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愛が深い竜騎士は、穢れた聖女を離さない。  作者: ライ


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聖女狩り


 イリア・ネルロウは息を切らしながらも懸命に走った。

 地を踏みしめるだけで地響きが伝わってくるような巨大な魔獣に、手塩にかけて育てた野菜が見るも無惨に踏み荒らされている。

 それを横目に今この瞬間、どうすべきか必死に思考を巡らせる。

 突然現れた恐ろしい魔獣から身を隠すため、近くの小屋の裏に逃げ込もうと決めた。身寄りのないイリアの面倒を見てくれた人たちの住む家とは、正反対の方向へ。

 それは最悪の選択だった。けれど大切な人たちから魔獣を遠ざけるには、今考えられる最善だった。

 たとえ、自分の命がどうなろうとも。

 

 腰まで届くイリアの真っ赤な髪は魔獣を惹きつけ、思った通りにそれは動いた。予想外だったのは、動きが彼女の想像を遥かに上回る速さだったこと。

 数歩で人間の何倍もの大きさの魔獣が急接近し、鋭い爪を振りかざす。

 刹那、イリアは死を覚悟した。


 

「——伏せろ!!」

 

 どこかから勇ましい声が耳に飛び込む。

 その声に反射的に従ったイリアはすぐに身を伏せ、頭を抱える。

 ドンッ! と何かがぶつかる鈍い衝撃音が轟く。次の瞬間には、魔獣がイリアの向かっていた小屋へ吹っ飛ばされ、地響きとともに砂煙が舞い上がった。

 声の主である大剣を振りかぶった男は、およそ人間離れした跳躍で魔獣へ果敢に向かっていく。その姿を頭上に見たイリアは、驚きのあまり思わず声を上げた。

 

 風に煽られる艶やかな紺の髪に、陽光に反射して輝く金眼。

 なにより、何年経とうと目に焼きついて忘れられなかった、大剣に纏う鮮やかな青い炎。 

 高い跳躍から一気に振り落とされた大剣は、魔獣が体勢を立て直す隙すら与えずに、その巨大を深く貫いた。

 倒した魔獣には目もくれずに駆け寄ってきた男が、切なげに名を紡ぐ。

 

「イリア……!」

 

 数年ぶりに呼ばれたその名は今にも泣きそうなほどに、震えていた。

 

 

 

 【愛が深い竜騎士は、穢れた聖女を離さない。】 

 

 

 

 

 

 

 

 ——およそ七年前。

 あたたかな日差しが降り注ぐフローガー邸、その広い庭の一角にて。

 邸宅の主人である王国騎士のフォティア・フローガーの一人息子であるティールと、その幼馴染イリア・ネルロウが、木陰で顔を寄せてひそやかに笑い合っていた。


「見て、イリア」


 ティールが手を出し、集中する。ぐっと拳を握りしめ——そっと開くと、ぶわりと明るい青の炎を手に纏った。

 

「わぁ……! とってもきれい!」

 

 イリアの碧眼が炎を映して、白夜のように煌めく。満開の花が咲くような無垢な笑顔を見たティールは、思わず頬を赤くした。

 風にそよぐ白銀の髪を耳に掛けたイリアは、揺らぐ炎をじっくり見つめて首を傾げる。

 

「これはなぁに? 魔法?」

 

「ドラゴンの力だよ。父様は先祖返りだって言ってた」

 

「せんぞがえり……?」

 

 初めて聞く言葉に、イリアは不思議そうに首を傾げた。まだ十に満たない歳だ、知らないことは山ほどある。

 手に纏う炎を二人で眺めながら、ティールは二つ歳下の幼馴染に懸命に説明しようとした。

 

「とっても遠いご先祖様から、ドラゴンの血を特に濃く受け継いでいるんだって」

 

 それを聞いたイリアは目を瞬いた。完全に理解したわけではなかったものの、とにかくすごいことなんだ、となんとなく思った。 

 実際にはドラゴンというものを二人とも見たことがない。それはどこかおとぎ話に聞くような存在としての認識で、けれどその存在を信じてはいた。

 

「これはまだ誰にも見せてないんだ。イリアにだけ、誰よりも先に見せたくて」

 

「すごく嬉しい! ありがとう、ティール」

 

