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双子の王子と運命の神姫  作者: タチバナ ナツメ
第一章 魔の暗雲は忍び寄る
8/8

第七話 続々・フヴァール村にて

「ルル様ああああ!」

 唐突に、背後から私を呼ぶ声が聞こえた。

 続けて迫ってくる、ぱたぱたと忙しない足音。

「よくご無事で……安心しました! もう二度とお会い出来ないんじゃないかと思った!」

 振り返る間も無く、私は声の主に強く抱きしめられていた――と言えば随分聞こえは良いが、それはほとんど“奇襲”と表現してもいいくらいの鮮烈極まりないタックルだったのである。

「うぐっ……」

 出し抜けに前方へつんのめってしまったものの、私を締め上げる何者かの働きかけのおかげで、転倒には至らず済む。図らずも、強襲者本人に救われた構図である。

「わあああん! ホントに! ホントに無事でよかった! 手も足ももげてない! ちゃんとくっついてる! 良かった!」

 ところどころに物騒な言い回しを織り交ぜつつ、涙でぐしゃぐしゃになった顔を私の背中に何度も擦り付けていたのは、なめし革の軽鎧(ロリカ)を纏い、透くような金糸を頭の高い位置でお団子にまとめた若い女性だった。

 ああ……これ確実に、鼻水も一緒に擦り付けちゃってますよね、お姉さん。

 初めこそ“何すんのよ”と思わず沸騰しかかったものの、予想の遥か上を行く女性の狂喜っぷりを目の当たりにした途端、私の中の憤りは急激にしぼんでいったのだった。

 大の大人が、ここまで大泣きすることもあるんだ――

 しばし唖然としていたものの、どうにか平静を戻した私は、なるたけ優しい笑顔を作り、泣きじゃくるお姉さんに声をかけることができていた。

「えーと……貴女はどなたでしたっけ」

「え!? ルル様、私ですよ! 覚えてらっしゃいませんか!」

 お姉さんの口振りは、いかにも元より私を知っているかのようであった。

 とはいえ、身なりから考えれば彼女は騎士のようだし、一方的に私を知っていてもおかしくない立場の人ではあると思うのだけれど。

「あ……そっか、そうですよね。あの時のルル様はまだ小さかったし、覚えてらっしゃらないのも無理ないですよね。えへへ、すみません。年甲斐もなく騒いじゃって」

 遠慮がちに問うた私を見るなり、彼女はつぶらなヘーゼルの瞳をぱちくりと瞬かせ、気恥ずかしそうに頭を掻いていた。

「では! 改めてご挨拶させて下さい!」

 ようやっと正気に立ち戻ってくれたのか、こほんと小さく咳払いを零した後で、彼女は騎士らしくぴしりと背筋を伸ばして敬礼し、はきはきとした口調で切り出した。

「久方振りにお目にかかります、ルル様! 本日より、ルル様の近衛を務めさせていただくことになりました、マグ・メル騎士団のホリンです! 以後、宜しくお願いいたします!」

「こ、近衛……ですか?」

 耳慣れないその重厚な響きに、私は早々と面食らっていた。

「その通りです。ルル様は王子の大切な方ですもの! この先どんな俗物が現れようとも、私が必ずお護りいたします! ルル様に群がる害虫は、私が残らず叩き潰します!」

「は、はあ……」

“俗物”に“害虫”――。

 例えばそれは、この村を襲ったという盗賊団のような連中のことを指して言っているのだろうか。群がる害虫というフレーズを聞いた途端、真っ先にイメージしたものが今ここにいる二人の王子だったということは、敢えて伏せておくことにする。

 それにしても、彼女の言葉選びのセンスは、ちょっと変わっているというか――まだ一言二言口を聞いただけに過ぎないけれど、そこはかとなく不思議系の香りが漂っているような気がしてならない。

 専属の護衛がつくなんて、まるで突然王族にでも生まれ変わったかのような気分である。

 そもそも私を護るなんてことに、一体どれほどの意味があるというのだろう――大真面目に言ってのけた彼女を前に、私の脳裏を至極単純な疑問がよぎる。

 悪い言い回しになるが、昨日までの自由な身の上を思えば、それは体の良い“監視”ではないかとさえ感じる。ああ、なんて窮屈なのだろう――これからの毎日を想像しただけで、息が詰まりそうだ。

