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村を焼く。

以下は、退役軍人に対する問診の音声記録より抜粋したものである。

 ……コーヒーの匂いがしますね。ずいぶんと久々に嗅いだような気がします。


 ええ、前線ではもっぱら水でしたから。食い物もパッサパサの乾いたパンだけです……トッピングで粉塵付きのね。まさかティータイムより死が身近になるなんて、四年前は思いませんでした。


 じゃあ先生、少しずつですが聞いていただけますか。……はい。はい、そうです。問診は今回が初めてなので、どうかお手柔らかにお願いします。


 そうですね……どこまで話を差し出していいか、計りながら話させてください。ええ、分かってます、これは先生への配慮じゃないですよ。思い起こすことによって傷を負いかねないからです。先生もその可能性をご存じでしょう? でも、上の奴らに命令されて、頑張って記録を取るしかない。適度に他人事と思ってくださいね。あんたがトラウマを作っちゃったら、一番世話ないですから。


 それで、我々は前線へ出向いたんです。前線を押し上げてくのが兵士の務めですから、特別なことではありません。それに四年もやっていると、特別かどうかなんて分からなくなる。銃の手入れも穴掘りも、人殺しも尋問も、段々と同じ重さになってくるんですよ。


 あの日の行軍はいつも通りで、靴の中は砂だらけでした。パンは硬くて、歯が折れそうで……ああ、でも今のコーヒーよりはマシかもしれませんね。香りがある分、余計に腹が減りそうですから。戦場では「贅沢な悩み」が一番の敵です。


 ……隊長ですか?


 いつもと変わらず静かでしたよ。怒鳴らないし、無駄なことも言わないんで、俺たちの中では上々の評判でした。他部隊の愚痴を聞くと、褒美として頬をぶってきたり、配給をくすねるヤツがいるらしいじゃないですか。そんな奴らよりは遙かにマシです。


 まあ、そんな風潮だから逆に怖いっていうのはありました。命令は短くて、いつも同じ調子で――だから、逆らう理由が見つからないんです。捉えようによっては怒鳴られるより圧がある。まあ、もう一回言うと、殴られるよりはずっとマシなんですけど。


 あの人は部下の名前を覚えているようでもあり、いないようでもありました。呼び方が一定なんですよ。「君」とか「諸君」とか。あれで距離を測ってたのかもしれません。近すぎず、遠すぎず、便利でしょう? 誰のことも個別にしないで済みますから。ビジネス論みたいな本で読んだんでしょうかね。


 それで、その日は――ええ、村に向かいました。隊長からの短い指示があって、我々は偵察兵に率いられて行軍を続けました。比較的歩きやすかったので、人里が近いんだと思いました。そこで人殺しの可能性が浮かんで、憂鬱になったんです。……いえ、「殺したくない」というより、後々の死臭のことを考えていたと思います。一度嗅いでみたら、先生もよく分かる。


 その村は、よくある山間の集落みたいでした。切り立った崖に挟まれた土地に、畑があって、井戸があって、家がいくつかあって。煙突から煙が上がっていました。ああいう煙は遠くからでも分かる。人がいるって証拠です。


 ……はい、見えましたよ。人影も、子供も。

 でも、命令は「無人として扱え」でした。

 要するに、そういうことです。


 理由ですか? 聞きませんでしたよ。聞いたところで、どうせ同じですから。「補給の遮断」とか「反抗勢力の鎮圧」とか、そういう言葉が返ってくるだけでしょう。大義名分ってのは便利なものです。……ああ、批判の意図はないんです、むしろ私たちもそれを欲しがっていましたから。


 誰も異を唱えませんでした。唱えられなかった、が正しいかもしれません。あの人の声で言われると、それが正しい手順に思えてくるんですよ。……ええ、不思議なもんです。


 それから配置について、合図を待って――それだけのことです。


 ……すみません、少し水を。


 火はよく燃えました。乾いていたんでしょうね、あの辺りは。屋根や壁、周囲の木々や…………あっけないものです。火は手間がかからないんですよ。我々が引き金をかけずとも、勝手に全てを消してくれます。処分対象があれでしたから、確実性は求められていませんでしたし、最善の方法だったと思います。


