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双子の王子と運命の神姫  作者: タチバナ ナツメ
第一章 魔の暗雲は忍び寄る
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第四話 暗夜の不穏

 夜も深さを増し、いよいよマグ・メル城の天辺ではためく王国旗のシルエットが、森の向こう側にぼんやりと見えてきた頃のこと。

 黙りこくっていたこともあって、強烈な眠気に襲われていた私は、うとうととしながら、軽快に重なり合う三つの馬蹄の音を遠く聴いていた。

 そんな折、まるで揺りかごのようにゆらゆらと、一定のリズムで揺れ続けていた世界が突然ぴたりと動きを止め、私ははっと目を覚ましていた。

「ファーディアさん?」

 口元のよだれをそそくさと拭って、私は慌てて頭上を見上げる。

 見上げた先にいた赤毛の騎士は、私の問いかけには一切答えぬまま、険しい表情で前方を見つめ続けていた。

 見れば、両脇を並走していた王子二人も、何やら剣呑とした面持ちで、ファーディアと同じところを見つめている。

 ――もしかして、何かいるの?

 馬の鼻先に吊り下げられた魔法仕掛けのカンテラの光が照らし出せる範囲は、せいぜい数十フィートといったところだ。その範囲内に、動くものの気配はない。

「ひでえ匂いだ……」

 短く零されたレオの言葉が、不意に吹き付けてきた生温かい風の中に紛れて消えてゆく。

 瞬間、張り詰めていた周囲の空気がふわりと躍動するのを感じた。それと同時に、まるで胃の腑を持ち上げられるような気味の悪い感覚が体の真ん中を通り抜けてゆく。

 続けてぞくりと肌の泡立つ感覚があり、途端に強い嘔吐感がこみ上げてきた。

 気が付くと、私の周囲には――鉄錆に似た匂いと、それを覆い隠すほどの強烈な“死臭”が、分厚く立ち込めていたのである。

「なに……? 何なの?」

 殺伐とした空気に耐え切れず、私はとうとう泣き言のような声を漏らしていた。しかし、私の瑣末な投げかけに応えるものなどいるはずもない。

「ファーディア、お前はルルをエイルに預けて、俺と一緒に来い」

「承知いたしました、ライオネル様」

「え――ちょっと、待――――」

 口を挟む暇さえ与えられないまま、私は黙り込んだエイルに軽々と抱えられ、すぐさま地面へ下ろされた。

 馬を下りた後、振り返りもせずに闇の向こうへと進み始めたレオとファーディアを見て、私は思わず手を伸ばし、二人を引きとめる言葉を探した。

 しかし、私の発言を遮るかのように手首を掴んできたエイルが、無言のまま静かに左右へ首を振る。私を見つめるエイルの表情は限りなく無機質で、いつも私の前で見せているような緩みきった笑顔とは程遠いものだった。

「彼らなら大丈夫だよ、ルル。今は自分が無事でここを抜けられることだけ考えて」

 ちょうど頭の真横あたりの、愛馬の鞍に取り付けられていた小振りの弓を外し、エイルはじっと伺うように低く身構えて、前方へ歩き出した二人の背中を見つめている。

 ごくりと喉を鳴らし、逸る胸を押さえつけて、私もそれに倣った。

 二つのカンテラの光がどんどん遠ざかってゆくにつれ、置き去りにされた二頭の馬は、まるで主人の身を案じるかのように小さく声をあげ、ぶるぶると鼻を鳴らし始める。

 人間よりもずっと繊細な心を持つ彼らは、異常な気配を前に、ひどく怯えているのに違いない。そんな二頭を(なだ)めすかそうと、私は彼らの首筋をゆっくりと撫で付けてやった。

 そのすぐさま後で、前方の“異変”は、唐突に姿を現したのである。

「あれは――!」

 張り詰めたエイルの声に、私は思わずぎくりと全身を強張らせた。

 カンテラを手にしたレオとファーディアの目の前に突如現れたのは、ことごとく潰され、なぎ倒された憐れな樹木の残骸と――その残骸を踏み付けるように鎮座した、とてつもなく巨大な怪物だったのである。

