チュートリアル11
麻痺状態であったにも関わらず動き出したテンリにトーカやアルトリア、その他その場にいたすべての人間が驚きのあまり口をあんぐりと開けて固まっていた。
このフルダイブ世界は脳から直接信号を受け取っているせいか感情を隠すということがうまくできない場所なので、この反応は決して大げさではないが、それでも滅多にこのような状況になることはないだろうというほどに驚いていただろう。
特にびっくりするくらい心配な表情をしていたトーカの目には驚きとともにものすごい安堵の色が感じられて、心配をかけたことについてそれなりに申し訳ない気持ちになってしまうが、圧倒的優位だと自覚している人間ほど重要な情報をべらべらとしゃべるのが人間だったりするので、テンリとしてもこの状況は必要なことだったのだ。
心の中でそんな言い訳をテンリが無意識のうちにしていると、アルトリアが驚きの表情で言った。
「な、なんでお前が動けるんだ!?」
「そりゃお前、俺があんたら全員に管理者側の権限すべて奪ったからだろうよ」
「な、何を言って……」
アルトリアはテンリの言葉に意味不明という反応をしながら、しかし自分のウインドウを開く。
そして、先ほどまで確かに存在していた管理者としての権限がことごとく消失していることに気がついた。
「お、お前! 何をした!」
あまりにも不可思議な事態に混乱するアルトリアだったが、しかしこの現象の犯人はテンリであるとすぐに把握してすぐに詰問する。
その詰問をテンリは特に気にすることなく管理者権限で何ができるのか調査していた。
「さすがにログアウト不能をすぐに解除することはできないか。まあでも、これくらいのことはできるようだな」
テンリは言いながらある操作を行う。
「な、何か言ったらどうな──」
テンリに無視されて激高したアルトリアがテンリに詰め寄ろうとした瞬間に固まった。
別に驚いて一時的に思考停止したために固まったとかそう言うものではなく、ただ単純に固まったのだ。
それは他の取り巻きたちも同様で、まるで動く気配がない。
「う~ん、どうするのが楽しいかな?」
テンリは三日月を形作るような恐ろしい笑みを浮かべながらしかし目は全く笑っていない状態で、管理者となったことによって手に入れた様々な権限の中から適切なものを選択していこうとする。
今行っているのは、アルトリアが持っていたアバターの形を変化させる権限の操作だ。
その操作を行っている間はアバターは全く動けない状態になってしまう。
しかもこの権利の恐ろしいところはプレイヤーでありながらNPCやモンスターにさえ設定を変えられることにあったのだ。
これを見た瞬間にテンリは一部のプレイヤーが行方不明になったのを思い出したのだが、おそらくはモンスターやNPCに変えられてしまったのだろうと予測してテンリは余計に怒りを感じながら何にすべきか考えていたのだ。
「う~ん、ま、これでいっか」
テンリはとりあえずという形で全員をめちゃくちゃ体形の悪い男に変更して、さらにNPCというカテゴライズにアルトリアたちを変更。
その後にとある命令をして下の層に誰もいないものすごいぼろい家があるのだが、そこに転送してしまった。
「ふぅ、とりあえずはまあこれでいいとして……」
テンリはすぐに未だ驚きで硬直してしまっているトーカに話しかけた。
「いつまで寝てるのさ? もう麻痺は解けてるよ?」
「え、あ、ホントだ」
トーカもやっと頭が追い付いてきたようで、すぐに立ち上がる。
ほんの少し、気まずい空気が二人の間に流れるが、先にその沈黙を破ったのはテンリだった。
「……さて、とりあえず、俺の家に戻ろうか」
テンリの内心としてはどちらかと言えばこっちが本番だったりする。
なぜならアルトリアの管理者を奪った方法は、テンリにしかできないバグ技ともいえるようなものなのだから。
(はあ、うまい言い訳が思いつけがいいんだけど……)
どうにも、テンリはトーカに嘘が通じない気がして憂鬱な気分になるのだった。
◇◆◇◆◇
アルトリアとの一件が落着したあと、テンリとトーカは44層のテンリの屋敷のような大きな家に戻って来ていた。
二人は家に帰るまでの間無言であり、家に帰ってからもテンリは管理者権限の確認を、トーカはこの家を出る前までやるつもりだったツイン・ヘル・ドラゴンの調理を行っていた。
互いが互いに会話をするタイミングを見計らっているものの、どうしてもそのタイミングがつかめない。
そんな時間がどれくらい続いたのだろうか、気がつけばトーカの料理が出来上がっていて、二人で食べる段階まで来てしまっていた。
「「いただきます」」
二人同時にその言葉を発して黙々とご飯を食べ始める。と──
「テンリくんが無事でよかった」
最初に沈黙を破ったのは今度はトーカだった。
トーカはなおも続ける。
