チュートリアル6
トントントン、とリズミカルな音が、普通ならほとんど人の影がない家の中で響く。
「はぁ……全く、あんまり眠れなかったよ……」
そんなトントンという音を奏でているのは昨夜テンリに家に泊まるように言われたトーカである。
トーカは昨日、わざわざ剣を作って、なおかつ家まで貸してくれたテンリへのお礼にと、息抜きとしてやっていてかなりの熟練度である《料理》スキルを遺憾なく発揮して料理を作っていた。
テンリはすでに家を出ているようであり、トーカが起きた時にはいなかったため勝手に台所を借りている形である。
トーカとしてはテンリがまるで他意なく言っていることはわかっていたが、女の子として男が泊まっていけと言うのだから、それなりに緊張していたのだ。
まあ、トーカが寝た瞬間にテンリは外へ行ってしまっていたので、何かが起きるという状況はあり得ないわけなのだが、それでもちょっとは気にしてしまう。
何よりここ数年のトーカは個人的な事情などもあって敗北しないくらいVR世界では強さを発揮していたのだ。
それが1人の男性プレイヤーであるテンリに敗北。
さらにそのプレイヤーから今までで一番と言ってもいいくらいの素晴らしい剣を与えられたという事実が、否応にもテンリというプレイヤーへの興味を感じさせていた。
トーカはテンリが《断罪者》として行動する意図をちゃんと理解している。
だから決闘をしたときもかなり苦肉の策といった感じだったのだ。
しかも、結果は敗北してしまったわけで、その後もあれこれと便宜を図ってもらっているのだから、余計にトーカとしては心苦しいものもあるのだが、結果的にどういうわけか目的は達成できたのだから、背に腹は代えられない。
でもだからこそ、あれほどの強さと、そして冷酷非道な振る舞いをすることによって弱いプレイヤーたちを救うという行為を成り立たせているあのプレイヤーの気持ちをもっと知りたいと思う。
──キミのことを、ボクはもっと知りたいよテンリくん。
でも──
「…………それは、ダメなことだ……ボクは……」
すぐに首を振るとトーカは目の前の調理に意識を持って行く。
そんな時だ。
「お? なんかいい匂いがするな?」
ガチャと扉を開く音とともにテンリが家に帰ってきた。
「あ、テンリくん。勝手に台所使わせてもらってるよ」
「そうか、別に構わんが」
「食材はこっちで用意しているのでそっちは気にしないで」
「おう、それはありがたいな。といっても、この家には冷蔵庫なんてないし、それよりも有能なものがあるから、今の会話はあんまり意味がないかもだけどな」
テンリはそう言いながら、《断罪者》のトレードマークでもある紅い十字架が入った漆黒のローブなどの戦闘用装備を一時解除した。
「さて、じゃあトーカが食事を終えるまで鍛冶部屋に入っていようかな」
「え? 食事とかはもうとったりしたの? というか、テンリくんはいったい今までどこにいたの?」
せっかく一緒に食べようと思っていたところでテンリが一緒に食べないというような態度をとってしまったので、慌てて詰問してしまう。
「ん……あー、そうだなぁ……」
「……まさか、街の外に行ってたの?」
「…………はい」
テンリは気まずそうにそう言った。どうやらテンリは責められるという現象になれていないようで、物凄くしどろもどろだ。
その態度はどこか、少年のような印象をトーカに与えた。
「まあ、ボクが心配することなんてそれこそほとんどないんだろうけど、気を付けてよね? ボクがキミに負けたときみたいにいきなり武器が壊れるなんてこともあるんだから」
「あれは……いや、別に油断しているわけでもないし、もともとソロだからな? そんなに心配しなくても」
「たとえ前はソロであったとしても、今はパーティーでしょ? もう少しパーティーメンバーに気を使ってね?」
「……はい」
「うん、よろしい。じゃあ気を遣う一環として一緒にご飯を食べましょう!」
「え? いや、でも……」
「食べましょう!」
「…………」
観念したようにダイニングに方向転換して移動するテンリをみてトーカは思わず笑ってしまいそうになるが、それをこらえて朝食の準備を進めるのだった。
そして朝食が完成したわけだが──
「こ、これは!」
「ふふふ~」
テンリは驚きに目を見開き、トーカはテンリのその顔を見てうれしそうに笑っていた。
テンリの視界にあったのは別に特別なものではなく、お米とみそ汁と焼き鮭にお浸しとお新香という日本食ならだれもがとりあえず連想する食事の組み合わせだった。
しかし、この特別ではない食事はこの世界では非常に特別なものである。
「な、え? ど、どうして? このゲームにはこんな、なかったはずなのに……」
