幼なじみ
止められた。よかった。
また、あんなことを繰り返さずに済んだ。
そう思うと、とてつもない達成感が込み上げてくる俺、神代透だが。
ちょっと今は、そんなことを口に出せない状況にあった。
「母さん……母さん……!!」
「何で……チクショウ……!!」
目の前で表世界の榎田姉弟が泣きじゃくりながらベットに手を掛けていた。そのベッドの上には、彼女らの母親らしき女性が横たわっていた。
まるで眠っているかのような顔をしている。しかし、彼女は死んでいるのだ。もう、戻っては来ない。
ここは病院の中の一つの部屋。その中で、目の前の光景が広がっていた。
俺はその姿を僅かに見つめながら、病室を後にした。
「ジュース……飲むか?」
「……うん」
病院のロビー。俺がさっき買っておいたジュースを手渡すと、舞はジュースの蓋を開け、一口だけ飲んだ。
そして俺の隣に座り、俯く。
「弟はどうした?」
「泣き疲れて……そのまま眠っちゃった。今は病室の椅子に寝かせてる……」
「……そうか」
俺がそう言うと、彼女は目線だけ俺に合わせて言った。
「ねぇ……今までのこと……全部本当なの……?夢……じゃないの……?」
凍りついたような、疲れきったかのような感情のない瞳に、俺は一瞬だけ恐怖感を感じた。裏世界の俺がまだ表世界にいるからか、彼女の瞳は今でも真っ青なままだった。ハイライトが一切抜けたような、そんな瞳は、どれだけ心に負担が掛かったかが計り知れた。
「……あぁ。全部本当だ」
「……何なの……!?いきなり私が現れて……!!母さんが死んで……!!透も死んでて……!!意味わかんないよ……!!」
舞は両手で顔を覆い、そのまま泣き出してしまった。覆った手、その指の隙間から、隠しきれなかった涙がこぼれてきた。
「一体何が原因なの……!?私の何が悪かったの……!?この『蒼い目』のせいなの……!?」
隠した手の隙間から、その蒼い瞳が垣間見えた。よく見ると、薄く発光しているようにも見える。
俺は、そんな彼女の背中を軽く叩きながら、言った。
「違うって……お前のせいなんかじゃない。元は俺のせいなんだから。お前が気に病むことはねぇよ」
俺がそう呟くと、彼女は覆っていた手を静かに下ろした。
「本……当……に?」
「あぁ」
俺は迷わず首を縦に振った。何を隠そう、その原因は俺なのだから。
そう、全ての発端は俺なのだ。
俺が表世界になんて行かなければ。事故だったとはいえ、あのまま俺が死んでいれば何も起きなかったハズなのだ。そう、あの時。
あの時、俺が大人しく木材の波に押し潰されていれば。
だからこの二ヶ月間の中で、俺はある決意をしていた。生き残ってしまった、俺に課せられた使命。
俺のような人間を、これ以上作らない。裏世界の俺のような奴も、表世界の俺のような奴も。
殺してしまって自分を恨む人間も、何の関係もなしに殺されてしまう人間も作らない。具体的に何をすればいいのか分からなかったが、それでも俺はそう思ったのだ。
……まぁ、この二ヶ月間の話は今は止めよう。今は、こいつを慰めなくちゃな。
「……優しいね。私とあなたは……幼なじみに見えて、赤の他人なのに……」
舞は、そう悲しげに呟いた。
「――――――――!」
そうだ。確かに俺が幼なじみなのは裏世界の舞。
表世界の舞にとって幼なじみなのは、俺が殺した表世界の俺。
お互いには、何の接点も無いのだ。
今のこの状態は、言うなれば同じパズルの、同じ箇所のピースをとり変えたということだ。別に問題なくパズルは完成するが、それぞれの決められた場所ではない。
だけど。
それでも、俺は。
「……そんなの関係あるかよ。表とか裏とか。同型真像とか同型虚影とか。表世界の俺を殺した俺が言うことじゃねぇし、お前からしたら不謹慎かもしれねぇけど……」
俺は、出来る限りの笑顔を浮かべ、舞の方に向いた。今のこの俺は、表世界の榎田舞にとってどう映るのだろうか。
独りよがりかもしれない。俺の自己満足かもしれない。
でも、これだけは言わせてほしい。
「お前は榎田舞で、俺は神代透。それだけでいいじゃねぇか。榎田舞と、神代透は昔からの幼なじみなんだよ。表裏関係なく、な」
「………………」
舞は、ポカンという効果音が一番似合いそうな、そんな顔で俺を見つめている。唖然としたような顔で。
なんだか、恥ずかしくなってきちまった。
「あ、いや……その……わ、悪かったな、変なこと言っちまって。気ィ悪くさせちまったか……!?」
ヤバい。猛烈にヤバい。不謹慎なだけじゃなく、変にカッコつけちまった。
ぐ。どうする。これは完璧に『何カッコつけてんのこんなときにウザッ』とか言われるパターンだぞ。いや、言ってくださいと言わんばかりの煽りじゃねぇか。
あーバカ。俺のバカ。普段他人と会話しないのが祟ったか。誰か、俺を山に埋めてくれ。死にたい。ヤバい、どうす―――――
「……ふふっ」
「え?」
あれ、幻覚か?
