夕陽×部室×後輩女子
『膝枕事件』から数日後の放課後。俺こと冬木秋彦は野田朱里と文芸部室へ向かうため、校内を移動していた。
「先輩、ちょっと」
後ろから声を掛けられた。野田共々振り返ると、そこには下級生男子が一人。
「野田、呼ばれてるぞ」
「いや、君だろう」
「俺にそんな趣味はない」
「ならば私か。ふむ。私には健介がいるのだが…」
などと言っていると、下級生男子が口を開いた。少々苛立っているようだ。
「人の話聞けよ。用があるのは冬木先輩、あんただ」
ほう。俺に用があるとな。
「残念だが俺はお前に用はない。他を当たれ」
「めんどくせぇこと言ってんじゃねぇよ。笹井夏紀にはもう近付くな」
「なんだ?お前は笹井のおとんか?」
「ふざけてんじゃねぇよ。ちげーに決まってんだろ」
「なら知ったこっちゃねぇな。早く家帰ってクソして寝ろ」
「冬木先輩、あんた目障りなんだよ。笹井は俺が落とすんだ。うろうろすんな」
「知るか」
「まあいい。笹井はすぐ俺の物になる。その時たっぷりと後悔させてやる」
そう言い残して、下級生男子は立ち去っていった。
「…思わずイラッとしたよ、冬木」
「奇遇だな、俺もだ」
「さらに喋ろうものなら、口にホチキスを二つ、つっ…」
「それ以上は言うな。戦争をおっ始めるつもりか?」
「私の趣味はよくわかっているだろうに…しかし冬木、さっきのはらしくない、な」
「何がだ?」
「あの生意気な坊主との会話さ。何事にも動じない冬木にしては、全開で喧嘩売ってただろう?」
「そうか?」
「ああ。まあ相手に友好さの欠片もなかった点は考慮するがな。しかし冬木、あの坊主には気を付けろ」
「何故だ?」
「彼奴は二年の小山内翔太。女好きのクズ野郎との噂だ。酷い仕打ちを受けた挙げ句、捨てられた友人がいる」
「マジかよ、その話」
「信じられないか?だが事実だ。彼奴はそこそこのイケメンで、すらっとした長身だ。しかも話術がうまくてな」
「……」
「まあいい。夏紀君には、私から注意を促しておく。必要に応じて相談にも乗ろう」
「わかった。よろしく頼む」
「夏紀君の可愛らしさにゾッコンなのは冬木だけじゃないということた。はっはっは」
ほっとけ。
*
それから数日後の金曜日。俺は図書委員の仕事で図書室にいた。
「冬木先輩、配架終わりました」
「わかった。受付当番以外はもう帰っていいぞ」
その時だった。
「冬木先輩!大変です!」
図書室に飛び込んできたのは、いつぞやの料理部員だった。
「夏紀が!夏紀が!」
「笹井がどうした?落ち着いて話してくれ」
下級生女子は数回深呼吸してから、話し始めた。
「ほ、HR終わって、夏紀と帰ろうとしたら、小山内君が来て…夏紀をしつこくデートに誘って…夏紀は断ってたんだけど…そしたら吉永さんが突然夏紀に突っ掛かって…酷いこと言ってると思ったら、突然鞄からカッター取り出して…」
「笹井は今どこだ?」
「三階の中央廊下…」
聞くや否や、俺は走り出した。全速力で廊下を駆け抜ける。
そして中央階段へ辿り着くと、一気に駆け降りる。人だかりを蹴散らし、一気にその中へ躍り出る。
「笹井、大丈夫か!」
「せ、先輩!」
笹井の前に現れた俺にいくばくか驚いたようだ。笹井の脇には健介がいた。
「健介、お前が今まで笹井のそばにいてくれたのか。ありがとな」
「気にするな、ひこ兄」
「さてと」
俺の目の前には、興奮してカッターを振り回している女子が一人。こいつか。
「何よあんた!あんたも笹井の味方をするの!ふざけんな!その女さえ、その女さえいなければ!」
喚き散らす吉永。こいつは…
「理由はどうあれ、カッターを振り回してんじゃねぇよ」
「うるさいうるさいうるさい!その女があたしから翔太を奪った!その女狐が寝取ったんだ!そうでなきゃ、そうでなきゃ翔太がそんな女に靡くわけがない!」
よく見れば、吉永の背後に腰を抜かした小山内がいる。こいつが全ての元凶か。
「それはお前の独り善がりの妄想だ。そんな事実は欠片も存在しない」
「黙れ黙れ黙れ!その女さえいなければ!…殺してやる!殺してやる!」
