9.終始
× × × ×
味のない自作の夕食と、眠りのない夜を経て、朝。
とうとう、この日を迎えてしまった。
最後の日。
俺の最後なのか、あるいは『あいつ』の最後になるのか、それは今日どういう流れになるか次第だろう。しかし、今日という日の中に、必ず何かひとつが、ひとつの命が、
終わる。
…………。
しかし、俺の心はどこか晴れ渡っている。
悩みから開放されたから、なのだろうか。
それとも自分の願望をかなえる手段を発見できたからなのだろうか。
あるいは、罪からの開放を喜んでるからなのだろうか。
それらのうちどれなのかは、定かではない。
いつもどおり、足の指まで含めても数え切れないほどの画鋲が入っていた上靴を履き(もちろん画鋲は抜いた)、教室へ。
最後だと思うと、このいつもどおりの風景もどことなく感慨深い。すれ違う何処かで見た覚えのある人物(多分同じクラスの連中だ)の向けてくる奇異なものを見る目線も、いつもなら邪魔だとしか思わないような壁も、そう思ってしまえばどことなく心地よい。
この分なら教室の中の弾幕も、それほど怖いこともないな、などと思いつつ教室のほうへ向かっていく。
教室の前で時瀬に出くわした。
「おはようございます、高城君。今日は最後の日、ですね」
いつもと変わらぬ雰囲気で、いつもと分目の上だけでは変わらない挨拶を受ける。しかし、その声音が少し殺伐としているような気がするのは俺だけか? いつもと、微妙に雰囲気が違う。
「どうかしたのか? 時瀬」
ゆるゆると首を振る。
「いいえ、何も。ただ単に、友人を確実に一人失わなければならないとわかっているがゆえに不愉快な気分になっている、とだけ言わせていただきますよ、高城君」
律儀な奴だ。本人が望んでいても、それをちゃんと悼んでくれるのか、こいつは。
こいつが友人であって、良かったのかもしれない。
「それはそうと、高城君」
何処かで見たような、そうそう、包帯のことをたずねてくる直前の冗談を言う寸前の表情になって、時瀬。
なんとなく、いやな予感といい予感の二つを同時に感じ取った。
多分、その予感は両方当たってるんだろうなぁ…………
「恋人がお待ちです。早く入ったらどうですか?」
入り口を塞いでいたのはどこのどいつだ、と言わせてくれさあ早く。
と、言うか、こいつ今なんて言った?
「恋人…………?」
「ええ、恋人です」
「…………………」
「The LoversでもYour Loveでも結構ですよ?」
「そんな事は聞いてない」
と、言うか『The Lovers』はタロットで言うところの『恋人たち』で、『Your Love』はどっかの小説の『My Love』のもじりだろう。確かに両方とも似たような意味だが、微妙に違うぞ?
「誰のことかなんて言うまでもないでしょう? 待たせていないで、早く行ってあげなさい」
ドアの前からどけて、手で指し示す。
「……………………」
つまり、そういうこと……で、いいんだよな?
