出逢い
時は明治。文明開化の花開き、街は賑わいを見せていた。
誰も彼もが笑顔で幸せ。そんな開国の盛りでも、やはりどこか影があり。
賑わう街を階下に臨み、一人病に伏す少女がいた。
病。いつの時代も人はこれを乗り越えられない。幾人の名医あれど、その名医がそこかしこにいるわけもなく、名医が全ての病を治せるでもなく。未だ未だ殆どの病というものが不治とされた時代である。
最も恐れられたのは結核という肺病であるが階下の賑わいに焦がれる少女の病は、同じ肺病でもちと趣が違った。
肺癌である。
癌というのは伝染病ではないが、一度かかると着実に体を、寿命を蝕んでいく。
少女は齢十つと少し。死ぬには幼すぎる命であった。
残る命もいくばくか。発作のように起こる咳、血痰をいつ吐いてしまうかもわからぬゆえ、自由などなく、病室に一人きり。
余命短しと知ると、少女の親は見舞いに来なくなった。衰弱し、死に逝く娘を見ていられないのか、それとも。ともかく、少女はここにしばらく独りなのだ。独り、命尽きる日を待つ。遠いか近いかもわからぬ。ただ確実に押し寄せてくる死のみを少女は待つしかない。
怖くても、逃げられないのだ。癌とは不治の病。どこへ逃げたって体の中にいる。そんな現実が己を闇へ飲み込んでいくようで、少女は街の喧騒で、気を紛らせていたのである。
世情はずうっと病に伏せる少女にはわからぬが、これだけ人が賑わい、夜も灯りがあるのだ。さぞや外は楽しいにちがいない。
そう云えば、めっきり会わなくなったが、嫁御に行ったという姉は幸せに過ごしているだろうか。数月に一辺届く文には夫との蜜月が綴られていた気がする。他の姉も恋をして、幸せだと病にかかる前の少女に、よく語って笑ってゐた。
他人事のように聞いていた自分に「いつかお前も見つけるんだよ」と姉が小突いていたような。
だが残る儚い命では、それも叶うまい、と、少女は諦めて、今日も窓を見下ろすのである。
近頃は外つ国から来る人も多く、金色の髪の人やら、青い目の人やらとなかなか珍しい人が通ったりするものだから、少女はあまり退屈していなかった。ぼーえき、といったか。そういうのが始まるらしいと医者からそれとなく聞いていた。
物珍しい成形の人物は多々いたのだが、その中でも一際少女の目を引いたのは、夜闇のような真っ黒い髪に夕陽よりも赤く赤い目をした人物だった。齢は自分と同じ頃だろうか。ぼーえきに来ている外つ国の者は大抵大人だったが、もしかしたら、外つ国では自分と同い年でも働きに出るのが当たり前なのやもしれぬ、と少女は見ていたが、黒髪黒目の国の人から、外つ国の人間とは違った意味でその少年は浮いて見えた。目が惹き付けられるというか。
初めて見つけたその日から、自然と目はかの少年を探すようになっており、病室に閉じ籠るばかりの生活を繰り返す彼女の数少ない楽しみと、いつの間にかなっていた。
あるとき、少年と目がぱったり合った気がした。
合えば、普段見るよりも深い深い赤色で、どこか吸い込まれそうな、奇妙な心地に至った。けれどそれは奇妙でありながらも心地よく、ずっと見つめ合っていたい、だなんて、少女は考えたりしたものだ。少年が長くこちらを見つめるものだから、尚のこと。
しばらくすると、少しばかり、あの少年の赤々とした瞳に自分はどう映っているのか、と少女はそわそわした。病床に就いて幾年かわからぬ少女は病気故に髪色が抜け始め、昔は濡れ羽色だったのが、今じゃあ薄茶色である。大和の女性は黒髪が美しいことが誇りと聞く。となると自分のこの半途な色が恥ずかしく思えて、誤魔化すように一房弄り、少年から目を逸らしてしまった。
ふっと目を戻すと少年の姿は既になく、貴重な邂逅を数瞬ばかり逃したと、大変後悔するのであった。
今日はあの人はいないだろうか。
赤い目の少年を探すのが習慣となっていた。どんなに辛い発作でも、あの深淵なる赤い目が、心の奥で支えてくれてゐるやうな気がしていた。
またある日も、同じやうに少年を探していたのだが、その日はいつもの時間に少年は現れない。
まぁ、元々毎日現れるわけではなかったから、仕方ないか、と諦めるも、少し寂しいやうな気がした。
そんな折、珍しいことが起こる。少女に、見舞いの客が来たというのだ。
癌と発覚してから、親ですら見舞いに来ないのに、一体誰が……結核であれば、隔離病棟で、面会など禁止なのだが、癌である彼女は面会ができる。
それは嬉しいことなのだが、はて、見舞いに来てくれるほど、自分に交友関係があっただろうか……
誰が来るのかと思って待ってゐると、
「こんにちは」
そう、病室の戸を引いて入ってきたのは間違えようのない赤い目。
あの、少年だった。