言葉が定まらないテンリだが、これは当然の反応だ。
なぜならVRMMOなどのゲームは《別世界に行ける》というのが売りであり、基本的に現実世界で生み出される料理たちとは一風変わったものなどが出ていることが多いのだ。
それはこの《エアライズ・オンライン》も同様であり、ここまでの階層でも絶対に現実世界と全く同じ食材というのは出てこなかった。
だからこそ、この典型的な日本食というのはこの世界に本来存在するべきものではないはずなのだ。
その事実に驚いて固まっているテンリに、トーカはなんだか本当に子供みたいだな~と思いながら解説を入れる。
「このVR世界には確かに現実世界の食事ってあんまりないけど、それでも存在することは存在するでしょ? ボクは料理が好きだから、VR世界の味覚についてかなり詳しくてね。それの影響もあって、趣味で料理を作りながらいろいろと調味料を作成していたんだよ」
「へえ、なるほど。VR世界には確かにそう言った視点もあるか……そういえば最近じゃあアレルギーな人にもその味を体験させるなんてのもあるって話もあったな」
「そうだね。……まあ、もう最近の話じゃないかもだけどね」
「そうだな。もう一年も経っているんだもんな」
二人はやや暗い表情になるが、すぐにトーカ手をパンと打って、
「それよりも冷めちゃうからご飯を食べましょう」
「そうだな」
テンリも笑顔でうなずいて、その後は米や魚などをどこで手に入れたのかなどの話をしながらのどかな時間を過ごすのだった。
◇◆◇◆◇
朝食を終えたテンリたちは《炎獄の山脈》へと移動を開始していた。
狙いはファイアコッコドラゴンだ。
「ところでそのファイアコッコドラゴンを狩りに行きたい理由はなんなんだ?」
テンリは純粋に疑問に思って質問した。
とらえることが難しいというファイアコッコドラゴンは果たして特殊なアイテムがあるのか、はたまたそれが何かカギになっていたりするのか。
ここ最近は最前線を突っ走ったり、犯罪者を断罪したりとそれなりに忙しく過ごしてきたテンリとしてはそのあたりの情報には疎かった。
そんなテンリにトーカは答える。
「食材アイテムがかなりおいしいんじゃないかって噂なんだよ」
「しょ、食材!?」
このゲームが始まって以降、超効率主義なところがあるテンリは武器防具になりうる素材がいいのか、はたまた得られるお金が高いのかなどなどを考えていただけに、攻略に直接関係してこない食材を集めるという事実に驚いた。
「うん、言ったでしょ、ボクは趣味が料理なんだって。このデスゲームは確かに殺伐としているけど、それでも食材や、趣味に娯楽なんかも結構充実しているから、そっち方面を探すと結構楽しいんだよ?」
「そう、か……」
トーカの言葉にテンリは虚空をボーっと見つめながら答える。
──このゲームを楽しむこと。
テンリはこのデスゲームが始まってからはこれがほとんどできてないように感じた。というより、トーカと決闘したときが初めてこのゲームを楽しんだ時だと言っていいだろう。
このゲームを一日行うたびに自分のリアルが奪われる。
それがきっとこのデスゲームを生み出した者の思惑通りである気がして、それをひたすらに潰すことだけに専念してきたテンリとしてはそんなことを考えている余裕がなかった。
「もしかして迷惑だった?」
「ん? 別にそんなことはないぞ。トーカの料理はおいしかったからな。その食材が手に入ったら俺もトーカの食事にありつけるんだろうし、こっちも損はないからな」
「そ、そう? そこまで褒められても料理しか出せないけど」
「それで十分だ」
なんてことのない会話を続けながらもテンリは何か、この世界で大事なことに気づけそうな感じを覚える。
「……そういえば、トーカほどの実力者を俺は攻略中に見かけなかったんだが、それには理由があったりするのか? まさか料理に夢中になってたらものすごい時間がかかったとか?」
「そんな感じかな? この迷宮のマップはかなり広いから、そこを全て網羅するのは結構しんどくてね」
「……全部を歩いて回ったのか? そういうのなら胡散臭いけど信頼できる情報屋がいるから、そいつに話を聞かせれば多分いっぱいいいものあると思うけど」
「そのテンリくんの発言だとまるで信用できない情報屋さんの話はこっちも知ってるけど、やっぱりこういうのは自分で探したいなと思ったから」
「…………」
「……どうかした?」
「……いや、なんでも無いよ」
どこまでもこの世界を楽しんでいるように見えるトーカに、テンリはどこかまぶしいものを見るような感覚を覚える。
(……俺も、今からゲームを楽しむことができるだろうか?)