 その全貌があまりに大きすぎるために、怪物の体のあちらこちらは闇の濃紺色に塗り潰されてよく見えない。

 けれど、私たちの足元に落ちた巨大なシルエットと併せれば、その形状は容易に想像が出来た。

 矮小な獲物を求め、地のすれすれを不気味にさまよう、怪物の顔と思しきもの。裂け拡がった口元に、いびつに生え揃った鋭い牙。瞼のない窪みにすっぽりと嵌まった、爛々と光るガラス玉のような眼球。体のあらゆるところを覆う、岩石のようにごつごつとした鱗。そして極めつけは、シルエットの中の――巨大な体躯を易々と覆い隠すほどのサイズを有した、蝙蝠のそれに似た一対の翼だ。

「あれはまさか、ドラゴン――!?」

 あまりの絶望感に、くらくらと目眩がした。

 まさかこのマグ・メル王国内に、地上最強の生物――“ドラゴン”が棲息しているなんて、ただの一度だって聞いたことがない。

 だからと言って、たまたま迷い込んできたドラゴンと遭遇しただけならば、何も恐れることなどないはずなのだ――人間よりも遥かに高い知能を有し、何より平和を重んじる気高い心を持つ彼らは、こちらから軽率に戦いを挑んだりしない限り、無益に人を襲うことなど有り得ない。

 しかし、彼は――私たちがたった今対峙しているこのドラゴンは、明らかに普遍種のそれとは様子が違っていた。

 彼のまとう、吐き気を催すほどの強烈な死の匂い。

 それはまさに、彼が今ほど“喰い散らかした”と思われる、血染めの骸の山から漂ってきていたのだ。

 ばりばりと、とても硬いものが噛み潰されるような音がしたかと思うと、ドラゴンの口元から零れ落ちた小さな残骸が、湿り気を含んだ厭な音を立てて地面へ転がり落ちる。

 なんて――なんて酷いことを。

 息が詰まるほどの恐怖と怒りとが、私の胸を凄まじい力で押し潰しているような気がした。

 口元を覆い、思わずその場に崩れ落ちそうになった私を、傍らのエイルがすかさず抱きとめてくれた。

「しっかりするんだ、ルル。君は私の後ろに下がっていて。もうこれ以上見ていなくてもいい」

「あ、ありがとうございます――エイル王子」

 そう言って、私はすがるようにエイルの腕を掴む。もはや今は、普段の関係がどうのと気にしていられる状況ではない。続けざまに彼の横顔を見上げた途端、またも私は、ぞくりと鳥肌の立つ感触をおぼえていた。

 矢をつがえ、じっと怪物を()めつけるエイルの瞳は、見た事もないくらいにぎらぎらと滾っていた。その燃えるような瞳からは、沸き立つ胸の内を必死に押さえつけているかのような、凄まじいまでの激情を感じる。

 日頃の彼ならば、こんなにも激しく負の感情を剥き出しにすることなどなかったはずだ。

 それを思った途端、私は胸の奥に、何故だか恐怖とも怒りとも違う、今まで味わったことのない気持ちが湧き起こってくるのを感じた。

 何だって言うんだろう、こんな時に。

 そんな自分に嫌気が差してくるのを感じながら、私は溢れ返った感情に、ますます意識が侵食されてゆく感覚をおぼえていた。

 他の二人はどうなったのだろう。“人喰い”ドラゴンの足元にいるはずのレオとファーディアは、一体――?

 薄れゆく意識の中で、私は前方の二人を垣間見る。

 かすんだ視界を過ぎったのは、レオの姿だ。弟と同じように全身から怒りをほとばしらせたレオは、背に負った大剣を今、まさに抜き放ったところであった。

 吠え声をあげたレオが、ためらうことなく巨大な影に踊りかかるのが見えた瞬間、私の意識は闇の向こうに閉ざされる――

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