◆回顧録 ~エイルワードのモノローグ~◆
やあ、御機嫌よう。
私の名はエイルワード。“喜びの島”の意を持つ騎士の王国マグ・メルの第二王子だ。
今日の私はいつになく浮かれている。
何故って、これから私は、世界で一番愛している女性のもとへ通うところだから。
近ごろの我が国は、近年にない自然災害や異常気象、そして人を襲う異形の怪物たちの急激な増加に悩まされている。
優秀な王国騎士団の皆々とともに、民の暮らしに大きな支障が出ぬよう手を尽くしてはいるものの、それも追いつかないほど深刻な被害が増えつつある状況だ。
もしかするとこれは、我が国が滅亡の道を歩み始めている兆しなのかもしれないと、私の父――マグ・メル国王マクリルは言っていた。
『マグ・メルの空にフォウォレの暗雲立ち込めるとき、白き神姫の夢枕に天海の神は降り立つ。
神姫の愛と、大いなる天啓に導かれし双生の王子は、やがて黒き神姫と闇の王子を打ち滅ぼすだろう。
大願を成就せし神姫は、ひとりの王子と尊き絆で結ばれる。さすれば世界は、再び真実のソラスを取り戻すだろう――』
これはマグ・メルの地にはるか昔から伝わる、預言書の一文だ。
魔の暗雲によって滅亡の危機に瀕した我が国を、天の神からの託宣を受けた神姫が救うという伝説。
そして、尊い絆でもって結ばれた神姫と王子が、この国に繁栄の光をもたらすという伝説――。
考えるだけで、胸の熱くなる物語だとは思わないか。
我がマグ・メル王家の長い歴史の中で、双子の王子が生まれたのは、今代が初めてのことらしい。
それゆえに父上は、私とその兄ライオネルが同時にこの世に生を受けたことこそが伝説の始まりであると考え、これまでの間、王国の行く末を常に憂いて生きてこられたということだ。
断じて言っておくが、別に私や兄の型にはまらぬ自由な人間性が父上を不安にさせてきたと言っているわけではない。決して。
まあ兄のレオに関しては、父上によく似て夢見がちな性格だし、どんな些細なことにも勝ち負けをはっきりつけようとする面倒な性格ではあるし、何でも力で強引に解決しようとするし、下半身の欲求にことごとく素直に生きているし、私よりもいくつか問題が多いことは認めるけれど。
とにかく、現在王国各地で起きている不可解な現象が、もしも預言書の中にある“暗雲”にあたるものなのだとすれば、我が国の滅亡が間近に迫っているということになる。
それゆえ私は、一刻も早く神姫のもとへと赴き、天空神の託宣を得なくてはならないのだ。
マグ・メルの滅亡を食い止める双生の王子が生まれたならば、彼らを導く運命の神姫もまた、王国のどこかに生まれているはず。
私とレオがまだ幼い頃から、父上は伝説の中にある“白き神姫”をずっと探し続けておられたらしい。
そうして見つかったのが、“幽谷の貴婦人”メーヴのもとで育てられた少女――我が愛しのリュシエンヌ嬢だったのだ。
ちなみに、彼女が選ばれた根拠に関しては、詳しく聞かされていないのでよくわからない。
しかし私にはもう、そんな些細なことなどどうだっていいんだ。
幼少の砌、父上に連れられて大魔女メーヴの隠れ棲む“炎の谷”へやってきた私は、ルルと初めて顔を合わせた瞬間に、運命を予感した。
みずみずしい若葉色の美しい髪と、安らかな暖炉の炎を思わせる、優しい朱の瞳。薄紅の差したような、つやつやと血色の良い頬。
彼女の愛らしい面差しを一目見た瞬間、私の全身には、稲妻に打たれたかのような衝撃が走り抜けた。甘いような、苦しいような、それまで感じたことのない感覚が私の胸を締め付けたのを、今でもはっきりと覚えている。
間違いないよ。あれはどう考えても、“一目惚れ”というやつだ。
酩酊したように彼女をぼんやりと見つめるほか、成す術を失っていた私に、ルルが初めてかけてくれた言葉は――
『変な目つきで見ないで。気持ち悪いわ』
だったかな。
私があまりにじっと見惚れていたおかげで、きっと照れ臭かったのに違いない。なんて奥ゆかしい女の子なのだろうと、胸が熱くなったよ。