見れば、舞は笑っていた。嘲笑ではない、本当に面白がっている顔で。
「ホント……そっくり」
「そ、そっくり?何が?」
意味が分からず、俺が舞に聞くと、舞は笑ってこう答えた。
「表世界の透と……そっくり同じだよ。そうやって何の考え無しにカッコいいこと言って、フラグをバンバン立ててくんだから」
「フラグって何だよ、フラグって……」
俺が呆れたような顔で言う。こっちは万年ボッチの男だぞ?フラグ乱立イケメン男子じゃあるまいし、そんなこと出来るかって―――――
「……幼なじみなんだし……そのフラグ拾ってよね……私のフラグ……」
え、嘘ですよね。いくら幼なじみでも、いきなりこんなこと起きないでしょ。
なのに舞さん。
何故に、あなたは僕の胸に抱きつくのですか?
「大好きだよ、透。友達としても、幼なじみとしても」
何、異性の友達としてこういうスキンシップはアリなんですか?それとも幼なじみだからですか?
「あの……俺、幼なじみとしてのスキンシップの定義がイマイチよくつかめな―――――」
「助けてくれてありがとう、透」
う。ずいぶん可愛いこと言うじゃねぇか。ヤバい、童貞でなおかつボッチの高校一年生の心臓はもはやブッ飛びそうですよ。破裂しちまいそうですよ。
「いや、そうじゃなくて!!とりあえずそこをど……い……?」
俺が色々反論しようと、爆発寸前の心臓を押さえつけて声を荒らげた、その時。
「……ん……むにゃ……」
俺の胸から滑り落ち、そのまま膝に力なく落っこちたそいつは。
「……寝てる……」
ったく、緊張させんなよ。もう俺心臓が爆発するかと思ったじゃねぇか。
……ていうか寝るなよ。俺もうそろそろ裏世界に帰らなくちゃいけねぇのに。こんな病院のロビーなんかで寝てたら風邪引くじゃねぇか。
まぁ、しょうがねぇか。さっきまでずっと走りっぱなしだったし、母親の事でずっと泣いてたからな。
……とはいえ、部活もやらずに図書館通いのこの俺がコウコウセーのオンナノコを背負っていけるとも思えない。こいつの母親が居た病室は三階だ。しかも今は夜中。エレベーターも動くはずがなく、このロビーだって特別に電気を付けてもらっているのだ。
よって、俺にはこいつを移動させることは事実上不可能。せめて弟の隣で寝かしてやりたいが、それまでの距離がありすぎる。
とりあえず俺はこいつの身体を、座っていた横長のベンチに横たわらせ、自分は立ち上がった。
チ、チクショウ可愛い寝顔しやがって。なんかトキメキそうじゃねぇか。
……まぁ、こんな寝顔が見れるのも俺がこいつを助けたからか。そう考えると、俺って結構スゴい事したなぁ、と思った。
「裏世界の舞が突然俺の家に来なかったら、この寝顔は拝めなかったな……」
思えば、あれはあいつなりの情けだったのかもな。良くわかんねぇけど。
「ていうか、こいつどうしよう……放っとくわけにもいかねぇし」
まぁ、上に何か掛けとけば大丈夫か?でも、この遅くに毛布を借りに行くのもなんだか情けない。というか面倒だ。病院の人にも迷惑が掛かるだろう。
「しょうがねぇな……」
俺は、自分がはおっていたシャツを取ると、それを横たわっている舞に掛けてやった。まぁ、これで何とかなるだろ。
身体に軽く力を加える。
「……たまに会いに来るかもな」
そう言うと、俺の身体はカードのように分かれ、裏返っていき、消える。『界転』だ。
じゃあな、舞。
そう呟いて、俺は表世界を後にした。
最後に目に入ったのは、可愛らしい、幼なじみの寝顔だった。
榎田編完結……かも。分からないですけどね。