過去~地獄の午前~
私には、かつて大切な人が二人居た。
一人は神代透。幼い頃からの幼なじみで、五歳の時に疎遠になった。いつも本ばかり読んでる奴で、私が居ないとマトモに会話もしたがらないような奴だった。
もう一人が、私の弟だ。榎田誠。私より三歳下で、おとなしい子だった。いつも『お姉ちゃん、お姉ちゃん』と名前を呼んで、私の手を握ってくる。私が幼い頃はうっとうしかったが、今では大切な思い出だ。
そんな人懐っこい弟も、今はこの世には居ない。
私が中学生になった頃ぐらいに、死んでしまったのだ。
あぁ、そういえば何で死んだんだっけか。
そうだ、確かデパートの最上階から落ちた荷台に押し潰されたんだっけな。
……『そういえば』なんかじゃないわよ。忘れるわけないじゃない。そんな気休めなんかで、心を安らげようったって無理よ。
あの暖かい春の日の事は、私は一生忘れない。忘れることが、出来ない。
町中がやれ卒業式だのやれ入学式だのと騒がしかった、あの季節。
私の緑色の瞳には、未だに焼き付いている。
歩道の辺り一面に飛び散っていた、弟の赤い液体が。
ぐちゃぐちゃになっているであろう身体。荷台の下から一本だけ飛び出した、
弟の腕が。
「うぅ……っ!」
今でもあの時の光景を思い出す度、吐き気がしてくる。それほどまでに、あの血みどろの惨状は残酷だった。
今まであんなに人懐っこくて、あんなに可愛くて、あんなに素直な笑顔を浮かべるあの子が。
あんな、目も当てられないほどの肉塊に姿を変えるなんて、思っていなかった。唯一原型を保っていたのは、荷台から飛び出した右腕だけだった。
あんなことになるとは、私は思っていなかった。
「ねぇ、誠。今日はデパート行こうか」
「え?ホント?やったぁ!」
私の家族は、誠一人だけだった。父さんと母さんは離婚し、私達は母さんに付いていった。しかし、母さんは私が小学五年生くらいの時に死んでしまった。何かの病気だった気がする。
その後、どこかに引き取られるのかと思っていたが、私達は二人だけで生活するはめになった。資金は叔父が出してくれた。私達の食事を作ってくれたりするヘルパーさんも居た。
そんな生活が続き、私が中学一年生になったある休日に、私はこう誠に提案したのだった。
理由は簡単だ。
誠の帽子がどこかへいってしまった。きっとまた無くしたのだろう。誠は、本当になくし癖がひどかった。
それと、私も誠も、そろそろ新しい服が欲しかった。私は中学校に上がったし、誠の服も小さくなってきたからだ。
そんなわけで、私達は午後からデパートへ行こう、という事になった。誠は嬉しそうに、そこら中をピョンピョン跳ね回っていた。デパートに行くくらいでそんなに嬉しいのか、とその時の私は呆れた目で誠を見ていた。
その日の午前中は、何だかんだで騒がしかった。誠がしきりに『ねぇ、お姉ちゃん早く行こうよ!ねぇ~!』とか言ってくるし、休日なので私がベッドで寝ているとプロレス技みたいな威力で飛び込んでくるし。
正直、鬱陶しい以外の何物でもなかった。
「……このままじゃ、殺される……」
結局、私はトイレに鍵を掛けて閉じこもるしか解決策がなかった。なんでこういう日に限ってヘルパーさんが居てくれないのか、と私は幼いながらに恨めしく思った(日曜日はヘルパーさんも休みなのだ)。トイレでただ淡々とゲームに集中するのには、正直心が折れそうだった。
しかも。
「お姉ちゃん~!遊ぼうよ~!」
「トイレのドアを叩くなうるさい!」
その時私は思った。神様、この世に平穏は訪れないのですか、と。
居ますよね、はしゃぐとめっちゃうるさいやつ。はい、自分です。