「ついでと言っちゃあ何ですけど、ルル様の身の回りのお世話も一緒にやらせていただきますから! 気軽に何でも仰ってくださいねっ!」

「よ、よろしくお願いしま……す」

「はい、こちらこそ!」

 しかし、とことん乗り気でない私を前にしても、彼女は揚々と胸を張ったままでいる。

 きっと同じなんだろうな、彼女も。

 私に期待の眼差しを注いでいた他の騎士たちと同様に、ホリンと名乗ったこの女騎士もまた、私を正真正銘の“運命の神姫”だと信じて疑っていない。伝説に記された英雄的存在を護るという大役に、誇りを感じているのだろう。

 ――ああ、なんて。

 なんてゾッとする話なのだろう。

 今の私にはとてもじゃないけど、たくさんの純粋な思いに応えられるだけの自信なんてない。

 いたたまれなくなった私は、思わず身を縮こめていた。

 再三繰り返しているように、私は未だ、遠い昔から定められていたという“運命”を受け入れ切れてはいない。それどころか、自らが選ばれた理由(わけ)を疑ってさえいる。

 なのに。

 時が経つにつれ、そんな本心を言い出しにくくなるような状況が次々と積み重ねられていく事態に、じわじわと焦りを感じ始めている。

 見る間にどんどん外堀を埋められ、着々と逃げ場を失っていくような切迫感に煽られている。

 これから先はきっと、常にそんな思いと隣り合わせで過ごさなくてはならないのだろう。

 ああ、辛いなあ。故郷の谷を出ると決めたときから、何となく想像していたことではあったけれど。


 しかしながら、一番やってはいけないことだけはちゃんと分かっているつもりだ。

 それは、薄っぺらな使命感だけで、偽りの英雄に成り果ててしまうこと。それだけは絶対にやってはいけないと分かっている。

 真実を捻じ曲げてしまうことは、知識の探求者として最も許されざる行為だから。

 忘れるな。今の私はただ、伝説の真実を明らかにするためだけに、ここにいる。

 怖気付きそうになる気持ちと戦いながら、私は心の中でそう何度も繰り返していた。


「いやあ、でも良かった~! 元気になられたこともそうだけど、すっかり大人になって! 大きくなったら美人になると思ってたけど、やっぱり予想通りだったわ!」

 先ほどから何度となく感じていたことだが、彼女は私を、ずっと以前から知る人間のようである。

 だけど、いくら必死に記憶の(おり)を掻き分けても、彼女との思い出は少しも浮かび上がっては来てくれない。

 うう、駄目だ。本当に何も思い出せない――

 惨敗しきった私はがっくりと肩を落とし、素直に白旗を揚げていた。

「ごめんなさい。私、全然覚えてなくて……」

「や、いいんですよ。覚えてる方が不思議なくらい昔のことですし、たった一度きりのことでしたから」

 すると彼女は、“やだ”と井戸端会議中のおばさんみたいにヒラヒラと手首を動かして、落ち込んだ私を軽々と笑い飛ばしてくれた。

「私、実は王子が初めて炎の谷(グレン・ティーナ)へ行かれた時に、ご一緒させていただいてたんですよ。あれはもう、十年以上前になるかなぁ。その時のルル様はまだ、こ~んなに小さくて。そりゃもう、妖精みたいに可愛かったんです。不謹慎ながら、このまま大きくならなきゃいいのにって、当時はわりと本気で思ってました」

「は、はあ……そうですか」

 さっきも似た温度で受け答えをしたような気はするが、他に何も言葉が出て来ないのだからしょうがない。

 薄紅色に頬を染め、きゃっきゃとはしゃぐホリンを目の前に、私はまたも返答に困っていた。

 何ていうかこの人、すごく騎士っぽくない人だなあ。

 もちろん私は、胸を張って言えるくらいにたくさんの騎士を見てきたわけじゃないけれど。

 偏見にすぎないと言われればそれまでだが、私の中の“一般的な騎士”像に最も近いのは、王子の近衛のファーディアである。

 真面目で一本気で、与えられた仕事は何でも卒なくこなす。おまけに背も高くがっちりしていて、見るからに強そうだ。顔つきも端正で凛々しく、煌びやかな王族たちの傍らに自然と溶け込めるくらいの気品と清潔感も持ち合わせている。

 女性のホリンを同じように比べてしまうのはちょっと大掴みが過ぎるかもしれないが、彼女の雰囲気はどっちかって言ったら――そう、何だかとても、ごく普通の町娘みたいなのだ。

