第二話 続・迎えにきた残念王子
それにしても――である。
やはり、考えれば考えるほどおかしい。
私にはますます自分が、伝説に記されているような特別な存在だなんて思えなくなっていた。
ぐずついた鼻っ面をごしごしと擦って、外野の喧騒をしばし意識の外へと追いやり、私はひとり、思索に耽る。
だって、そうでしょう?
基礎的な魔法すらろくに使えず、大魔女メーヴに“才能なし”の太鼓判を押されたへっぽこ魔法使いの私が、王国に奇跡をもたらす“運命の神姫”? そんな虫のいい話、どう考えたって信じられるわけがない。
第一、伝説に語り継がれる英雄なんて言ったら、もっと何かこう――稲妻を呼ぶとか、ドラゴンに変身するとか、物凄い魔法のひとつやふたつ、当たり前のように使いこなせるもんなんじゃないのかな。いや――知らないけどね! 本物の英雄なんて見た事ないし。
だいたい私には神様どころか、実体を持たない霊的なものの存在を感じ取る力が、これっぽっちも備わっていないのだ。“尊きもの”、“善なるもの”などと呼ばれる神の眷属の中で、最も神格の低い“精霊”の声ですら聞いたことがないし、幽霊や悪霊の類にだって、一度も出くわしたことがない。
下手をすれば普通の人間以下の感受性しか持たない私を捕まえて、神託を授かるような尊い存在だと決め付けるに至った根拠が、さっぱり思い当たらないのである。
二人の王子の話によれば、私のことを最初に伝説の中の神姫だと言い出したのは、どうやらマグ・メルの“国王”らしい。
あの二人の父親と聞けば――当然のことながら嫌な予感を感じずには居られなくなる。事実として彼は、私の不安要素を倍増し以上にもさせる、奇妙な噂をいくつも抱えているのだ。
マグ・メルの国王マクリル二世といえば、道端の石ころやら古ぼけた遺棄物やらを拾いつけては、やれ“神器だ聖遺物だ”などと騒ぎ立てる英雄伝説狂だと、根っからの噂である。
幼い頃から変わらず毎日のように、行く先々で“伝説のアイテム”を手に入れては持ち帰るという行為を繰り返し続ける王様の部屋は、今や山のような神々しいガラクタたちに埋め尽くされており、王城の“聖なるゴミ屋敷”は、ちょっとした観光名所になっているとかいないとか。
子供の宝物っていうのは、いつの時代も大人からすればガラクタにしか見えなかったりするものだけど、それをいい大人――ましてやいい歳のおっさんになった今まで続けてるっていうのはどうなのよ。
夢見がちとか、感受性豊かとか――そんな言葉だけでは済まされないほどの、深刻な“妄想癖”を抱えているあたり、いかにもあの双子の父親らしい。そんな王様ならばきっと、思い込みだけで私を神姫にでっち上げることくらい、平然とやってしまいそうな気がする。
病的レベルの“妄想おじさん”といえど、相手は一国の王だ。単なる妄言だと分かってはいても、強く主張されれば、きっと周りは誰も逆らえないはず。
『この赤ん坊、生まれた時期的にあの伝説のあれっぽくね? 大魔女メーヴに引き取らせよう! そしたらきっとすごい救世主に育つよ!』
『いやいや王様、それはちょっと本末転倒というか』
『うるさいな! 俺がそうと決めたらそうなの! 誰でもいいから顔のいい奴ばっかでこの子を谷へ連れてって! ついでに伝説が動き出したって噂も流して!』
斯くして王様の壮大な妄想は、思いついた王様本人の強引な働きかけによって、現実となったのでした――みたいなぁああああ!?
私の運命が決定付けられた裏側に、そんなとんでもない筋書きがあったとしたら!?
見知らぬおっさんの妄想に付き合わされて、たった一度の人生を狂わされるなんて、冗談じゃない。
まだ十七になったばかりだっていうのに、これから先の運命をもう決められてしまうなんて、冗談じゃない。
ましてや好きでもない男と結婚させられるなんて、絶っっ対に嫌!
目の前にいる王子二人だってきっと、私が“運命の神姫だから”結婚したがっているだけに違いないのだ。そんな結婚、どう考えたってうまくいくはずない!
決意を固めた私は、キッと眼差しに力を込めて、まっすぐに師匠を見据えた。
「師匠、やっぱり私――」
「駄目よ、行きなさい」
「え? で、でも」
しかし、ろくすっぽ口も開かないうちに話をぶった切られ、露骨にうろたえた私は、思わず師匠の膝元にひしと縋り付いていた。
「ど、どうしてですか? こんな話、どう考えてもおかしいです! 何で私が? 何で私なんかが!」
信じられない。胡散臭さの塊みたいなこんな馬鹿げた話を、よりにもよって師匠がまともに聞き入れるなんて。
もしかして、本当は裏で王様と結託してるんじゃ――?