そのちょっとした戸惑いとは裏腹に、目的のファイアコッコドラゴンがいる場所までの道のりは、プレイヤースキルが抜群な二人であるテンリとトーカのコンビのおかげもあって、らくらく移動することに成功した。
「ファイアコッコドラゴンの特徴は?」
「うーんと、ざっくりいえばティラノサウルスみたいな感じのに鶏のとさかがついているみたいだよ?」
「なんかそれシュールだな……もしかして”コッコ”って”鶏”のことだったのか?」
「え? 気づいてなかったの?」
「いや、気づく? というかそう言うことなら”ファイアコッコドラゴン”って”炎の鶏竜”ってこと? もはやシュールを通り越して哀れに感じるんだけど」
「そもそも”鶏竜”って言葉がないよね? というか、それ字面だけでも残念な感じだね……」
モンスターの名前の由来などは神話などのもの以外はあまり考えない方がいいだろう。
二人はなんとなくその言葉を心に刻んで次の会話に映ることにした。
「それで、実際の回避力とかそのあたりはどうなんだ? 空での移動とかだったらエアステップが苦手なプレイヤーならそんなにあてにならないと思うけど」
「確か情報では陸戦闘だけで、ひたすらに速いって言ってたけど。それに三歩走るごとに方向転換するからものすごく不規則でやりにくいって。あとはレア食材の特徴であるエンカウントしたらほぼ逃走してしまうって話だった」
「それでいいのかドラゴンよ……」
「あはは、まあ後は戦って確認してみよう」
「ああ、そうだな」
竜は力の権化ではなかったのかとテンリがあきれ顔になると、トーカもつられて苦笑いを浮かべながら提案してくるので、テンリは頷きをもって返す。
そうして一風変わった竜が出てくるというポイントまでやってきたテンリたちはお目当てのモンスターを探そうとあたりを見回すが……
「見当たらないね」
「まあ、”レア”ってつくものでそう簡単に手に入るものなんてないからな」
テンリは言いながら目を瞑ると、意識を聴覚だけに集中させていく。
これは極限の集中状態、俗に言う《ゾーン》の一種だ。
ゾーンはスポーツなどでは色や周りの雑音など、不必要な情報をカットして必要な情報だけをより高い次元で認識し、尚且つ身体をより高いレベルで動かせるというものなので、もしもそのゾーンを自在にコントロールできるなら、聴覚だけに意識を向けることも可能だ。もちろんテンリは元魔王なのでそのあたりは割と余裕で出来る。というか、前世ではこれくらいできなければ死んでいしまっていただろう。
特に今回はそのゾーンの聴覚集中で情報をさらに限定。今回は自然の音、この場では火山の燃える音などを消去して、テンリは動くモンスターの足音な声に関しての情報にさらに意識を傾けていく。
そして──
「……いた」
「ほ、ほんと? もしかして《聞耳》スキルとか使ったりした感じ?」
「いや、これはできるやつは誰でもできるプレイヤースキルだよ。音だけに意識を集中させる行為。そっちだって味噌とか醤油とか作るのに味覚だけに意識をより集中させたりするだろ? それと一緒だよ。──さあ、あっちだ。一応ターゲットを取られないようにしたいけど《隠蔽》とか《索敵》とかはちゃんとある?」
「あ、うん」
さらっとスポーツにおいてはかなり珍しい境地であるのだが、それをまるで感じさせない態度で言う テンリに、「あれ? それ私も出来ちゃのかな?」と一瞬思いながら追いかけるように後を追うトーカ。もちろんスキルで隠れるのは忘れていない。
そのままテンリが先行してある程度進むと、15メートルほど先に、本当にファイアコッコドラゴンがいた。
(……すごい、本当にいた)
別に疑っていたわけではないのだが、本当にテンリが発見してしまったことに遠視の力でファイアコッコドラゴンを目視しながら驚くトーカ。
テンリはトーカのその様子を気にすることなく小声で話しかける。
「それで? あいつは魔法についてはどうなんだ?」
「あ、うん。話では射程圏内で魔法を詠唱した瞬間に知覚されて逃げられるって。だから追尾系の魔法も通用しない」
「……そうか、本当に倒すのが難しいやつなんだな」
「うん、それだけに価値があるんじゃないかって話だけどね」
追尾系の魔法とはその魔法の詠唱が四分の一が完了するまでにポイントしている対象が動かなければ相手を追い続ける魔法で、プレイヤー間の決闘なんかではこれが決まる決まらないで決闘の勝敗を左右する強くて便利な魔法だ。特に《ファーストヒット》ではこれが完全に発動したらそれだけでもう手遅れと言った感じである。
今回の場合は詠唱開始と同時にファイアコッコドラゴンが動いてしまうという話なので残念なことに使えないが、通常なら逃げる相手に遠距離の射程から放たれる追尾性の技は強力なのだ。
