隣人
信じられなかった。まさか、こんな風に再会するなんて。
陽斗はそんな思いでいっぱいで、自分で喋ったはずの自己紹介の台詞もろくすっぽ覚えていられなかった。
頭を占めるのは木原亜希と名乗ったキヌの生まれ変わりだ。黄昏に交わした約束で魂が繋がっているからわかる。彼女はあのキヌなのだ。
しかし、彼女は前世なんかに関しては全く覚えていないようで、昨日もそうだったようにヨウである「田島陽斗」という存在に何の反応も示さなかった。
頭の中が亜希のことばかりを考えてしまって、少ないながらのクラスメイトの自己紹介も頭に入って来なかった。
陽斗はそれくらい困惑していた。悪魔のヨウであった記憶を取り戻したときでさえ、あんなにも冷静だったのに、今ばかりはそれを失っていた。
「……おーい、田島?」
まだ混乱したままの視界の中で、ひらひらと揺れるものがあった。それは隣の人物の手だった。
右隣に座る男子生徒。当然陽斗と同じ制服に学年を示すバッジをつけている。ええと、確か、名前は……
「衣川明だよ。お前、さっきからなんかずっと心ここにあらずって感じじゃね?」
少し横に遊ばせている髪型が特徴的なその少年は陽斗のことをよく見ていたらしい。図星をつかれ、陽斗は苦々しい面持ちで黙るしかなかった。
そんなにも露骨だったか、と反省する。
「で、何かな衣川くん?」
「何もかにもないさ。お隣さんだぜ? よろしくしようぜってな」
「隣人に優しくせよって? キリスト教かよ」
隣人に優しくせよというのはキリスト教の有名な教えだ。一応、悪魔だった頃の知識が復活しているため、神を奉る感じの文句にはあまり好意を覚えない。
見た目チャラそうな感じの衣川はからから笑いながら、「つれねーの」と流す。
「一応心配してんだけどな。お前、なんか変だぞ?」
「変って?」
「なんか、心ここにあらずだし、混乱してんだろ」
それもまた図星で、陽斗は言葉をなくす。衣川は心配そうに眉をひそめる。
頭の後ろで腕を組み、盛大に背もたれに凭れかかりながら、衣川は問う。
「それともお前、結構初なのか?」
にやりと人の悪そうな笑みで。
「う、初って何だよ?」
「ほら、木原センセ。美人だもんな。あの先生入ってきてから目を奪われてた? って感じ」
さすがは隣人を名乗るだけあってよく見ている。確かに陽斗は亜希という副担任にばかり目を奪われていた。
何せ、彼女はキヌなのだ。ヨウとして目覚めた陽斗としては気にかけない方が難しい。……あちらが一切覚えていないというのは痛いが、思い出し、人間としての生を得られたからには、あの黄昏に交わした約束は果たしたいところだ。……今度こそ、一緒にいよう、と。
そうこれは時代を越えた恋愛話なのだ。ヨウである陽斗にとってはかけがえのない約束なのだ。
「でもさあ、先生に憧れるのはいいけど、恋慕はどうかと思うぜ?」
「はっ!? 恋慕!?」
衣川の指摘に陽斗はたじろぐ。
そんな目で「木原亜希」を見た覚えはないが。
衣川は制服を少しだらんと着崩しながら、「そーそー」と応じる。まるで何事でもないように。
「もしかして、無意識なの? お前、あの教師の一挙手一投足に目を奪われていたみたいだけど?」
「……」
それは否定できない。
キヌだと思うと、どうしようもなく、愛しく感じてしまうのだ。その一挙手一投足が自分に向けられたものでないとしても。
けれど、前世がどうとか話したって、何も知らない衣川には「頭がどうかしてるんじゃないか」と片付けられてしまいそうだ。全く、人間というのは信仰心があるのかないのが。否、この大和の国の民が特殊なのかもしれないが。
この国は宗教の自由がある。だから、宗教に関しての知識は広く浅い。その分、一つの宗教観に対し、信仰が深かったり、浅かったり、とまちまちなのだ。
そんな曖昧な宗教観の最中で、再び巡り会えただけでも、奇跡と言っていいのだろう。