カッターを振り回しながら迫ってくる吉永。その時、目の端にチェケラが映った。
ナイスだ、チェケラ!それならば…
身を屈めて、一気に間合いへ飛び込む。カッターが振り上げられた隙に、渾身の力を込めて、吉永の鳩尾辺りに左腕を打ち抜く。
一瞬の静寂。それから吉永の身体が派手な音と共に吹っ飛ぶ。
「どけどけ!」
ようやく辿り着いたチェケラ先生が、野次馬を蹴散らす。カッターを拾い、回収する。
「おら、吉永!さっさと立て!職員室まで来い!」
本気で痛がり、蹲っている吉永に対して、容赦のないチェケラ先生。腕を掴んで引きずっていく。
「あと、そこのクソガキ!あ〜、木古内!お前もついて来い!」
しかし小山内は立てない。
「ちっ、これだからガキは…おい大西!お前も事情を聞くから職員室だ。ついでにそこの役立たずのヘタレも連れてこい」
「わかりました。おら!小山内!行くぞ」
襟を掴んで容赦なく小山内を引きずる健介。なす術なく引きずられる小山内、哀れだ。
「冬木!貴様と笹井は日を改める!おらクソガキども!散れ!」
そう言い残して、チェケラ先生一行は立ち去った。
振り向いて笹井を見れば、今にも泣きそうだった。その時。
「冬木!」
声の方を見遣ると、鍵が飛んできた。慌ててキャッチする。
声の主は野田だった。そして鍵は文芸部室のものだ。
アイコンタクトで礼を言うと、野田は大きく頷いた。
「笹井、とりあえず移動しよう」
すると笹井はこくりと頷き、俺のシャツを掴んだ。仕方がないので、笹井の肩を抱き寄せ、歩き出す。
するとざわついていた野次馬どもが静になり、十戒の如く人だかりが二つに割れる。
その間を通り、俺らはその場を後にした。
*
部室を開けて、中に這入る。後ろ手に戸を閉めた途端に、側面の本棚へ突き飛ばされた。
本棚に背中を打ち付けると、笹井が近付くなり俺の胸に顔を埋めた。シャツを掴んで、動かなくなった。
「どうした、笹井?」
「…」
笹井は答えない。どうしたものか、と思案していると、ようやく笹井が口を開いた。
「ねぇ、先輩」
「おう、どうした?」
「…すごく、酷いこと、言われた」
「ああ、聞いてた」
「すごく、傷付くこと、言われた」
「ああ、聞いてた」
「すごく、悲しいよ、先輩…」
「…」
掛ける言葉が見つからない。
「私、そんなに酷いこと、してないよ。なのに、なのに…」
「笹井がそんな奴じゃないことを、俺は知っている。謗りを受けるような奴じゃない」
「先輩…」
「だから、もう我慢するな。ここには笹井を傷付ける奴はいない。もう、大丈夫だ」
「で、でも…」
「気にするな。気が済むまで付き合ってやる。悲しいなら泣いていいんだ」
優しく肩を抱き止め、頭を撫でてやる。
「……」
笹井は答えず、静かに泣き始めた。静寂の中に、嗚咽だけが響いた。
*
どれくらい時間が経っただろうか。笹井はもう、泣いてはいなかった。
「どうだ、落ち着いたか?」
こくりと頷く笹井。
「そうか、それはよかった」
「…ねぇ先輩。話しても、いい?」
「ああ、何だ?」
「初めて会った時も、ううん、二年に上がってからずっとだったの」
「…」
「たまたま席が近くて…最初はよく話し掛けてくるな、くらいだったの」
小山内のことか。
「でもね、途中から、しょっちゅう遊びに誘われるようになって…手を握られたり肩に腕を回されたり…」
そんなことしてたのか、あのクズ野郎。
「元々、あまりいい印象じゃなかったんだけど…断っても断っても、諦めてくれなくて…友達も間に入ってくれたけど効果なくて…そしたらすぐに吉永さんに絡まれるようになって…一人の時を狙われて…」
「そう、だったのか…」
「本当に、辛かった。悲しかった…」
「なあ、笹井」
「…何?」
「もしこれから先、何かあったら、俺が半分背負ってやる」
「……」
「悲しい時は一緒に泣いてやる。嬉しい時は、一緒に笑ってやる。戸惑う時は、一緒に悩んでやる」
「………」
「笹井を一人にはしない。必ず支えてやる。どんな時でも、な」
「…先輩、それ聞いててすごく恥ずかしいんだけど」
「だからどうした」
「ふふ、先輩らしい」
「ほっとけ」
「ねぇ、先輩」
