黄昏の約束
※最終回ではありません※
寿命を分け与える?
その言葉の不穏さに、キヌはすぐに気づいた。
「寿命……? まさか、貴方様は自らのお命をお捨てになってまで私を救おうと?」
「ええ」
ヨウはなんでもないことのやうに頷いた。
「悪魔とは魔なるもの。代償なくして願い叶うことはないのです。そしてその代償は、願いと等価でなければならない」
つまり、命を願った代償は、命ということになる。
「どうしてそこまで……」
キヌの疑問は当然であった。
キヌにとって、ヨウは一方的に目で追いかけていただけの存在であるのだから──
だが、ヨウにとってはそれだけではなかった。
キヌはヨウにとって、命を賭しても構わない、そう思えるくらいの存在なのだ。
時は一月遡る。
ヨウは元々外つ国の思想に依り生まれた悪魔であった。「悪魔」という存在は外つ国では広く存在している思想で、それ故に悪魔は現実に存在するようになった。人間に気づかれないやうに、人間の姿に成り済まして。
ヨウもそんな悪魔の一人だった。悪魔の中では最近生まれた新参者。故に人間の姿となるときは、子どもの姿を取ることにしていた。
子どもといっても、外つ国での子どもである。大和の子どもと比べると、年嵩が上に見えるような姿であった。ヨウの取っていた姿は外つ国では十に満たない年齢の者であったが、大和の国からすると、十つ半ばに見えたかもしれない。
ヨウは悪魔であるため、人間の「社会生活」というものの中に組み込まれることはなかった。悪魔の多くは人間の思想に基づいた行動を取るため、人間を陥れ、弄ぶことを愉しんでいたが、生まれて間もないヨウにはそのやうな嗜好はなかった。
只、知的好奇心の赴くままに、密やかに大和へ向かう船舶に乗り込んだのだった。
大和というのはこの世界においては珍しく、未だ「悪魔」という観念の深くない土地であったため、悪魔としては大いに興味をそそられる土地であった。
海を越えて辿り着いたそこは、つい先日開国したばかりで、外つ国の文化を取り入れようと必死になっている様子が窺えた。その様子が外つ国の文化しか知らなかったヨウには目新しく映り、ヨウを魅了していた。
この大和という国には「悪魔」の思想がない代わりに「鬼」という思想があった。仏法という観念に基づく、悪魔に類似した、けれど明らかに異なる存在だった。
外つ国と大和ではあまりに違いが多すぎて、ヨウは見るもの見るものに興味をそそられていった。
そんな中、ヨウはあるとき、自分に注がれる視線があることに気づいた。ヨウは悪魔である故、赤目という悪魔の身体的特徴の一部をその容姿としていたため、人々から奇異の視線に晒されることはままあることだった。だが、この視線は違う。
視線の元を辿ると、病に伏す一人の少女のものだった。最初は物珍しさから見られているのだろう、と思っていたのだが、何やら日に日に、別な感情が込められているやうな気がしてきた。表すならそう……恋慕のやうな。
自分を悪魔とも知らないのだろうが、自分のやうなものに恋慕を差し向ける人間がいるとは、とヨウは不思議に思った。徐々にそんな存在に興味をそそられて、ヨウはその少女について調べることにした。
少女は病院でずっと寝たきりのやうだった。病床に就いて、早数年。十つ半ばという齢にありながら、既にその半生を床に臥せっている状態のやうだ。
癌という、現在の医療では治療が不可能な病に冒され、余命もあといくばくか。短すぎる命を散らそうとしている、儚い少女であった。
その短い命の中で、恋情を抱き、どこか求めるやうな姿に、いつしかヨウは感化され、あの少女のために何かできないか、と思考を巡らすやうになった。
悪魔とは元々忌み嫌われる存在。そんな己を、知らぬとはいえ、好いてくれた存在に報いたいと──あの熱い眼差しに応えたいと、いつしかヨウは願っていたのだ。
そこから悪魔の中に伝わる、とある術を調べ上げた。それは、人間の願いを等価の代償を支払い叶えるというもの。願いによっては、対価が重く、その対価は人間ではなく、術を使った悪魔が負わねばならないものだった。それ故に、悪魔の間では、その術は禁術として扱われていた。
だが、その術を見つけて、ヨウはこれだ、と定めた。あとは彼の少女の願い次第だが、これしか彼の少女に報いる手段を見出だせなかったのだ。
叶うならば、彼の少女に、諦めに満ちながらも感情を捨てきらぬ少女に、もういくばくかの命の永らえを。
ヨウはそう願った。
命を願う代償は当然ながら命である。代償は願いと等価でなくてはならない。
人はやがて、死ぬ。だが、悪魔の寿命は人より遥かに永い。それを禁術により分け与えることができたならば、少女に夢を見せることができるのではないか?
ヨウはそう考え、漸く、少女の前に姿を現したのだ。
キヌはヨウの想いを聞き、感極まって言葉が出なかった。
まさか、ヨウが自分を想ってくれているなんて、思いもしなかったのだ。
キヌは堪らず泣き伏した。ヨウが慌てて宥めるが、キヌの涙は止まらなかった。
「まさか、まさか貴方様が私の想いを受け止めてくださるなんて……」
そう苦しげに吐き出し、嗚咽する。それは喜びの涙だった。
ヨウは優しく、キヌの背中を擦る。
「はい。貴女の恋慕に僕もいつしか惹かれていたのです」
ヨウは静かに告白する。
白い天井を見上げ、こう続けた。
「然し、僕が使用したのは、どう足掻いても禁術に違いありません。きっと僕は死後、罰を受けることになるでしょう。貴女と何れ離ればなれになってしまうことは惜しいですが仕方のないこと。知っていて、この道を選んだのは僕です」
「そんな……!」
キヌは涙に潤んだ顔を上げる。せっかく心が通じ合ったというのに、引き離されるのか、と。
だが、ヨウは大丈夫、とキヌを慰めた。
「僕は貴女に僕の寿命を分け与えた。死ぬときも共に在れるやうに。その後僕は、悪魔という道から外れ──何の力も持たぬ、人間に生まれ変わる」
譬、悪魔でなくなったとしても、この禁術は強固であるため、契約で結ばれた魂は同じ輪廻を巡って、再び会い見えることとなるだろう、と。
「人間としてまた会い見えたときこそ……人間として、結ばれましょう」
ヨウは今度、キヌに小指を差し出す。その意味はキヌにもすぐわかった。
「これはこの大和の国の契約の方法だと聞いています。『指切りげんまん』というのでしたか」
「……はい」
「僕と交わしてくれますか?」
覗き込む赤の瞳に、キヌは迷わず頷き、自分の小指を絡めた。
来世でも逢いましょう、と約束を交わす。
窓から射し込む光は、黄昏時であることを示しながら、二人を照らした。