「あの時、ボク何もできなかったから……よくわからなかったけど…………ともかく無事でよかったよ」
トーカの瞳には大きすぎるのではという安堵と、何か別の感情が入っているようにテンリは感じた。
その別の感情が何なのか、テンリにはよくわからなかったがそれでも、この流れにテンリは乗ることにした。
「いや、まあ、あの状況は俺にとっては望んでいた結果でもあったわけだから、むしろトーカは巻き込まれた側だ」
「望んでいた? どういうこと?」
「うーん、あの小屋の中でも言ったけどさ。あいつらならきっとプレイヤー同士の殺し合いをするイベントをやるだろうと予測してたんだよ。だから、俺は犯罪者が出た瞬間に片端から消滅させてきたわけなんだけど、そうすると絶対に運営側が接触してくると思ってたんだ」
「なるほど……でもテンリくんのアバターを消滅させられるとかは思わなかったの?」
「う~ん、奴らからしたら《断罪者》っていうのはたぶんかなり面白いプレイヤーだったと思うから、それは最終手段だと思ったんだよな」
「そう、なのかもね……そういえば、アルトリアたちはどうなったの?」
「あー……少なくとも食事中に言うようなことではない」
トーカのアルトリアの呼び方に〝さん〟がなくなっていることにテンリはなんとなく気持ちを察しながら、しかし彼らの顛末を目の前の女性に言ってもいいものか悩んで言葉を濁す。ただテンリはその状況を想像してちょっと複雑な表情になってしまった。
「そ、そっか、あいつらはもう何もできないんだね」
「ああ、それだけは確かだ」
テンリの顔からこれは聞かないほうがいいと判断したのか、トーカが話を先に進めるので、テンリもそれに乗っかる。
テンリとしてはこのままの流れでうまく話を濁していきたいなぁと思いながらどう話すか考えていた。
というのも、テンリがアルトリアから管理者権限を奪うことが出来た理由は魔法を使ったからなのだ。
最初にこの仮想の世界に閉じ込められたときは管理者権限すら凌駕する魔法を発動するしかなくて、それは危険だと思って避けていたのだが、一時的に相手に介入するくらいならそこまで問題がないことはこの一年間の間に何度か魔法を使う実験を行っていた分かっていた。
だから管理者側から接触してきて、その管理者権限を魔法で奪い、それを使って何とかログアウト不能を解除できるようにしようというのがテンリが《断罪者》としての活動の最大目標だった。
このあたりのことをトーカにあまり突っ込まれて聞かれたくはないのだが、思わずテンリが「望んでいた」と言ってしまったのでそのあたりのことまで説明しないといけない。
本当に、何かいい言い訳はないだろうかとテンリは必死に《並列思考》まで活用して考えるも──
「それで? 望んでいたってなんなの?」
どうやらそううまくはいかないらしい。
テンリは何とか誤魔化せないかぁと考えながら、とりあえず望んでいた理由を説明する。
「まあ、簡単に言えば俺には管理者権限を奪う力を持ってたから、管理者が接触してくれるの待ってたというわけだよ」
「ふーん」
ジトっとした目をトーカが向けてくるが、テンリはこれおいしいなぁと言いながらはぐらかす。
「……それでログアウト不能を解除することはできそうなの?」
「いや、まだ、これじゃ足りないみたいだ」
「まあ、そっちについてもアテはあるけど」
「アテ?」
「そ、多分どこかにゲームを内部からいじれるコンソールがあるはずなんだ」
「なんでそんなことが言えるの?」
「このVRゲームっていうジャンルはプログラムで出来上がっているわけなんだけどさ。そのプログラムの結果は実際にフルダイブしてみないとわからない部分が多い。そう言う理由もあって現在ある多くのVRMMOの根幹になっているプログラムには必ずどこかにコンソールが生まれるような仕組みになっているはずなんだ」
これはテンリが過去にちょっとした遊びをしていた経験からの知識だ。
まあテンリとしてはこの過去にはちょっと触れてほしくないのでこの話だけは絶対にしないつもりなのだが……
「それがあれば、管理者権限と合わせてシステムを大きく動かすことができると思う。イベント発生なんかも多分この2つの組み合わせでやるつもりだったんだろうしな」
「ふーん、じゃあテンリくんはそのコンソールを探すのね」
「ああ、そうだな。残念なことにコンソールの場所は管理者権限でもわからないし、あいつらがそんな情報を話すわけないから自力でやる必要があだろうからな」
テンリが管理者権限を奪ったのはバグのようなもので、そのために実は一部使えない状態になっていて、それがコンソールの居場所の部分だったのだ。テンリとしては完璧に奪ったつもりだったが、自動的に重要な情報が破棄されるようになったのだろうと判断している。
詳細はどうあれコンソール発見には苦労することは明白だった。