「何だ?」
「私、先輩にすごく惹かれてる」
「奇遇だな、俺も笹井に惹かれてる」
「だから、付き合ってほしいの」
「ダメだ」
「どうして?」
「こんなことがあったばかりだしな…それに」
「それに?」
「信頼は築きにくく、壊れやすい。だから、俺が信頼に足る男かどうか、笹井の目で見極めてからだ」
「…先輩、いつの時代の人?」
「うるさい」
「ふふふ、でも先輩らしい」
「惚れた女を悲しませる訳にはいかないからな」
「…バ、バカ」
叩かれた。全くこいつは…
と、笹井が顔を上げた。泣いた跡が少し残っている。
「じゃあ先輩、先輩のこと、いろいろ教えてくれる?」
「ああ」
「ありがとう」
夕陽に照らされた笑顔は、とても可愛かった。不純物の混じっていない、計算や媚びのない、そんな笑顔。
思わずフリーズしそうになる。危ない危ない。
「個人情報保護法に抵触しない範囲でな」
「…それってほとんど抵触するんじゃない?」
「だろうな」
「ちょっと先輩!何でそんなこと言うのよ!」
「ハハハージョウダンダヨー」
「何で片言になるのよ!」
「まあ気にするな。さて、そろそろ帰るか」
「そうしましょ。釈然としないけど」
済まんな笹井。誤魔化すためだ。
*
その日の夜。気を利かせた頼子が、笹井と野田と三人でお泊まり会なるものを開催した。
まあ両親ズはいないので、健介が我が家へ退避してきた。居心地悪いだろうしな。
ガンシューをしていると、携帯が鳴り出した。キャット・スティーブンスの『雨に濡れた朝』だ。
ゲームを一時停止して携帯を引き寄せる。すると健介が聞いてきた。
「ひこ兄がこんな曲聞くなんて、意外だな。で、誰からよ?」
ディスプレイを見ると、笹井だった。
「…もっしもっし亀よ〜亀さんよ〜」
歌って出てみた。隣で健介が大爆笑している。
『なんて出方をするのよ先輩!』
「どうした、こんな夜更けに」
『あ、ごめんなさい、寝てた?…っていうか、話逸らすな!』
「いや、起きてるぞ。今日はチャンピオンズリーグの深夜放送を見るからな。仮眠もとったし」
『…暇人』
「用がないなら切るぞ」
『ああ、ごめんなさい先輩!ちょっと待って!』
「何だ?」
『あ、あの、今日はありがとう。そ、それでね…』
「それで?」
『…あの…こ、これからなんだけど…』
「うん?」
『あ、秋彦先輩って、呼んでいい?』
「…」
すると電話口から向こうの騒ぎが聞こえてくる。
『夏紀君、可愛いぞ!あ、朱里ちゃん、撮らないで!よりちゃんは抱きつかないで!』
何やってんだ、あいつら。
『冬木、ちゃんと夏紀君に答えてやりたまえよ』
突然野田が出た。ほっとけ。
「なら代われ」
『もしもし』
笹井が出た。
「よう。いいぞ。というか、呼び捨てで構わんぞ。秋彦先輩じゃ長いからな」
『それで、いいの?』
「そう言った」
『じ、じゃあ…秋彦』
「どうした夏紀?」
『な、な、な…』
「俺が笹井と呼んでいたら釣り合わんだろうが」
と、そこで唐突に電話は切れた。
こうして、俺と夏紀の関係はリスタートするのだった。
追記だが、この後野田からのメールには、電話しながら赤面する夏紀の写メが添付されていた。そして週明け登校すると、俺と夏紀は校内認定カップルになっていた。…暇人どもめ。
終
お読みいただきありがとうございます。当シリーズを全てお読みになった方がいらっしゃれば、幸いです。
さて、本シリーズもここで完結です。本来なら、一作だけで終わる予定が、あれよあれよという間に計五本のシリーズに…自分でも驚いています。
もっと書き続けたい気持ちもあるのですが、これ以上書くのなら最初から練り直して、連作として書き進めるべきと思い至り、完結としました。
話は変わりますが、友人にこのシリーズを読んでもらったら、夏紀を「ツンデレ」と言いやがりました。
…失礼。そのせいか、自分の中では本シリーズを「ツンデレシリーズ」と勝手に名付けております。
閑話休題。
秋彦と夏紀の物語も、これにて終演です。またの機会がありましたら、その際は二人を見守っていただければ、これに勝る喜びはありません。それでは、これにて。