 少なくとも、悪しき“俗物”とやらを軽々と捻り潰せるような強さを秘めているようには見えないんだけどなあ……まあ、親しみやすそうな人に世話を焼いてもらえるなら、それに越したことはないんだけど。

 人見知りの激しい私には、初見の人間を前にすると、こんな風にいろいろと思いを巡らせてしまう癖がある。

 それゆえファーストコンタクトが疎かになりがちで、相手の心証を損ねる結果に繋がってしまうことも多かったりする。

「何はともあれ、こうしてまたルル様にお会いすることができて、私はとても幸せです。一生懸命お護りしますから、どうぞ仲良くしてくださいね」

 しかしながらホリンは、不自然に黙りこくっていた私を気にした様子もなく、それどころか弾けんばかりの笑顔を浮かべて、私に手を差し伸べてきてくれたのである。

 ああ、この人は――すごくいい人だ。

 すぐさまそれを直感した後で、私はようやく気が付いていた。

 釣られて綻んだ表情が、いびつな作り笑いなどではなく、心から湧き出した満面の笑顔であったということに。

 ――こんな風に笑ったの、久し振りかもしれないなあ。

 ホリンの細長い手を握り返しつつ、私はしみじみと小さな喜びを噛み締めていた。

「おい、ホリン。主に向かって“仲良くしろ”とは何事だ。お前はちゃんと自分の立場を分かっているのか」

 その時、いつの間にかエレミヤさんの家を出てきていたらしいファーディアが、呆れ顔でホリンに苦言を呈していた。

「あ、いえ……私はそんな」

 咄嗟の私の返答が酷くぎこちなくなってしまったのは、渋い顔をしたファーディアの発言に怯んでしまったせいかもしれない。

 彼が敬語を使わないで話すところを見たのは、これが初めてだったのだ。

 普段のファーディアって、結構ぶっきらぼうなんだなぁ……ちょっと意外かも。

 しかしながら、露骨に額を曇らせる同僚を前にしても、ホリンは何食わぬ顔でさらりと答えてみせる。

「あら、ファル。貴方ってホント、お堅いのねぇ。自分だって昔ルル様とは仲良くしてたんだから、もう少しフランクにお話したっていいんじゃないの?」

 愛称呼びなんてしているところを見ると、二人はそれなりに親しい関係なのかも――なんて、こっそり邪推がよぎったのも束の間のことだ。

「え、そうなんですか?」

 もしかしてホリンだけでなくファーディアも、小さい頃の私を知っている?

 ホリンが漏らした意外な情報に驚いた私は、思わずファーディアに強い眼差しを向けてしまっていた。

 そっか、そうよね。

 彼は長いこと王子の近衛をやっているはずだし、ずっと以前から私を知っていたとしても、別段おかしくはない。

 けれど、()()仲良くしていたという言い回しは、どことなく引っ掛かるような。

「……余計な事を言うんじゃない」

 私と目が合うや否や、珍しく彼は、焦ったように瞳をぎょろつかせていた。

「もう、怖い顔しちゃって。しょうがないわね」

「聞かれてもいないことを無闇に話すなと言っているんだ。お前は口が軽すぎる」

 話す機会はたくさんあったはずなのに、彼がこれまで私にそんな話を一切しなかったのは何故なのだろうか――わざとらしく目を逸らしたその仕草には、深い意味が隠されているような気がしてならなかった。