「ま、これは結構難しいだろうけど、絶対に見つけるさ」
幸い、そのあたりのことをトーカは深く追求するつもりはないようだったので、テンリとしてはそのあたりのことはかなりありがたかった。
「そっか、じゃあ私は宿に戻ろうかな……」
「ん? なんでだ?」
ふと、突然トーカから出てきた言葉にテンリは驚く。
「だって、私のせいであの人たちと出会って命の危機にさらされたんだよ?」
「んん? それはさっき俺が──」
「ともかく、私は宿に戻るから」
トーカの言葉が支離滅裂になっていることにテンリは違和感を覚えて反応するも、トーカはそれに気がついた様子もなく、あるいは気づいているからおもむろに立ち上がってテンリの家を出て行こうとした。
「な、ちょ、待ってくれよ!」
テンリは訳が分からずトーカの腕をめいっぱいつかんで動きを止める。
「……離して」
「そんなことできるかよ!」
あまりにもトーカの様子がおかしいことにテンリはものすごく混乱していた。
それゆえか、思わず声を荒げてしまったのだが、そのことにテンリ自身が驚いていた。
(こんなに感情を表にはっきりと出すことっていつ以来だ?)
先程のアルトリアとの一件もそれなりに感情的だったが、それでもかなり冷静であったように思う。途中大分ひどい笑みを浮かべていた気がするが、それでも声を荒げたりするということはなかった。
だが、今回はなぜだかわからないがものすごく感情的になっている。
その理由はトーカが関係しているのだろうとわかるのだが、それでもテンリにはこれがなぜなのかはわからなかった。
とにかく、その感情の元がなんであれ今テンリはどうしたいかと言えば、
「何かあったのか? 出来れば俺に教えてほしいんだが……」
テンリは、普段は元気で、それでいてお姉さんのようなところのあるトーカがこれほど取り乱しているように見える理由が知りたかったのだ。
だが、この世界に転生してきてからほとんど仲の良い友達というものを作れなかったテンリのコミュニケーション能力の脆弱さが原因か。
「何があったのかって? そんなのあったに決まってるじゃないか!」
どうやら地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「テンリくんだって聞いてただろ! ボクは全身不随なんだって! そんなこと知られたくなかったんだ! なのに知られてしまった! それで何があったかなんてテンリくんって結構デリカシーないよね!」
「なっ!? いや、まあそうかもだけど……」
魔王様は自覚があったらしい、ちょっと心をえぐられたかのようにテンリはシュンとなってしまう。
が、どうやらトーカの爆発した感情はそれだけでは収まらないようで──
「ボクがこの世界で強い理由はこの世界しかボクが自由に動ける世界がないからなんだよ! だからこの世界で一番になろうって思ってたのになんでテンリくんはそんなに強いのさ! 反則なんだよ! どうせオリジナルアビリティだって隠し持ってたりするんだろ! もうふざけてんのかっていいたいくらいだよ!」
その後もしばらくテンリに対して言いたいことを畳みかけるように言うトーカに、テンリは魔王時代も含めてかつてない程落ち込んでしまった。心なしかちっちゃくなってしまったように見える。
だが、元魔王様なテンリは負けず嫌いなのだ。
とりあえず反撃に出ることにした。
「なんだよ! こっちは心配してたんだぞ! 大体、全身不随について俺はまるで気にしてないのになんでそっちが気にしてるのかわかんないね! 悲劇のヒロインでも気取ってるのかな! 自意識過剰だろ!」
「な! 言ったな! 自意識過剰って言ったな! そんなもんそんな事態になったことのある人間にしかわかんないだろう! 私がどれだけ苦しい思いをしたか知らないで!」
「ああ知らないね! でも俺はそんなの関係ないな! だってその苦しい感情なんてものはトーカにしか解決できないんだから知ったこっちゃない!」
「なんだよ! 罵倒するだけしといてそこから放置しないでよ! ボクはテンリくんのこと好きなんだよ! だから好きな人にボクが動けないなんて知られたくなかったのにそういう事言っちゃうなんてひどすぎるんだけど! もうテンリくんなんて嫌い!」
「なんだよ! 勝手に好きとか嫌いとか言ってさ! 相手の気持ちを無視してるのはどっちなんだよ! むしろトーカの方が自己完結してこっちを放置してるだろ!」
「…………じゃあ、テンリくんは私のことどう思っているわけ?」
「え? え?」
口喧嘩がだんだんと痴話喧嘩になっていつの間にかキャットファイトのようなものに発展してきたところで突然トーカが囁くように聞いてきた。もちろん子供のように喧嘩に夢中になっていたテンリにはあまりにも唐突な状況の変化に戸惑いの声しか出ない。魔王様はこういった会話をしたことがないのだ! 残念なことに!