期待と不安半々の気分を抱えつつ、開けた。
中から帰ってきたのはいつもとまるで変わらぬ目線と、空気。それに加え、
「あ、リョウ君。おはよう」
過去の友人であり、俺の罪悪の象徴、俺のリストカットの理由を知っている数少ない人物であり、そして俺にとっての大切な人、
高浜幾夜が、そこにいた。
変わらぬ様子、変わらぬ雰囲気。時瀬と違って妙な雰囲気を漂わせたりすることなく、いつもとまったく変わらないよう様子でそこにあり、そしていつもと変わらぬ様子で、微笑んでいる。
「よう、幾夜」
いつもどおり、挨拶を交わす。が、俺の心中はどこか複雑だった。
数時間後、俺は、選ばねばならない。
そのための手段も発見し、その瞬間を迎えても選ぶことが出来るよう覚悟も固めた。それは俺と同じ選択を迫られている向こうも同じはず。
しかし、幾夜はいつもどおり、知り合ってから数日しか経ってないが、俺の記憶にある『あいつ』と同じように、笑っているのだ。
「? どうかした?」
そういわれて、俺は始めて気がついた。
あいつは、幾夜は、今日という日を楽しもうとしているのだ。
どちらに転ぼうとも、どちらかが消えてしまう。
俺たち三人がそろっていられる最後の日を、思う存分楽しもうとしているのだ。
ならば、俺が拒む理由はない。
それが最後に求めるものだというのなら、
俺は、それを与えてやる。
「いや、べつに。それより、今日は弁当ありか?」
俺は笑いながら問いかける。
幾夜はそれで安心したのか、いつもどおりの大きな笑みを浮かべた。
「うん。私も、結構楽しみにしてるから」
そりゃ重畳、と俺が答えると、幾夜は少し照れくさそうな表情を作る。
「お前の弁当、うまいからな。場所はいつもどおりか?」
「そのつもりだけど、他がいい?」
「いや、あそこでいい」
あそこ、結構気に入ってるし。
「じゃあ、昼休みにそこで」
「ああ」
「ちょっと待ってくださいよ、お二人さん」
げ。
油断した。
「なかなかいい雰囲気になっているところを邪魔したくはないのですが――――」
じゃあ言うなよ。
「『いつもの場所』? やっぱり、そういう関係だったんですか? そういえば、さっき僕が二人の関係を『恋人』と称したとき、否定しませんでしたねぇ……? もしかして、もうそんな関係だったんですか?」
しまった。せめてその点だけは否定しておくべきだったか。
後悔よ、もう少しがんばって現実よりも先に立てるようにしてくれ。それが出来れば苦労はしないけど。
「いや、別にそういうわけじゃ……………」
「ならどういうわけなんですか? いつもの場所と呼べるような場所が存在し、あまつさえ手作り弁当を二人で仲良く、ですよ? これだけ場数を踏んでいて、そういう中でないと表明するほうが困難だと思いますが?」
畜生、しくじった。いつぞやのグランギニョルの再来か。それと違う点があるとすれば、今回は白状することが出来ないという一転だけだろう。ただ一点なのに、この点が違うだけでここまで変わるとは…………
恐るべし。
「ちょっ、時瀬君? 私たち、別に――――」
「幾夜」
頼むから黙っててくれ。お前が時瀬相手に勝てるわけがない。下手に口を出せば、余計に状況が悪化するであろうことが目に見えている。
しかし、俺一人でも何とかできるかどうか。こうなった時瀬を留めたことなど、数年間の付き合いの中でたったの一度しかない。
畜生、八方塞りか。
――――いつもの福音が聞こえた。
ああ、神よ、感謝します。
「ほら、予鈴だ。さっさと席に着け」
少し勝ち誇った様子で時瀬に顔を向けると、いつもどおりの不満そうな顔をしていた。
「………………なんだか、いつもこのパターンで逃げられてる気がしますね…………まあ、かまいませんけど」
言ってさっさと着席する時瀬。そういえば、あの時瀬もうちの担任にだけはかなったことなかったな。案外相性というものもあるのかも。
流れ的に幾夜と同時に歩き出し、二人ほぼ同時に着席する。
しかし、考えてみれば誤解を招いてもしょうがないのかもしれない。もしかして、幾夜と学校で過ごす時間、ものすごく長くないか?
今となってはどうでもいいけど。
さて、
本日の欠席者 一名
見知らぬ人。
いつもどおりの流れ、しかし、いつもとまったく違う感覚の元で、
終末の日が、始まる。
× × × ×
本当に、今日が最後なのだろうか?