 二人は幼いながらも、互いに深く想い合っていた。

 密かに将来を誓い合い、その気持ちは揺るぎないものだった。

 

「わたしも、まだ誰にも話していないことがあるの。見てて」

 

 思いがけない言葉に、今度はティールが目を瞬かせた。

 痣だらけの彼の腕にそっと触れたイリアの手に、全てをあたたかく包み込むような優しい光が灯る。

 すると、日々の剣術の稽古で出来た痣がすぅっと溶けるように消えていった。それを見たティールは、驚きのあまり息を呑む。


「イリア、これって……」


「わたし、聖女様に憧れていたの」

 

 両親を亡くして他に身寄りのなかったイリアは、王都にいくつかあるうちの、フローガー邸に近い場所にある聖堂に引き取られ、そこに併設されている宿舎で暮らしていた。

 憧れを抱いたのはその影響もあった。

 聖女は誰でもなれるわけではない。しかし、イリアにはその素質があったのだろう。それは魔法ではなく、心清らかな者にのみに宿される力だ。

 

「ティールは将来、お父様のように立派な騎士様になるんでしょう? だからわたし、ティールのためになれることが何かないか考えたの」

 

 小さな手が、ティールの手をぎゅっと握りしめる。幼いながらも、イリアはなんとなく気付いていた。

 将来を確約されている王都の騎士団長の子息であるティールと、身寄りのない平民のイリアでは、あまりにも釣り合わないことを。

 けれどそのことを口にしたことはなかった。ティールを支えられるのなら、この先どんな形になったとしても幸せだと、心から思っていたから。

 

「ティールの怪我は全部、私が治してあげる」


「ありがとう、イリア。僕も約束するよ、イリアを絶対に守るって」

 

 無邪気なイリアのなににも変え難い笑顔を、ティールは生涯を捧げてでも守りたいと強く思った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 ——数ヶ月後。

 

 イリアが十歳を迎える少し前の頃だった。

 夕暮れ時に急に慌ただしくなったフローガー邸で、急ぎ駆け込んできた騎士団の一人が険しい面持ちで父に報告しているのを、剣術稽古を終えて戻ったティールが聞いてしまった。

 

「聖女が、行方不明だと?」

 

「はい、すでに数人が……それも短時間のうちに」

 

「怪しい者が聖堂から人を連れ出しているのを見た者もいるようで……」

 

「急ぎ、聖女を王都の大聖堂へ集めろ。把握しうる限り、全てだ。騎士に護衛をさせる。国王陛下には私が直々に伝えよう。陛下もきっと同意してくださるだろう」

 

 父と団員たちの会話を聞いて胸をざわつかせたティールは、持っていた荷物をその場に置いて駆け出した。

 

「イリア……!」

 

 嫌な予感に追い立てられるようにフローガー邸を出たティールは、何度も足を運んだことのある聖堂へと急ぐ。

 イリアはまだ未熟な状態とはいえ、力は聖女として誇れるものだ。初めて見せてくれたあの日より、確実に成長している。

 今日は一日中稽古があり、イリアとは会えていなかった。この時間であれば、きっと聖堂の宿舎にいるはずだ。いつも必ず会う約束をしていたから。

 

「ティール様!」

 

 途中、聞き覚えのある声が後ろからかけられる。けれどティールはそれを無視してひたすら走った。

 すでに大人顔負けの俊足を発揮していた彼に、たとえ歴戦の騎士であろうと追いつけるものは少ない。

 開いたままの門を通って、不自然なほどやけに静かな聖堂の中を駆け抜ける。

 そこで急に足を止めたティールは、目の前の光景を目にして膝から崩れ落ちた。

 

「やっと追いついた……! ティール様、フォティア団長がお探しです。ここはまだ安全も確認されていませんし、危険なので戻りましょう」

 

 ようやく彼に追いついた父の部下の一人である騎士は、ティールの目に映る惨状を知っていた。

 聖女が攫われたという第一報は、イリアの住む聖堂のことだったのだ。


 聖堂は荒らされ、宿舎も人の気配はない。

 イリアの姿は、どこにもなかった。

 

 

 

 のちに判明することになる——王国に反乱を企てる者たちが、聖女狩りを始めた。

 


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