「あの、ファーディアさん――」

 思わず言及しようと呼び止めるも、彼はそれまでの倍掛けほどもわざとらしく咳払いを零し、ますます私の方から目を背けてしまう。

 そうして、ニコニコとこちらを眺めていたエイルに無理くり向き直り、唐突に彼はこう切り出したのである。

「エイルワード様、あとのことは騎士団の者に任せましょう。貴方は昨晩から一睡もせずに村の調査にあたっておられるのです。少しお休みになられた方が――」

 喰い気味の口調が、そっくりそのままこの話題への拒絶の度合いを表しているかのように思われて、私はすぐさまそこで言及をやめてしまった。

 ――ここは、空気を読むべきかな。

 そこそこ馴染んできたとはいえ、彼との実質的な付き合いは、まだまだ浅い。

 何よりも彼は、公私混同を嫌う性格のはず。ここには王子たちもいるし、不穏な波風を立てないようにと、彼なりに気を遣っているのかもしれない。

 レオはそうでもなさそうだけど、あれでそこそこ根に持つタイプのエイルに、この話を突っつかれたらと思うと――

 薄ら寒い想像をしつつ、私は当のエイルをチラ見していた。

「そうだね……さすがに私も、少し疲れてきたかもしれないな。君の言う通り、この辺りでそろそろ休憩を挟ませてもらおうか」

 しかしエイルにこちらの話題を気にした様子は見当たらない。むしろ清々しい表情で胸ポケットからハンカチを取り出し、彼はこめかみに流れる汗を拭っていた。

 それにしてもエイルって、あんなハンカチ使ってるんだ――

 彼が汗を拭っていたのは、大振りなフリルをふんだんにあしらった、純白レースのハンカチである。まかり間違えば、ゴージャスって言うよりちょっと少女趣味っぽい感じの――まあ、イメージ通りと言えばイメージ通りなのかもしれないけど。

 ん? レースに、純白――?

 そこまでを思ったところで私は、彼の手にしたハンカチに()()見覚えがあることに気が付いていた。

「ちょっとそれ! 私の下着じゃないの! 返しなさい、変態!」

 彼が懐から取り出したそれは、紛れもなく私の愛用していたぱんつだったのだ!

 清潔な下着で汗を拭くなんて――っていうかそれ以前に、下着を盗むな! ストレートに犯罪だっつーの! それも最下等のやつ!

 光の速さでエイルの手から下着をもぎ取った私は、きょとんとするエイルの鼻先に、歯ぎしりしながら人差し指を突き付けていた。

「このっ……本域の変質者め……」

「いやあ、ごめんごめん。間違えちゃった☆」

 飽くまでも、明るい調子は崩さないまま。

 清涼感溢れる爽やかな声音を無駄に響かせたエイルは、“いっけない☆”と、まるで少女向小説の登場人物か何かのようにペロリと舌を出し、こめかみを小突いていた。

 ――こいつ、口では謝ってるけど絶対反省してない。本気で今からど突き回してやろうかしら。

「これはね、谷へ通ったついでに拝借してきた、君の私物のひとつだよ。まあ、こんなことは昔から何度と無く繰り返されてきたことだし、気にしないでいてくれると嬉しいな」

「何当たり前のように受け入れさせようとしてるんですか。どれだけさらっと言ってみたところで、犯罪は犯罪ですよ」

 聞きたくもない盗品解説を馬鹿正直に語り出したエイルのおかげで、私の全身の鳥肌は、もれなく三倍増量中である。

「はははっ。そんなに怒らないで、ルル。怒った顔ももちろん素敵だけど、私は君の笑った顔が一番好きだよ。ああそうだ、何ならここで今履いてるぱんつを渡してくれても」

「話に脈絡なさすぎるでしょ! いきなり気持ち悪い要求しないでください!」

 女の子の容姿をさりげなく褒める軽妙な口調そのままで、さらりと変態要求を零してみせるエイル。彼を見ていると、爽やかって言葉の意味が本当に分からなくなってくる――

「他に変なもの盗んでないでしょうね!? 出しなさい! 今ならまだ間に合うから!」

 広い袖口に、足首のあたりまである長い丈。さぞかし盗品の隠しどころには事欠かないであろう、エイルのゆったりとした学者風のローブをバシバシ叩いて探ると、何を思ったか彼は唐突に両頬をピンクに染め、恥ずかしげに目を伏せていた。

「あっ……駄目だよルル、こんなところで堂々と……いきなり何をするんだい」

「妙な声を出すな!」

 この状況で、こいつは……!

 相も変わらず、絶望的なほどたくましい妄想力である。

 濡れ衣もいいところのリアクションだが、一応顔だけは完全無欠の美青年なので、外面だけ見れば私が一方的にセクハラしているようにしか見えなそうなところが、何とも腹立たしい。

 そんなこんなで私がヒステリックに地団駄を踏んでいると、憤る私を押し退けてずずいと前に出たレオが、珍しくエイルに非難めいた視線を浴びせていた。

「お前、泥棒じゃあるまいし……いくら何でも私物を盗むなんて酷えだろ」

「レオ王子――」

 うわあ。一体どうしたの、この人。

 レオが大真面目に正論を口にするなんて――逆にどこか壊れてしまったのではないかと、ひどく不安な心持ちにさせられる。

 煌めく笑顔で下着を差し出せと迫ってくる弟より、遥かにマシだけど。

 ふわふわとまとわり付いてくるエイルのキラキラオーラを振り払いつつ、私が大柄なレオの後ろにさっと隠れると、彼は大きな手で私の頭を“よしよし”と撫で付け、揺るぎない口調でこんなことを零したのだった。

「安心しろ、ルル。俺はお前のぱんつなんかに興味はねえ。ぱんつを脱いだお前には興味あるが」

「はっきり喋りさえすれば、何でもまともな発言ぽく聞こえると思ったら大間違いですよ」

 やっぱりあの弟にして、この兄だ――いっときでも兄の方がマシだと思ってしまった自分がとても憎い。

「いやあ、微笑ましいですね。三人とも本当に仲が良さそうで」

 この状況のどこがそんな風に見えるって!? 不思議系どころかド天然なんじゃないの、このお姉さん!?