もう幾度目になるだろうか。この疑問が脳裏をよぎるのは。
昼休みになるまで何度もよぎった疑問を、今一度脳が反芻する。
いつもと何一つ変わらなかった。
そこそこ真面目に授業を受けて、途中で何気なく幾夜のほうへ目をやってみたらかなり真面目に授業を受けているのが目に入って、その様子をばっちり見ていたらしい時瀬に合間の時間に冷やかされて、気がつけばほとんどのクラスの連中が俺たちがどういう関係図になっているのかを知っていたり、いつもとまったく変わらない、日常の中で日々が続いていた。
本当に、何も変わらなかった。
変わらなさ過ぎた。
べつに陰惨な日になることを期待してたとか、そんなことじゃない。日常の延長線上としての最後の日、そうなったところで決心は揺るがないだろうし、突きつけられる現実は変わらないのだ。なら、その瞬間まで日常が続いてくれたほうがありがたい。
しかし、その中で感覚してしまう。
このまま、何も起きないままに今日という日が終わってしまうのではないか、と。
そうなってくれれば、どれほどいいだろう。
そうなってしまえば、どれほど楽だろう。
しかし、そうなってしまえば。
俺はこの現実を、疑ってしまう。
いうなれば物事を疑う直前の段階、その位置にあることが、俺を不安に駆り立てるのだ。
が、その不安も続いたのは昼休みまで。
本来なら、いつもの体育館裏にいるはずの時間なのに、
俺は今、田舎道を歩いている――――
昼休み、いつも通り例の場所へ一人向かおうとした俺を、幾夜は引き止めた。
いつもの場所ではなく、ほかの場所のほうがいいと思うから、一緒に来て、と。
どこへ行くのか、大体は想像がついた。
そして、そこで何をするつもりなのかも。
しかし俺は、特に反対もしなかった。
反対する意味がなかったから。
だから今、俺は歩いている。
二度ときたくないと思っていた道を、二度と歩けるはずのない人物とともに。
「………………………………」
幾夜は、無言だった。
俺が話し出すのを待つかのように、何度か言葉を紡ごうとするかのように薄く口を開けたりはするものの、躊躇うばかりで言葉を出さない。
だから、というように。
俺は幾夜に、尋ねてみることにした。
「………………決めたのか?」
なにを、の部分を俺は言わない。
言う必要が、ない。
俺の問いに、
「うん」
幾夜は、即答した。
「そうか……………………」
一息。
「それは、お前にとっての最良なのか?」
「うん」
ならば、俺がとやかく言う必要性もない。自分の大切な人が、最良だと判断した選択だ。それをやめさせることは、出来ない。
たとえそれが、俺にとって最悪の選択だろうとも。
身をゆだねるかはともかくとして、
その選択を否定するつもりは
ない。
少なくとも、俺はそうするつもりだ。
「ちょっと急ぐぞ。このままのペースだと、到着するまでに昼休みが終わる」
「そうだね。じゃ、急ごう」
少しだけ、歩くペースを上げる。早歩きに近い歩調だが、お互い問題はない。
いや、もともと俺たちは、急ぐ必要性すらなかったのだ。
しばらく歩き、森のようになっている場所へ至る獣道に入る。木々の密度は割に高いが、今時分の季節は日差しもきついため、木漏れ日がきれいに見える。
しばらく歩いて、迷うことなく幾夜がたどり着いた場所は例の泉だった。
俺も昨日やってきたばかりの、拍手が発見した泉。
三年前とまるで変わらない姿で、その泉はまだそこにある。
「……………なつかしいね………」
泉のそばに膝をつき手のひらを水に浸しながら、幾夜が、ポツリとそうもらした。
違う。
それは、幾夜ではない。
『高浜幾夜』がここへ来たことは、ない。
つまり、
「そうだな」
もう、『高浜幾夜』の時間は、終わった。
今、ここにいるのは、
「…………ミヤコ」
片原ミヤコ。
俺の手によって殺され、そして蘇った、彼女なのだ。
「うん」
彼女は、その名前を否定しなかった。
「随分綺麗だったよね?」
「ああ。夏だろ? よく遊んだよな、ここで。涼しかったし、入り組んでたし。かくれんぼなんてやったら、一巡するのに一時間はかかってた」
ミヤコは笑い声を上げる。記憶にあるまま、そのままの仕草で。
「そうそう。たしか、私だったよね? 一番長くかかってたの」
「一番早かったのは、時瀬だったな」
ちなみに最短記録は開始後二十七秒だ。あれはいつになっても破れないだろう。
「そうそう、みいだった」
みい。
昔、ミヤコは時瀬のことをそう呼んでいた。
それを知る者は、俺とミヤコ、時瀬以外に存在しない。
実感する。
こいつが、片原ミヤコであることを。
「――――おかえり」
思わずもれた、その言葉。
その言葉に、ミヤコはやわらかく微笑んで、言った。
「ただいま、りい」
俺の、愛称。
最後に呼ばれたのは、一体いつのことだったか。
そしておそらく、そう呼ばれるのは今日が最後になる。
「………………このあたりで、いい?」
泉のすぐそば、そこをミヤコは指し示す。
「ああ、かまわない」
「じゃ、昼ごはんにしようか」
地面に直接弁当を広げ始める。量は、いつものごとく一級の量。それもそのどれもがかなり旨いとなると、体重管理に気を使っている人物にとっては地獄かもしれない。俺は違うけど。
最期の昼食、
一瞬、そんな言葉が頭をよぎる。
…………ああ、そうだ。
だから、何だというのだ?