あまりに不可解すぎて、そんな邪推までが頭をよぎってしまう。
自分にとって、より良い生き方を模索するために――師匠の話してくれた通り、いずれ私がここを出てゆくことは、必要なことなのかもしれない。だけどそれは、何も今すぐでなくとも良いはずだ。どうして今、彼らと一緒に行かなくてはならないというのか。
我ながら他力本願ではあるけれど、今の状況ならば師匠が――偉大な“幽谷の貴婦人”メーヴが、私を“運命の神姫などではない”と一言否定してさえくれれば、全て片付くはずなのに。
「お心遣い感謝致します、マダム。貴女の愛弟子リュシエンヌ殿は、この私が責任を持って、王城へお迎えすると誓います。きっと、世界中のどんな女性よりも素敵な花嫁になられますよ」
耳に心地良い美声を響かせて、彼――マグ・メル王国第二王子エイルワードは、師匠の前にひざまずき、深々と一礼する。
相も変わらず、絵面だけは完璧なほど様になっているところが腹立たしくて仕方がない。
さっきまでは私の匂いがどうとか、ぱんつがどうとか言ってたくせに! この変態錬金術師!
「何言ってんだよ、エイル。メーヴはこいつを俺に預けるって言ったんだぜ。モヤシみたいに細くて頼りないお前なんかより、強くてたくましい俺の方が相応しいって言ったんだ」
分厚い胸板をがつんと拳で叩いて、もう一人の彼――マグ・メル王国第一王子ライオネルは、師匠の前で揚々と鼻を鳴らした。
つやつやとした黒髪を無造作にひっつめ、日に焼けたたくましい体を、胸元の空いたタイトなガウンで覆った姿は、とてもワイルドでどこか艶っぽくもある。背に負った幅広の大きな剣の存在感も相まって、一見すれば、おとぎ話の世界から飛び出した勇者のようにも見える。飽くまで、見えるってだけだけど――
こいつの中身が、絶望的ポジティブ脳の下ネタ大好き素行不良男だとわかれば、伝説の勇者に憧れる子供たちは、さぞや悲しむに違いないだろう。
うう……やっぱり二人とも、きっと原質からして、私とはタイプが違いすぎる。合うとか合わないとか、もはやそんなレベルは超越している気配しかしない。
「なあ、ルル。お前のためなら俺、ドラゴンの一匹や二匹、軽く退治してきてやるよ。どこかの辺境でひっそり岩ん中に刺さったまま持ち主を待ってるっていう、伝説の剣だって抜いて来るし。だから俺のものになれよ、いいだろ?」
聞いたことない口説き文句だな、おい。
この人は、本当におとぎ話の世界と現実の世界の区別がついているのだろうか。エイルよりもこいつの方が、父親似の度合いが強い気がする。見た目は二人とも全然似ていないと思うけど……母親似なのかな。
とにかく、聡明でそもそも平和主義者のドラゴンを退治することなんて誰も望んでないし、そんないかにもすぎる剣の噂なんて、一度も聞いたことありません。
「どっちも嫌です。何を言われようと私はここに残ると、何度も言ってるでしょう!? 勝手なことばっか言ってないで、いい加減人の話聞きなさいよ!」
ああ、もう――反射的にいちいち突っ込んじゃう! 疲れる!
心の底から拒絶しているつもりなのに、一向に引く気配を見せない二人を前に、私はとうとうヒステリックに叫んで、地団駄を踏んでいた。
「どっちでもいいわ。話が長くなってきたし、とりあえずさっさと連れてってちょうだい」
「師匠おおおお! そんなこと言わないでええええ! 靴磨きでも何でもしますから!」
この期に及んで、何てこと言うんですか! 師匠!
目から鼻からいろんな液体をだだ漏れにしながら泣きすがる私を怪訝げに見下ろし、師匠はまるでうざったい蝿でも払うかのように、ぱっぱと手の平を宙に躍らせた。
「あんたねえ……いい加減にしなさいよ、もう。今生の別れってわけじゃないんだから」
そして再び私と目が合った途端、琥珀色の縦筋の入った金色の瞳を瞬かせ、師匠はこんなことを言い出したのである。
「ほんとに、仕様のない子。私が意味もなく外の人間と取り引きなんてするわけがないでしょう。あんたを行かせるのには、ちゃあんとそれなりの理由があるのよ」
「へっ?」
予想だにしない言葉を聞かされて、私の頭の中は瞬時に、混乱の一色に塗り潰されていた。
素っ頓狂な声をあげた私の横顔に向かって、師匠は滴るように艶めくワインレッドの唇を少しだけ尖らせ、ふうと煙管の白煙を吹きかけた。
「いよいよ下るのよ、“運命の神託”がね。だからあんたは、ここを出なくてはいけないの」