「幸いあいつは一体だけだし、挟み撃ちするっていう手もあるけど……」
「そもそもファイアコッコドラゴンがどう方向転換するか分からないからね」
「三歩歩くごとに方向転換だったけか? ネタだらけじゃないか。なんだなんだよあいつは……」
「あはは……」
だんだんとファイアコッコドラゴンに対しての愚痴になりつつあるテンリとトーカ。
「はあ……仕方ないな」
「ん? どうかしたの?」
「いや、初撃は俺がやる。これが決まればたぶん大丈夫だろう」
そう言いながらテンリは弓矢を出す。
「え? 弓矢? 確かにそれなら狙えることは狙えるだろうけど《弓装備》のスキルもあるの?」
「まあ、な……犯罪者の中にそういうヤツがいたからな……」
「あ、そっか、ごめん」
「何を謝っているのか知らんが、気にする必要はないぞ」
「う、うん」
「俺の矢があいつに当たった瞬間に動き出すからよろしく」
テンリは弓に黄色い矢を番えて、一番シンプルなただ早くまっすぐ打つアビリティ《ソニックアロー》を発動した。
ヒュン! という音とともにあっさりとファイアコッコドラゴンに刺さった。
さらに刺さったあとファイアコッコドラゴンは何故か動かなくなる。
当たったと認識しているタイミングで動き出していたトーカは、同じく動き出していたテンリを見ながら質問する。
「なんであいつ動いてないの?」
「ああ、あれには強烈な麻痺毒が塗っていあるからな。軽く5分は麻痺させることができるやつだからかなり強力だろう」
「ご、5分! ど、どこでそんな毒を!」
トーカが驚いて声を上げる。
麻痺は通常120秒=2分くらい動けなくなるのだが、テンリが使ったのはその倍以上の効果があるということなのだから、この反応は正しいだろう。
「いや、麻痺回復薬作ろうとしてたときに鍛冶でいいものを思いついちゃってそっちにかかりきりになってたら出来上がってしまっただけ」
「な、なにそれ? て、テンリくんって実は結構アホだよね」
「……まあ、否定はしない」
「……否定しなよ」
恐ろしい毒の発生源が実験の失敗からというのはまあ《調合》スキルを使う人たちの間ではよくあることだが、それにしたって途中で鍛冶の方に夢中になるなどという阿呆はテンリ以外にいないだろう。
アイテム自体はすごいのになぜかすごい感じがしなくなってきたトーカはもはや呆れて言葉も出なくなってきたので話題を変えることにした。
「とにもかくにも早くファイアコッコドラゴンを倒しちゃおう」
もう3メートルほどの距離まで来たので、そう提案しながらトーカは剣を抜き去ってより加速する。
「……ああ、そうだな」
テンリも同意してすぐに加速をして同じようにファイアコッコドラゴンを斬りつけるのに十分な距離まで入ると、実にあっさりと討伐を完了してしまった。
手に入れたアイテムを確認しながら二人は話をする。
「なんか、随分あっさりと手に入ったな」
「そうだね、弓と毒の組み合わせが最適ってことかな? でも弓ってかなり操作が難しい武器だよね。いくらスキルとして存在したってそう簡単に扱えないと思うんだけど」
「まあ、そのあたりは他の世界で何度か扱ったりしたからな。それに、きっともっとうまく弓を扱うことができるやつも多いだろうから、そこまで特別なものでもないと思うけど」
「ふーん」
「な、なんだよ」
「……なんでもない」
じとーとした目をトーカが向けてくるが、テンリも嘘は言っていないので問題ない。
(というか、なんでトーカは俺のことをこんなに見透かしているように感じるんだ?)
朝食の時にしたって、なんだか嘘を言えないような気がしてしまったのだ。
テンリにとってはこんな感情は初めてである。
「と、ともかく、目的の食材はゲットできたのか?」
「…………まあ、手に入ったよ」
「へえ、名前は?」
「──《コッコドラゴンの肉(赤)》」
「いやおい、それなんか色違いありそうなんだけど? というか名前安直すぎないですか?」
「さあ? そのあたりは製作者側に質問することをオススメするよ。──じゃあ帰ってご飯にしましょうか」
「おう、そうだな……なんか名前を聞く限りだとちょっと不安になってくるけど」
「大丈夫じゃないかな? きっと脂ののった鶏肉みたいでおいしいんじゃない?」
「鶏肉ってさっぱりしているのがポイントじゃないのか?」
「さあ? そのあたりは製作者側に質問することをオススメするよ」
「なあ? なんで同じ発言を?」
「さあ? そのあたりは──」
「わあ、やめろよ!」
そんなアホな会話を繰り広げながら、二人はテンリの家に戻るのだった。