最期だからこそ、目いっぱい楽しむべきだろう。
悲しんだり無感動になったりして台無しにするんじゃなく、目いっぱい楽しんで目いっぱい心に刻んでそれから最期を迎える。相したほうが、すべてが丸く収まるような感じがするだろう?
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
ふつうなやり取りを交わし、俺は最期の昼食に舌鼓を打った。
× × × ×
「この子は、あなたが預かるべきですね。リョウ君」
あまりにも暗鬱な雰囲気をたたえる、広いホールの脇の部屋。
そこで、時瀬は俺にそれを差し出した。
一匹の猫。
茶色に白の縦縞模様、少し細身な可愛げのある表情。時瀬の両手に抱かれたて急に宙に浮かされ、きょとんとした表情で俺を見ている。
慣れ親しんだ、その姿。名前は…………
「………拍手を、俺が?」
両手で尻と脇の下を支え、受け取る。姿勢が落ち着いたためなのか、拍手は満足そうに俺の胸に顔をうずめると、ごろごろとのどを鳴らした。
「ええ、あなたは拍手殿の名付け親でしょう? 膳臣広国。そこからとって、ね」
隣の部屋を覗くかのように、時瀬は壁に目をやった。
「どの道あなたが引き取ることになったと思いますよ? 片原さん、かなり気が滅入っているようでしたから、ミヤコさんの思い出のある拍手をそばにおいても辛いだけでしょう」
「……………………」
俺は、無言だった。
あの日から、わずかに二日後。
普段は絶対に立ち寄ることのないであろうな場所に、俺たちはいる。その役割はどれだけ知識に乏しかろうと、どれだけ状況を理解できていなかろうと、この場に来れば絶対に感づくであろう請け合いの場所。告別の場所にして、人生最終最後の式典を執り行う場所、つまりここは、
葬儀場、である。
誰の葬儀場かは、言うまでもないだろう。
小学生にして、その生涯を閉ざしてしまった人物。
閉ざされて、しまった人物。
俺が、閉ざしてしまった、人物。
片原ミヤコの、葬儀場だ。
まだ朝早いこともあるのか、このホールの中に人の姿はない。内部に存在する人間も、ホールの管理者側の人間か、俺や時瀬のような原因を握る人間、片原の親族といったごく一部の深い関係を持つ人間だけだ。
その控え室のような空き部屋で、俺は時瀬と共にいた。
本来ならば、俺がここにいる必要はない。むしろ片原の親族に撮っていれば俺がここにいることなど疎ましい以外の何者でもないはずだ。事実、俺もそれがはっきりわかっていたため今日ここへ来るつもりはなかった。
告別の言葉など、かける資格がない。
なら、参加してくる意味はないだろう。
そう思っていたはずの俺がここにいるのは、ただ単純に時瀬に呼ばれたからだ。そうでなければ今頃俺はあの崖の上にいただろう。もしかすると下にいたかも知れない。
ともかく時瀬に諭され俺はこの葬儀場へやってきて、すべての経緯の説明を親族の前で行い、そしてその直後、
ミヤコのお母さんに、殴られたのだ。
痛みは特に感じなかった。
あった感覚は、ただひとつ。
罪悪感だけだった。
ああ、俺はとんでもないことをしてしまったんだな、という実感がすべての感覚を麻痺させ、普段ならしばらく悶絶しているであろうその痛みでさえ感じなくなっていたのだ。
この部屋に移されたのは、その直後。親族の中には俺が悪くないと思ってくれている人物も何人かいるらしく、その人の手によっては俺は『ミヤコのお母さんと離れていたほうがいい』という理由の元、この部屋に入れられたのだ。
それが昨日の夜のこと。
以来今になるまで、部屋の外へ出ていない。時瀬は何度か部屋を出たり入ったりを繰り返していたが、それ以外にこれといった行動をすることがなく、特に声をかけたりしてくることもなかった。
それが何度続いただろうか。とうとう夜が明け、辺りが白み始めてきた頃になって…………
