キタさんとミタオくん 6
夜中の三時すぎ。
六畳の床は、布団二枚でほとんど埋まっていました。
足の踏み場は、玄関横の小さなキッチンへ続く、畳一枚分の細い通路だけ。
折りたたみテーブルは、押し入れの脇に立てかけたままです。
今は出す余裕がありません。
ミタオくんは、息苦しさで目を覚ましました。
天井が近い。
電灯のひもが、手を伸ばせば触れそうなところで揺れています。
外は――
風の音だけ。
古いサッシのすき間を、細い風が
すう……と、なぞるように鳴っていました。
そのとき。
こと。
キッチンの方で、小さな音。
「……キタさん?」
返事がありません。
⸻
布団の端をめくり、細い通路に足を下ろします。
一歩で流し台。
半歩で冷蔵庫。
振り返れば、すぐ布団。
その狭い流し台の前で、キタさんが壁に手をついて立っていました。
「……ミタオくん…どうしました」
声が、明らかに弱い。
ミタオくんの眉が寄ります。
「キタさん、顔赤い」
「気のせいの可能性が――」
額に触れた瞬間。
「うわ、熱ある」
キタさんは、静かに目を閉じました。
「……感染、確認の見込みです」
⸻
数時間後。
布団は、ぴったり横並び。
――六畳では、これ以上離せません。
壁。
布団。
布団。
すぐ押し入れ。
いつもの夜の配置です。
⸻
「すみません」
キタさんの声が、布団の中から小さく出ました。
「看病任務、途中離脱です」
「だからいいって……」
ミタオくんの声も、まだかすれています。
⸻
外では、風だけが鳴っています。
すう……
ときどき、古い窓枠が、かすかに鳴る。
それ以外の音は、何もありません。
⸻
キタさんが、もぞ、と動きました。
「……寒いです」
「この部屋、冬の夜は厳しいよな」
三秒、沈黙。
「もう少し寄る?」
また三秒。
「……では、失礼します」
⸻
布団一枚分、距離が縮まりました。
もともと狭いので、すぐ肩が触れます。
二人分の体温が、逃げ場なく布団の中にたまっていきました。
⸻
「ミタオくん」
「ん……」
「ポカリ、飲みましたか」
「飲んだ……」
「優秀です」
少し沈黙。
「キタさんは?」
「……未実施です」
「ほら」
枕元のペットボトルを、弱い手で押し出します。
⸻
キタさんは起き上がろうとして、
――押し入れの角に、こつん。
「……行き止まりです」
「だからこの部屋なんだって」
観念したように、キタさんは布団に戻りました。
「本日は、患者モードに移行します」
⸻
外では、風。
それだけ。
布団の中の空気が、やっと少しぬるんできました。
キタさんの声が、眠りに沈みかけながら続きます。
「回復したら……」
「ん……」
「ちゃんとしたおかゆ、作ります」
「期待してる……」
ほんの少し間。
「……ふーふー付きで」
キタさんの口元が、弱くゆるみました。
「特別仕様です」
⸻
いつもならぐっすり眠っている時間ですが
少し眠っては、すぐに目を覚まします。
体調不良で眠気より悪寒が勝る時があります。
「……さむいです」
キタさんの声が、布団の奥から弱く漏れます。
ミタオくんは半分眠りながら、目だけ開けました。
「熱上がってる?」
「体感温度、著しく低下しています」
言い終わる前に――
もぞ。
ぐい。
ぎゅう。
「……」
ミタオくんの目が、完全に覚めました。
⸻
「キタさん」
「……はいです」
声の位置が、やたら近い。
というか――
「近い近い近い」
「防寒行動です」
キタさんは、熱で判断力が鈍っているのか、
遠慮という機能がだいぶ弱まっています。
⸻
ぎゅう。
さらに腕に力が入りました。
六畳一間なので、逃げ場はありません。
「キタさん、ちょ、暑いって」
「私は寒いです」
「こっちは今ちょうどいいの!」
「体温共有は合理的です」
「理屈で来るな今」
⸻
キタさんの額が、こつん、とミタオくんの肩に当たりました。
いつもより呼吸が熱い。
そして――
「……離脱、困難です」
「いや自分でやってるでしょ」
⸻
しばらく、ぎゅうぎゅうのまま時間が過ぎます。
外では、相変わらず風。
六畳の布団の中だけ、やけに密度が高い。
ミタオくんが、小さくため息をつきました。
「……もういいから、ちょっとだけだからね」
キタさんの腕の力が、ほんの少しだけ緩みます。
「許可、確認しました」
「確認しなくていいよ」
⸻
それからどれくらい経った頃か。
キタさんの呼吸が、少し落ち着いてきました。
さっきまでの強張りが、ゆっくり抜けていきます。
腕の力も、する、と軽くなる。
⸻
朝方。
薄い光が、カーテンの向こうににじみ始めた頃。
キタさんが、ゆっくり目を開けました。
「……おはようございます」
声は、昨夜よりだいぶ普通です。
ミタオくんは、少し眠そうな顔で言いました。
「熱、少しだけ下がったみたいだね」
「そのようです」
一拍。
「よく眠れました」
⸻
「え?そうなの?」
ミタオくんは、じっとキタさんを見ます。
「……何か、覚えてない?」
「昨夜の行動ログですか」
「うん」
キタさんは、少し考えてから、首を振りました。
「高熱のため、一部記憶が曖昧です」
「へえ」
「何か問題が?」
⸻
ミタオくんは、ほんの少しだけ口の端を上げました。
「いや、別に」
「そうですか」
キタさんは、いつもの落ち着いた顔に戻っています。
布団の中の距離も、きっちり通常モードです。
⸻
ミタオくんだけが、昨夜の体温の近さを、
まだ少しだけ覚えていました。