そしてテンリが戸惑っている中でトーカはたたみかけるように言葉を紡ぐ。
「ボクはテンリくんのことが好きだよ?」
「う、あ……」
「この気持ちはつい最近気がついたものだけど、でも今ならわかる。初めて出会ったときからボクはテンリくんに恋してたんだ」
「え、あ……」
「全身不随って知られて、テンリくんがどう思ってるのか不安になったから逃げだしたくなった。それくらいテンリくんのことが好きなんだよ」
「お、あ……」
「だから、テンリくんの気持ちを知りたい。テンリくんは私のこと、どう思ってるの?」
「…………」
テンリはトーカの言葉に反応できない。
トーカの目は仮想のものであってもその中に確かな本気を感じさせるものだった。だから、テンリも真面目に答えるべきだというのは理解している。
だが、じゃあトーカのことをどう思っているかと言われれば──
「──わからない。好きか嫌いかで言えばまず間違いなく好きだけど……それがトーカを愛しているということかどうかと言われると……」
なんとも中途半端で、何というかぼっちをこじらせて他者との関係が分からなくなっているような人間の言葉だが、それでも誠実に答えるならばそういうことなのだろうという自覚があった。
「なんか、随分と中途半端だね」
「仕方ないだろ? 生まれて初めて告白なんてものをされたんだから」
「まあ、それもそうだよね」
「ただ……」
「ただ?」
「とりあえず伝えておきたいのは、例えトーカが全身不随だろうが不治の病にかかっていようがトーカが好きなのは変わらないし、何よりトーカにはずっとコンビでいてもらいたいとは思っている」
「う、あ……」
先程の痴話喧嘩からテンリはトーカがパーティーを解消しようとしていたとなんとなく悟っていた。
それ故に先手を取る形でそう発言したのだ。
そしてそれはどうやら予想以上にトーカにクリティカルヒットしたようで、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。かわいいと思ってしまったのはテンリの内緒である。
ともあれテンリとしては言いたいことは言ったので、
「トーカ、俺とこのままコンビを組んでくれるか?」
今度はトーカに質問した。
「…………うん、テンリくんが、こんなボクでいいと言ってくれるなら」
「その答えはもう言ったよ」
トーカの控えめな言葉にテンリが強く言うと、それにトーカは笑顔で返した。
テンリもその反応を見てもう言葉は必要ないかなとも思ったが、それでも一応言っておこうとトーカに言った。
「じゃあ、これから改めてよろしくな」
「うん、よろしく」
トーカもテンリにもう一度笑顔で返す。
なんだかここに来てやっと、本当のコンビになったような気がしてテンリは思わず苦笑してしまうが、次の瞬間にその頬を別の意味でひきつらせた。
「それで? なんでテンリくんは管理者権限を奪うことなんてできるのかな」
「え? いや……」
「だって、そんなことが出来るなんておかしいよね? 何か隠してるんでしょ?」
「あの、ですから……」
「さあ、コンビには隠し事せずに話しましょうね?」
「…………はい」
この後、テンリが俺は魔王なんですと言って、トーカに白い目を向けられたのは言うまでもないことだった。