 もはや気持ちに言葉が追い付かず、私はただただ金魚みたいに口をパクパクすることしか出来なくなっている。

「ああいうのは普通、仲が良いとは言わん」

 そんな私に代わって、冷静なツッコミを入れてくれたのはファーディアであった。

 ああ、私の密かな心のオアシス――まともなツッコミ、もっとください!

 頭を抱え、深々とため息をついたファーディアは、気だるげな面持ちで双子の前に歩み出る。

「王子、やはり一度お休みになってください。このままずっと動かれていては、私の気が済みません」

 今の言い回しだと、“疲れてるからこそ出ちゃった変態発言”みたいな気遣いのニュアンスがあるのが引っ掛かるところではあるけど。

 いやむしろこの場合、ストレートに“鬱陶しいからさっさと引っ込め”って意味で言ってるのかしら。

 とにかく彼の表情からは、多大な疲労の度合いが伺えた。それはもう、休むべきなのは貴方のほうじゃないのって、真剣に声を掛けたくなるくらいに。

「ファーディアは過保護だなぁ。だけど、今日ばかりは君の心遣いに甘えようか。強力な助っ人も連れてきてもらったことだし……ね、ホリン?」

「はい、王子! ご命令通り、“あの方”をお連れしましたよ!」

 エイルに促され、再び背筋を正して敬礼したホリンは、得意満面で自身の傍らを指し示す。

 ――しかし。

「え、誰ですか?」

 ぽかんと口を開け、私は思わず問うてしまっていた。

 だって、そうでしょ。ホリンの示したそこには、どう見たって誰もいなかったんだから。

「あの……お連れしたはずだったんですけど」

 発言者のホリンも、不思議そうに両目をしばたたかせている。

 どうやら、エイルの呼び寄せた助っ人とやらがここに居ないことは事実のようだ。良かった、特定の人にしか見えないモノとかじゃなくて。

「何だと……!? お前まさか、見失ったんじゃないだろうな!?」

「あれ~? おっかしいなあ……後ろについて来てると思ってたんだけど、いつの間にかいなくなってる」

「お前という奴は……! 片時も目を離すなと、何度言えば分かるんだ!」

「そ、そんなに怒鳴らなくたって~……」

 さっと顔色を青白く染めたファーディアの慌てぶりは、まるでお国の一大事が起こったかのようである。

「おーい、聞こえますか~? おーい!」

 一方、焦ったファーディアに怒鳴りつけられたホリンは、困り顔で頭を掻きつつ、そこらの茂みの中や石の下をほじくり返している。

 え、ちょっと待って――いなくなった誰かって、もしかして人間じゃない感じだったりする?

「すみません、ちょっと探してきます! もしかしたら、その辺の池とか沼とか肥溜めとかに落っこちてるかもしれないし……」

 おそらく探しものが“生物”であることは確定的だと思うのだが、一連のやり取りを聞いた後も、それが何なのかは全くはっきりしてこない。

「あの……ホリンさん、一体何を連れてきたんですか? 子供? それともペットか何か?」

 元来た道を小走りに辿り始めたホリンを追いかけつつ、私は彼女に問う。

 しかし、ぶつぶつと独言を零しながら本格的に捜索を始めたホリンの耳に、もはや私の声は届いていないようであった。

「いいや、残念ながらそのどれとも違うよ」

 そんな彼女に代わって答えをくれたのは、鮮青色(ロイヤルブルー)のローブをなびかせ、軽やかな足取りで私に並走してきたエイルであった。

「じゃあ一体、何なんですか?」

「魔法使いだよ。とても優秀な、ね」

 悪戯っぽくウインクしたエイルの表情はまさに、悪巧みを思い付いた少年のようであった。

 集落を取り囲む森の入口へ駆け出したホリンの背中を、私はじっと訝しむ――

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