夢と夕暮れと貴方と
亜希は衣川の去った後で一人考えていた。
「思い出せって言われても……」
亜希は眉をひそめる。何を思い出せというのか。何かを思い出すことが、あの夢──ひいては陽斗や衣川との因縁に繋がるということなのだろうか。
そんなの、自分で考えてくださいよ、『キヌ』──
衣川の一言が脳裏に谺し続ける。
何度か話には出てきていた「キヌ」という名前。衣川は「俺は『キヌ』じゃないんだよ」と言っていたが、キヌとは果たして誰のことなのか。
あの言い様ではまるで、亜希がキヌという人物であるかのようではないか。
「キヌって……誰なの……」
私は亜希よ、と彼女は紡ぐ。そう、彼女は木原亜希。
そう確認し、それから、言い様のない違和感を覚える。「キヌ」──その名前を、自分は知っている気がする。いや、知っているとかそういう問題ではなくて──
「そういえば、衣川くん、『黄昏の約束』がどうのって」
あんた、ちゃんと『黄昏の約束』見てないだろ?
「黄昏の約束……見る?」
亜希は夢を思い返してみる。
夢の中は小さな映画館。映写室があって、映写機をからからと回しているような今時古風な映画館だ。客の出入りも自由で、亜希は何の気なしにそこに入場した。係員がいなくて、ちょっと戸惑ってしまったが、この孤島の生活に慣れてきてしまっていた亜希は特に不思議に思わなかった。絶海の孤島で、あまり大きくもないこの島では島民が少ないため、店員が表にいないことなんてざらだったから。
映画館なんてあったかな、と思いながら入った。表の映画の告知ポスターは肝心なタイトルのところが擦りきれていた気がする。ただ、写真らしいその夕焼けの美しさに惹かれて入ったのだ。
そこから、夢は時を経るごとに細切れに進んでいく。最初は、中に入って、陽斗がいることに気づいて何気なくその隣に座ったところで、衣川が何やら叫びながら入ってきたところで目を覚ました。次は陽斗が自分の存在に気づき、驚いていたところに挨拶しようとしたところで衣川が入ってきて。その次は少しスクリーンを見たような気がするけれど、内容は覚えていない。ただ、不思議と入口前のポスターと同じ橙色の綺麗な夕焼けが目に焼き付いている。思わず感嘆をこぼそうとしたところで、けたたましい音を立てて衣川が入ってきたのだ。それから、場面は見るたびに少しずつ進み、衣川が来たタイミングで目が覚める……という、奇妙な夢の連続。
そういえば、スクリーンに映っていた夕焼けも、入口前のポスターも、どこか懐かしさを感じさせるようなものだった。最初はそういう映画なのかな、と思っていたが……
瞼の裏に、あの夕焼けを思い浮かべると、なんだか胸が焦がれるような思いがする。あの風景が、懐かしく、恋しい。懐かしいまではまだわかる。しかし、「恋しい」というのは……写真一枚、映像一瞬に対して、些か不釣り合いではないだろうか。
「この思いが、記憶に関係しているとでも言うの?」
恋しい、それは、あの夕焼けだけではない。
最初はなんとなく座っただけの陽斗の隣だったが、「陽斗の隣」という場所が恋しくて仕方がなくなっている。だから、衣川にあんな質問までしたのだ。
思えば、彼とは何やら縁を感じるようなことが続いた。この島に来て、初めて自分の赴任先を見に行くとき、道案内をしてくれたのは、陽斗だった。副担任として入ったクラスの中に陽斗がいた。歴史の授業のとき、資料運びを手伝ってくれたのも陽斗だった。
これらは果たして、偶然だったのだろうか。
運命の赤い糸、なんて陳腐な言葉でも表現できそうな縁が自分と陽斗にあったのではないだろうか。
夢で会うほどに惹かれ合う何かが……
思い返すと、目の前で陽斗が倒れたときの衝撃は凄まじいものだった。
ただの風邪、少しストレス性の症状も出ているかもしれない、というのが診断だったが、それから陽斗は退院していない。
咄嗟に思ったのは、死んでしまうかもしれない、ということ。
それは嫌だ、と臆面もなく泣き叫んで、助けを求めたことは今もまざまざと思い出せる。
自分はどうしてこうも、陽斗を失うのを恐れているのだろう?
ただ惹かれているから? 本当にそう?