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パンを焼く。

 父は、火の扱いに慣れた人でした。


 彼との記憶はひどく鮮明に思い出せます。冬の朝、まだ外が白く曇っている時間に、彼は台所のかまどで小さな火を起こしていました。石炭の匂いと、湿った木のはぜる音。私は椅子の上に膝を立てて、その様子を眺めているのが好きでした。


「近づきすぎるなよ」


 父はそう言いましたが、声は叱るというよりも、ただ事実を伝えるような調子でした。あの人は、何事もそういう言い方をする人でした。


 やがて火が落ち着くと、父は小麦粉をこね始めます。台の上で、無駄のない手つきで。私はその動きを真似しようとして、よく失敗しました。水を入れすぎたり、粉をこぼしたり。彼は笑いませんでした。その一方で、怒りもしませんでした。ただ、私の手を取り、同じ動きを繰り返させました。


「力はいらないんだ。温度を見るだけ」


 その言葉の意味を、私は長いこと理解できませんでした。


 パンが焼ける匂いは家のどこにいても分かりました。皆さんもご存じでしょう? 少し甘くて、けれど甘すぎない、あの匂いです。焦げる手前で父は必ず火を弱め、しばらく扉を開けたままにします。そのときに流れ出る空気の重さを、私は今でも覚えています。


 ……彼は自分の仕事を「ヤクニン」だと言っていました。当時幼かった私は、それが何を指すのかよく分からなくて、シェフみたいなものだと思っていました。たまに家にいるとき、彼はお手伝いさんを差し置いて、パンのみならず、様々な料理を作ってくれましたから。


 結局、父は料理人ではありませんでした。

 軍人でした。


 そのことを知ったのは、戦争が終わってからです。


 父が長く家を空けることになったのは、私が八歳のときでした。戦争が始まったからだと母は言いました。私はそれを、長い出張のようなものだと思っていました。すぐ帰ってきて、またパンを焼いてくれるものだと。


 しばらくして、いくつかの手紙が届きました。どれも短く、同じような調子で書かれていました。体調のこと、天候のこと、そして「こちらは問題ない」という一文。具体的なことはほとんど書かれていませんでしたが、私には彼の無事だけで十分でした。


 けれど一度だけ、珍しく長い手紙がありました。

 そこには「火」のことが書かれていました。


 ――たまにはパンを焼いてみたらどうだ。かまどの火を見ていると、心が安らぐだろう。


 彼が感情を表す語を書いたのが、私にはひどく意外でした。端正な「安らぐ」という文字を、何度も、紙の端が少し擦り切れるくらいに読み返したのです。当時の私は、遠く離れた場所からでも、自分のことを気にかけてくれているのだと思いました。その不在の優しさが、三文字の中に詰まっている気がしたのです。


 明くる休日、母に頼んで、小麦粉を分けてもらいました。見よう見まねで水を混ぜ、こねて、形を整えます。……上手くはいきませんでした。生地はべたついて、手に張り付いて、思った通りの形にはなりませんでした。


 それでもなんとか焼いてみました。振り返ってみれば、火は強すぎたのだと思います。そこに安らぎなんてなく、火加減に対する集中と焦燥だけがありました。出来上がった代物は、表面だけが焦げて、中は生のままでした。私はそれを前にして、どうしていいか分からなくなっていました。


 父はいつも、同じようにやっていたのに。「温度を見るだけだ」。その言葉を思い出しましたが、何をどう見ればいいのか、やはり分かりませんでした。


 結局、そのパンは食べずに捨ててしまったのです。屑箱の底に落ちる音を聞いてから、何か取り返しのつかないことをしてしまったような感覚に襲われました。


――


【付記:戦後軍事裁判記録 第三巻より】


 被告人は占領地域における複数の集落焼却を指揮したとされる。証言によれば、当該行為は「無人として扱う」命令のもと実施された。被告人は一部事実関係を認めつつも、具体的な判断については「任務上の必要」と述べた。


――


 父が戻ってきたのは、それから何年も後のことでした。私は十五歳になっていました。


 彼は以前と同じように静かで、以前より少しだけ痩せていました。顔つきが変わった、というほどではありません。ただ、彼の目の奥には、上手く言葉にできない何かがありました。私はそれを長旅の疲れだと決めて、さっさと頭の奥に片付けました。


 帰ってきた翌朝、父は何も言わずに台所へ向かいました。寝ぼけまなこの私は、慌てて彼を追ったものです。かまどに火を入れ、様子を見て、少しだけ薪を足す。あの頃と同じ動きでした。手順は何も変わっていないのに、なぜか、前とは違うものを見ているような気がしました。


 私は黙って見ていました。

 父も、何も言いませんでした。


 やがて、生地が整えられ、火に入れられました。パンが焼ける匂いが、おもむろに広がっていく。それは懐かしいはずの匂いでした。けれど、そのとき私は、ほんの少しだけ息苦しさを覚えたのです。理由は分かりません。煙が多かったわけでも、火が強すぎたわけでもありませんでした。


 ただ、空気が乾ききったように感じていました。


 父は扉を開け、しばらくそのままにしました。熱と匂いが外へ流れ出て、部屋の温度が徐々に変じていきます。そのとき、父が小さくつぶやきました。


「よく焼ける」


 誰に向けた言葉でもなく、ただ確かめるような一言でした。私はその意味を考えませんでした。考えようとも思いませんでした。ただ、父がそこにいることの方が、ずっと大事だったからです。


――


【付記:地方紙『新暁報』終戦翌年六月号より】


 旧軍関係者に対する審理は現在も継続中である。一部の被告人については既に判決が下され、刑の執行が行われた。なお、所在不明者についての調査も続いている。


――


 父は、その後しばらく家にいました。出かける機会はめっきり減りましたが、以前と同じように過ごしていたと思います。少なくとも、私の目にはそう見えました。朝に火を起こし、時折パンを焼き、必要なことだけを話す。仕事へは行かないのか聞こうと思いましたが、あの瞳を見るたびに気が失せました。


 けれど、ある日を境に、父はいなくなりました。


 理由について、母は多くを語りませんでした。ただ、「仕方のないことだ」とだけ言いました。その言い方は、どこか父に似ていました。


 私はしばらくして、一人で台所に立つようになりました。かまどの前にいると、彼が帰ってくるような気がしたのです。火を起こし、小麦粉をこね、形を整える。何度も失敗しました。温度を見ることができなかったからです。


 それでも繰り返しているうちに、少しずつ分かってきました。火は、強すぎても弱すぎてもいけないこと。目で見るだけではなく、手や頬で感じるものがあること。そして、同じようにやっているつもりでも、同じにはならないこと。


 ある朝、ようやくまともな形のパンが焼けました。久々の匂いが部屋に広がり、私はそれを「良い匂いだ」と思いました。そして同時に、少しだけ「怖い」とも思いました。


 理由は分かりません。

 分からないままでいいのだと思います。


 父は、火の扱いに慣れた人でした。

 それは私が確かに知っている、ただ一つのことです。

『戦後私記 第七輯』北部記録刊行会、第3部「火の記憶」より抜粋。


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