 ……いや、細かいことはいいでしょう。

 記録に必要な分だけ書いてください。


 ええ、合図は隊長が出しました。手を上げて、下ろす。それだけです。声は出しませんでしたけど、あの人はそういうやり方を好むんですよ。さっきお話しした性格から簡単に察せるでしょう。手柄を目立たせたがる立場としては、珍しいタイプの方なんです。


 火が回りきった後、誰かが走っていました。どこへ向かっていたのかは分かりません。井戸かもしれないし、畑かもしれないし、家の中かもしれない。私の目には……ああ、「私たち」と言わせてください。私たちの目には、火の粉と彼らは違いないように見えていました。試験を解き終わってから時計を見つめる感じで、早く終われと思っていました。


 そしたらあの人、少しだけ前に出たんです。列から外れて、村の縁が見える位置まで。副官がついていったはずなんですが、いつの間にか少し距離が空いていました。危険というほどじゃない距離で、でも、わざわざ行く必要もない場所にですよ。何のつもりかと思いました。彼に死なれてしまうと、立場上裁かれるのは我々です。勘弁してくれと思いました。それで前列にいた私が、仲間に肘で突かれて、様子を見に行かされたんです。


 何を見ていたのかは分かりません。ただ、煙の立ち方を見ているようにも見えたし、風向きを確かめているようにも見えた。あるいは――いえ、やめておきます。憶測は記録の邪魔になるでしょうし。ただ、一度だけ、聞こえたんです。


「よく燃える」


 それだけです。独り言みたいなトーンでした。誰に言ったわけでもないし、命令でもない。ただ、感想みたいなつぶやきだったと記憶しています。その声がいつもの調子だったのが、妙に――ええ、妙に印象に残っています。


 その後、作業は予定通りに終わりました。確認も報告も、形式通りに。あとは離脱して、次の地点へ向かうだけでした。死臭は案の定きつかったんですがね。あれだけは人間の性なんでしょうか、どうあがいても慣れないもんです。


 はい、異常はありませんでした。

 ……私ですか?

 どう感じたか、ですか。先生、それ聞きます?


 ……いいですよ。答えましょう。


 先程言った通り、あの時は何も感じませんでした。欲しい答えではなかったですかね。感じないようにしていたのか、本当に何もなかったのかは分かりません。ただ、手順をなぞって終わった。それだけでした。


 ただ――ずっと匂いが残るんです。煙の匂いがね。布にも、皮膚にも、髪にも。洗っても落ちないんですよ。鼻の奥に居座るやつです。


 それである晩、ふと思い出したんですよ。ああ、これ、子供の頃に嗅いだ匂いだって。家の台所で、パンを焼く匂いです。ああいう、少し甘くて、焦げる手前の匂い。腹が鳴るやつです。……変でしょう?


 さすがに同じだとは言いませんよ。でも、似ているところがある。温度とか、空気の重さとか、そういうものが妙に嗅ぎ覚えがあるんです。それに気づいた時に、ちょっとだけ、気分が悪くなりましてね。


 ええ、その程度です。吐いたりはしませんでした。任務に支障はきたさないくらいでした。


 ……また隊長ですか? あの人は何も変わった様子はなかったですよ。その後もいつも通りです。次の命令を出して、次の場所へ向かう。それだけです。特別なことは何もない。


 だからでしょうね、分からないんです。あの人が何を見ていたのか。何を考えていたのか。あの一言が、どういう意味だったのか。分からないままの方が、楽なのかもしれませんけどね。


 ……はい、先生。これで今日の分は。

 ええ、ええ、助かりました。話すってのは、思ったより体力を使うもんだ。


 コーヒー、もし良ければ一杯いただけますか。砂糖は要りません。どうせ、何を入れても――いえ、何でもありません。やっぱり遠慮しておきましょうか。


 香りだけで、十分です。

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