかな。兎に角、何かされそうだなって」

「何かされる……?」



 呟くように言って、急に健一は何かを思いついた顔になった。



「だったらこうしねぇか? もしあいつらに名前を言わなきゃならなくなった場合、別の名前を名乗るってさ。……そうだな……」



 健一は顎に手を添えて考え込む。



「俺は……建治、怜ちゃんは怜一って言うのはどうだ?」

「名前の下を取り替えるのか。……そうだな、もし本当に名乗らなきゃならなくなったら、そう名乗ろうか。どうせあいつら、俺の呼び名しか知らないしな」



 お互いに目を見交わし合い、頷きあった。それからコーヒーを飲む。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろうSNSシェアツール
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