「………リョウ君が駄目だというのなら、僕が引き取ります。しかし拍手殿は僕にあまりなついていませんし、拍手殿は行動力もあります。逃げ出してもとの家に帰られてしまっては、本末転倒でしょう?」
利には、かなっている。
しかし、
「…………片原さんとか、いいの?」
時瀬はうなずく。
「ええ。二つ返事で。母君も、かなり辛いんでしょう。リョウ君にあんなことを言ってしまうぐらいですから」
……………。
『許さない』。
ミヤコのお母さんは、最後の言葉で俺を縛った。
お前のした事は許さないと、一生をかけて償えと、俺に宣言した。
なら、俺は償うべきだろう。
俺が出来る、もっとも大きな方法で。
「――――俺がもし死んだら、拍手は……?」
時瀬は怪訝そうに繭をひそめた。
「…………もしかして、リョウ君――――」
一息、
「自殺だなんて、考えていないでしょうね?」
「――――――」
何も言わないでおく。
言う必要は、ないだろう。
これから消える人間に、死人に、口はないのだから。
「……………まったく……」
俺の態度を見てどう思ったのか、時瀬はこれといったことも言わなかった。そして二歩、俺に歩み寄って腕の中にいた拍手を持ち上げて床におろす。
そして、
――――パンッ
乾いた音と、衝撃を頬に感じた。
「…………………」
痛みは、先ほどとほとんど感じなかった。
足元で拍手がこっちを見上げてくる。わけがわかっていないのか、きょとんとした表情だった。
「………………」
時瀬に頬をはたかれたのだと理解するのに、数秒。
感覚がずれているかのような感覚の中、固まったままの拍手を拾い上げるのに更に数秒。
その間、時瀬は何もすることもなくただ俺を見ていた。
冷めた目で。
覚めた目で。
そして、言う。
「この一件は僕のせいでもあります。だから僕は、あなたを責めません。しかし、ちゃんとわかってあげてといったでしょう? なのにあなたは、守らなかった。ならばあなたは、これから先、彼女のためにだけ生きるべきです。
罪は、償われなければならないのですから。
ぼくは自分の罪を償いつつ、生きていくでしょう。だからあなたも、そういう風に生きていきなさい。死ぬなんて、逃走を試みずにね」
カノジョノタメダケニ
イキテイケ
「限界が来てしまったのなら、形をもたせて見なさい。楽に、なりますから」
「…………形を……?」
「ええ、あまり推奨される行動ではありませんけど、何か形を持たせてしまえば、楽になります」
形。
痛みを持つものの、形。
連想されるものは、何だ………?
「――――へっ」
なぜなのだろうか。俺は、その連想に届いた瞬間、
乾いた笑いを、漏らしていた。
「『あいつ』のために、生きていけ……か」
笑いが、止まらない。
「言ってくれるよな、時瀬――――」
乾いた、笑いが。からからの笑いが、
「……確かに、俺はそうしないと死にそうだ。そうさせてもらうよ」
虚々(からから)の、笑いが。
笑ったまま、時瀬を見据える。
冷めた目で。
覚めた目で。
見据えられた時瀬は、
「…………それは何より」
変わらぬ様子で、言った。
「では、僕も別の手段でそうして生きて行かせてもらいますよ、高城君」
「違う」
俺は即答した。
いくら強烈な記憶とは言っても、それを身に刻まねばいつかは劣化する。廃れる。なくなる。
それを防ぐために、最もいいものは何だ?
簡単だ。いつも耳に付くところにそれをおいておけばいい。
そして、それはどこだ………?
「…………………そうですね、違います」
ゆるゆると、時瀬が首を振る。
「では、改めてこれからよろしくお願いしますといっておきましょう。片原君」
そう、俺は片原だ。
あいつを背負って、生きていく。
思えば。
俺はもしかすると、
このときから、もう狂っていたのかもしれない。