暁の催促
その日の夜、陽斗は不思議な夢を見た。
夢を見るのは珍しくない。特に、ヨウだったときの夢は頻繁に見るから。ただ、その日いつもと違ったのは、小さな映画館の中の客席に座っていたことだ。目の前にはスクリーンがあって、そこにキヌと約束を交わした日の映像が映し出されていた。
こうして見ると、まるで映画のような話だよな、と陽斗は他人事のように思った。
しばらく見ていると、ふと隣に誰か座っている気配がした。さっきまで自分一人しかいなかったはずなのに、と思いながら、気配のした方を見、ぎょっとした。そこに座っていたのはキヌ──であるはずの、亜希だったのだ。不思議そうな顔をして、スクリーンを眺めている……
そこで後ろからばたばたとけたたましい音がして、扉が開かれた。
「行かないで!!」
切実に祈るような、聞き覚えのある声がする──
ぱちり、と目を開いた。窓を見るとまだ薄暗く、夜明け前だとわかる。時計を見ると、午前は四時も回っていないようで、だいぶ早く起きてしまったな、と陽斗は思う。だが、眠気もないため、二度寝する気は起きなかった。
「散歩でもするか」
思い立って、陽斗はカーディガンを羽織った。別に遠出するわけじゃないから、軽装でいいだろう、と寝間着にカーディガンを羽織って出る。
なんとなく、近くの浜辺に向かって歩いていた。寄せては返す波の音が耳に心地よい。
こんな時間に散歩をしているなんて知ったら、母さん怒るだろうな、と陽斗はふっと笑みを浮かべた。
日の出まで海を見ていようか、なんて浜辺に立っていた。さらりと吹いた風が砂を巻き上げ、けほ、と少し咳をこぼす。
水平線から日の出を拝めるとは贅沢なものだ、と思いながら海の向こうを見つめていると、ざく、と砂を踏む音がした。こんな時間に誰だ? と振り向き、驚いた。
「あら、田島くんじゃない」
「先生……」
歩いてきたのは亜希だった。大人っぽいお洒落なサンダルに白いパンツ、水色のTシャツとなかなか夏っぽい格好だ。
「こんなところで何してるの?」
「日の出待ちです。先生は?」
「早く起きちゃったから、散歩。田島くん、随分早起きさんなのね」
「あー……たまたまです」
夢で貴女に会った、とは言えず、陽斗は目を逸らす。「隣、いいかしら?」というのにこくりと頷いた。
まるで、夢と同じだ。亜希が隣に座るなんて。
そう思って緊張していると、亜希がくすりと笑った。
「どうしたんですか?」
「いや、夢みたいだと思って」
陽斗が首を傾げると、亜希は続けた。
「さっき見た夢で、映画館みたいなところで、田島くんの隣に座っていたのよね。なんだか不思議」
それを聞いて、陽斗は電撃の走るような衝撃を覚えた。自分がさっき見た夢でも、いつの間にか亜希が隣に座っていた。小さな映画館で。
──夢がリンクしている?
咄嗟にそう思ったが、亜希が、「スクリーンはあったけど、やってた映画の内容までは覚えてないのよね」と呟いたことにより、我に返った。
この人はキヌだけれど、記憶がなくて、結局亜希にとっての陽斗は「田島くん」という一生徒に過ぎないのだ。
「あ、そろそろ日の出の時間ね……わあっ」
見て見て田島くん、と肩を叩いてきた亜希にぴくりと反応して、陽斗は海の方に目を向ける。曖昧だった海と空の境界線を明らかにするように、太陽が照らし始めていた。
陽斗は何度か見ているのだが、今年この島に来たばかりの亜希には新鮮だったようで、しきりに興奮している。まあ、陽斗も、何回見ても飽きないくらい、綺麗だな、と思うのだが。
暁、というのだったか。日の出のことを。
ちょうど今の光景はあの「黄昏の約束」の日と対になっているようだ。傍らには亜希がいる。
けれど、亜希はキヌだったことを覚えていない。
陽斗はそっと、傍らの亜希の手に触れた。
どうか、思い出して。
そう祈りを込めると、心音がどくどくと高鳴り──やがて、陽斗の視界は眩んだ。