邂逅
まさか、まさか、会えるとは思っていなかった。会いたいと願った回数は数えきれない。いざ、目の前に、これまで合わせたよりずうっと近い赤い目に、少女の心臓は高鳴った。これも何かの病だろうか、と胸がざわつくが、少女はひとまず会えたことへの感動に打ち震えた。
少年が此の国の言葉を話したことにも驚いた。黒髪黒目が普通の我が国、変わった目の色をしているものだから、外つ国の人だと思ってゐたが、もしや、此の国の人物なのだろうか。
その可能性に思い至ると、少年は此の国の人間のやうに見えてきた。外つ国の人は決まって鼻が高く、ほりの深い大人より年季の入った顔立ちをしている。それに比べると、この少年は目が大きく、子どもっぽい印象を受ける。
「あの、ええと……」
「あっ」
困り果てたような顔をする少年に、少女は消え入るやうにすみません、と謝った。ほとんど初対面なのだ。不躾にじろじろと眺めて、挨拶も返さないでいるのは無礼が過ぎただろう。
謝る少女に少年は慌てふためいた様子で大丈夫だと少女を宥める。久しぶりの人との会話がこれとは情けない、と少女は恥ずかしくなった。自分の頬が上気していくのがわかる。
少年は少し考えて、それから少女に尋ねた。
「君の名前は?」
「……キヌ、と申します……」
恥ずかしさから、少女──キヌの声は空気に溶けてしまいそうなほどに儚かった。少年は疑問符を浮かべながらも、自分も名乗る。
「僕はヨウと言います。ここだけの話、悪魔です」
「……えっ?」
声をひそめてそう名乗った彼にキヌは目を丸くする。
悪魔、悪魔といったか。そういえば、悪魔とは何だっただろうか。キヌは旧い記憶を掘り起こして考える。確か姉が教えてくれたはずだ。
外つ国の中でも遥か西方の国では、神というものが崇められているのだったか。神には天使という家臣のやうなものがいて、天に住んでいるのだとか。
そんな神と天使に抗う存在の名が、そう、確か悪魔といったはずだ。悪魔とは根の国のやうな場所に拠を構え、天と根の国の境に住まう我々人間をたぶらかし、愚かな行いをさせる悪者だと聞いた。
そこまで思い出して、キヌは改めてヨウと名乗った彼を見る。
悪魔とは確か、山羊面をした人形の生物だたり、馬の頭蓋骨で顔を隠していたりするものではなかっただろうか。
この少年はそのどちらにも該当していない。見るからに人間の姿をしていた。
不思議に思って見つめていると、ヨウは悪戯っぽく微笑んで、口元に人差し指を当てた。十つほどにしか見えないのに、その姿がやけに妖艶にキヌの目には映った。
「これは魔術を使って人間の姿を取っているんですよ」
「まあ!」
キヌは小声ながらも驚き、口元を押さえる。その拍子に喉の奥に何かがひゅっと入り、咳に繋がる。
まずい、と思ったときには既に遅く、そこからげほげほと口から空気の塊を吐き出し続ける。体力を一気に持っていかれる連鎖。この瞬間がキヌには憎らしく、けれど自力で止めることも叶わぬためにもどかしい。何より想い人の前である。情けないことこの上ない。
ヨウは戸惑い、一瞬顔に哀れみを滲ませた後、キヌの背中をさすった。その手は小さいながらにしっかりとして、キヌが久しく感じていなかった温もりを孕んでいた。思わずキヌの目尻に雫が溜まる。余命宣告を受けてから、こんなに優しくされたのは初めてかもしれない。
「泣かないでください」
キヌを宥めるヨウの声が優しく響いて、キヌの涙腺が決壊した。ヨウが慌てふためき、キヌにあわあわと声をかける。悪魔というのは嘘で、実は人間なんじゃないかと思うほど、人間味溢れた対処であった。
しばらくして、キヌが落ち着くと、ヨウは本題とばかりにこう切り出した。
「貴女のその病、治したくはありませんか?」
「えっ」
キヌは驚きに目を見開く。それもそうだろう。キヌの病は医者でも匙を投げるほどのものだ。治せるなら治したいが、そんな上手い話があるだろうか。
胡乱げにヨウを見つめると、ヨウは「僕は悪魔ですから」と肩を竦めて見せた。
「貴女の病は、今の人間の能力では、治すことは叶わないでしょう。ならば、人ならざる力を使えばいい」
キヌは目をぱちくりとし、小首を傾げる。ヨウは今一度、「僕は悪魔です」と名乗った。
「禁術ではありますが、貴女の病を取り除ける方法があります。試してみませんか?」
「禁術……」
ヨウは更に重ねて問う。
「キヌさん、貴女はもっと、生きたくはありませんか?」