あの澄んだ美しい瞳が、死んだ魚のそれのように濁り果ててゆく様は、今でも忘れられない。心の奥を何もかも見透かされているようで、とてもドキドキしたよ。ああ、なんて素敵なのだろう。
その日から、私の人生はがらりと様変わりした。
何をするにも、どこへ行くにも、私の脳裏には彼女の――麗しすぎる白き神姫の面影がちらついて離れなくなってしまった。夢の中でしかルルに会えないことがもどかしくてもどかしくて、思い煩う日が続いた。
だから私はあの日から、幽玄の谷へ足しげく通い詰めている。
その度に彼女は、あの頃と少しも変わらない淀んだ瞳で私を迎えてくれるんだ。
私一人だけではなく、毎度兄という余分な同行者がついてくることには正直、煩わしさを感じることもあるけれど――まあその辺りは、兄にも私と同様にルルと結ばれる権限があることを思えば、仕方のないことなのかもしれない。
ルルを私一人のものにしたいのは山々だが、だからと言ってフェアでないのは好まないからね。
対等な立場で兄と競り合い、そして打ち勝つことにこそ意味がある――そうだろう?
けれど、やはり夢の通い路から戻った後はいつも、遣る瀬無い空虚に苛まれてしまうんだ。
ゆえに私は、十八番の錬金術の知識を、彼女に逢えない寂しさを克服するため生かしてゆく決意をした。
これまで積み重ねてきた研究は、どれほどの数になっただろうか。
辺境の谷でしか咲かないはずの、彼女が好きだと言っていた花。それを城の中庭に植え替え、育てる研究に始まって――
毎夜確実に、彼女の夢を見るための研究。
彼女のより自然な生活風景を見守るために、彼女の側で完全に気配を消す研究。
彼女の遺失物をいち早く見つけ出して充分に観察し、彼女に気付かれぬようにこっそり返してあげる研究。
この間は、私の周囲のあらゆる生き物の声を、彼女と同じ美しい声に変える研究をしていたのだったかな。
我が城の最長老と言われているトマス爺や、地下牢で飼われている獰猛な大型犬のリグルにまで彼女の声を移してしまったのは、少々行き過ぎだった。
皺くちゃの老人や四つ足の猛獣から彼女の声が聞こえることが、あんなに胸に響かないなんて思いもしなかったんだ。
まあ、研究というものは、こういった数々の苦い失敗の上に成り立つものだから、仕方のないことなのだけれど。
今ちょうど取り組んでいるのは、彼女の放つ薔薇の花のような芳しい香りを人工的に生み出す研究だよ。
そのためにはどうしても標本として、彼女の私物が必要だったものだから――谷に通うついでに、めぼしいものをいくつか拝借したりもした。
泥棒だって? 人聞きの悪いことを言うもんじゃない。
あれらはいつか確実に彼女のもとへ返すつもりなのだから、盗んでいるわけではないんだよ。決して。
何の話をしていたんだっけ――ああそうだ。これからまた彼女に会いに行くのが楽しみで仕方が無い、という話だったね。
しかし今日はいつものように、恋に溺れた一人の憐れな男として、彼女との束の間の逢瀬を楽しむために谷へ足を運ぶわけではない。
王国に忍び寄る闇を払い去るため、私は伝説の中の“双生の王子”として、救世主たる“白き神姫”に会いにゆくのだ。
私と、私の双子の兄ライオネルの二人と、この世に生を受ける以前から繋がっていた、運命の姫を迎えにゆくために。
以前彼女と会ったのは、いつだったかな。
数年振り――数ヶ月振り――――いや、違うな。三日くらい前にも会ったのだったか。
とにかく私は、これから愛しい彼女に会いにゆく。
待っていておくれ、ルル。今日こそは君をこの城へ連れ帰ってみせる。
ああ、そうだ。彼女がここへやってくるなら、いろいろと隠しておかなくてはいけないものが――
いや、返すつもりはもちろんあるんだよ。だけどそれは今ではない。ただそれだけのことなんだ。
おっと、近衛が私を呼んでいるようだ。そろそろ本当に行かなくては。