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黄昏の約束  作者: 原作:水音/著:九JACK
明治某所にて
3/20

契約

 生きたいかと問われれば、キヌとてまだ齢十と少しばかりのまだ子どもと言える年齢だ。

 自分が生きられる未来。そんなものがあるのなら、手を伸ばしたいに決まっている。

 病のせいで、余命いくばくかと言われた彼女にも、まだその思いはあった。

 故に、応える。




「……生きたい」




 その切なる願いは静かな病室の中にそっと落ちた。悪魔と名乗ったヨウの耳にも確かに届いた。

「良いでしょう。貴女の願い、聞き届けます」

 ヨウのその一言に、キヌは瞠目した。それも仕方のないことだろう。相手はただ、自分が窓辺で姿を追いかけていただけの、今日が初対面の人物なのだ。

 そんな人物が都合よくキヌを救う術など持っているのか──というよりも、見も知らぬ恋いに焦がれた人物が、自ら手を差し伸べてくれたという事実の方が、キヌに衝撃を与えた。

 あっさりとキヌを救うと告げたことにも驚いた。

 驚きに囚われるキヌを置き去りに、ヨウはさくさくと手順を話した。

 一つ、その白く細長い指を立てる。

「先ず、これから行う術は禁術でありますから、絶対に他言しないように」

 ヨウの真剣な瞳に、キヌは思わずはい、と返事をした。どうせ話す相手もいないのだからいいだろう。

 そう考えていると、ヨウは徐に、キヌの前に薬指を出した。

「では、噛んでください」

「……へっ?」

 急に言われたことにキヌはきょとんとする。指を出して噛めとは一体。

「おっと、説明を省いてしまいましたね」

 そう言ってヨウは苦笑した。

「契約の手順なのですよ。説明するのを忘れていました。

 まず、僕の薬指を噛んでください。

 そうしたら……」

 指を一本ずつ立てて説明していくヨウ。中指を立てたところで、懐から小さな布切れを取り出す。白い……キヌが知るところで表現するなら、包帯のような布切れだった。

 それから、キヌが見たことのない棒状のものを取り出す。蓋らしい長い筒を取ると、先の尖った奇妙な形状をしたものがあった。先端のとんがりは黒く見える。

「それは?」

 キヌが棒を指して問うと、ヨウが不思議そうに赤い目を瞬かせる。しばしキヌの瞳を真っ直ぐに見つめて、ああ、と唱える。

「ご存知ありませんでしたか。これは万年筆というのですよ。文字を書く道具です」

「文字を……筆とはだいぶ違って見えるのですが」

 そう、キヌの知る文字を書く道具は筆くらいなものだった。先が尖って固そうなその万年筆というのは、墨をつけて書くのだろうか、と思っていると、ヨウが少し考えてから噛み砕いて説明する。

「これは筆と違って先が固いです。固い故に、確りした文字を書くことができます。そして、墨の代わりにインクというものを使って書きます。インクはこの上の筒の中に入っていて、書く毎に適量出てきますので、筆よりも簡単に字が書けますよ」

 その説明を聞いて、キヌはなんとなく理解する。成る程、これが外つ国から入ってきた文化の賜物の一つか、と。

 少々異文化に戸惑ったが、キヌが理解したところで、ヨウは話を前に進める。

「この布切れにですね、貴女の名前を書いてほしいのです」

「私の?」

「はい。名前とは、個人を縛る言霊。それを使用することで、契約相手の証とします」

「成る程」

「そして、僕側からの証というのが、指を噛まれることなのです」

「……成る程?」

 人間と悪魔では縛りが違うのか? となんとなく疑問に思いながらも、キヌは言われた通り、布切れに名前を書いた。白い布地に、黒い固い文字で「絹」という名が刻まれる。

 刻まれた名を見て、ヨウが艶っぽい溜め息を吐く。

「絹……シルクのことですね。この世で最も美しい布の名前とは。綺麗な名をもらいましたね」

「……ええ」

 名前を褒められ、キヌは少し頬が上気するのを感じた。人と接する機会が病のために極端に少なかったキヌにとって、褒められるのは初めてといってもいいくらいだった。

 その上、憧れの人に褒められるなんて。天にも昇る気持ちとは、まさしくこのことだろう。

 今日はなんて良い日なのだろう、とぼうっとしていると、ヨウに顔を覗き込まれる。どうやら声をかけても反応がないことに心配したらしい。キヌは焦がれた赤い瞳が眼前にあることと、ヨウを想うあまり、我を失っていたことを恥じらい、頬を赤らめた。

「それで、貴女に噛んでもらった指に、この布を巻きつけます」

 そう告げて、ヨウは再度、薬指をキヌに差し出す。そこでキヌには疑問が生じる。

「薬指でなくてはなりませんの?」

 先程も薬指を出してきた。何か薬指でなくてはならない決まりでもあるのだろうか。

 すると、ヨウはくすくすと笑った。

「外つ国の文化では、想い人の薬指に指輪を嵌めることが愛の証となるのですよ。悪魔とは外つ国の文化に依るものが大きいですから、その文化が反映されて、薬指は悪魔の大切な契約のために使用されるのです」

「……まあ」

 愛の証、という言葉にキヌは頬の赤らみを誤魔化すべく、手を添えた。

「指輪の代わりに、貴女の歯形をここに嵌めるのです」

 にこにこと微笑んで語るヨウに、キヌの恥ずかしさは頂点に達した。

 まるで想い人のようなことを、自分は今からやるのだ。悪魔と名乗る少年に!

 興奮と申し訳なさが同時に込み上げた。この少年──悪魔のヨウにとっては、契約の途中経過に過ぎないであろうことに、キヌはいちいち悶々としているのだから。

「ちゃんと歯形をつけてくださいね」

 ヨウに噛まれることへの抵抗はないようだ。キヌはどこか懺悔のやうな気持ちを覚えながら、ヨウの薬指に噛みついた。

 ヨウが色めいた声を上げ、堪える。キヌは興奮を抑えながらも、確りとヨウの薬指を噛み、痕をつけた。

 血が出る手前であろう赤い痕がついたのを確認すると、ヨウは手早くキヌの名が書かれた布切れをそこに巻きつける。それから、申し訳なさそうにキヌを見上げた。

「指を出してください」

「は、はい」

 咄嗟に、薬指を出す。すると、ヨウは苦笑して、指の腹に歯を立てた。悪魔だからなのか、ヨウの犬歯は鋭いようで、突き立った瞬間、脳を駆け抜けるような痛覚がキヌの中を走った。

 ヨウが口を離すと、キヌの指先からは赤い赤い血が滴り落ちていた。ヨウはその血を、指に巻いた布切れで受ける。三滴ほど受けると、布切れは白から綺麗な赤に染まり、ヨウの瞳と同じく、妖しく輝いた。

 ヨウが紡ぐ。

「汝、我と命を共にし、生くるを望むか?」

 ヨウの問いかけにぞくりと背筋を悪寒のようなものが駆け巡る。命を共に、という一言が怖くも思え、しかしながら、焦がれてきた想いも掻き立てられる。

 キヌは数瞬の間を置くも、意を決して応えた。

「はい」

 それからしばらくヨウは薬指の布を見つめていた。

 一時であっただろうか。それくらい経ってから、漸く顔を上げ、赤い瞳はキヌに微笑んだ。

「これで契約は成りました。僕の寿命を分け与えましたから、長く生きられるやうになりますよ」



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