湖畔でピクニック1
「うーん……」
思わず唸ると、向かいに立っていたユウリが小さくため息をついた。
「お嬢様。お顔が潰れておりますよ」
「いや、だってさ。これ、見てよ」
私は机の上に、溜まりに溜まった手紙をばさばさと広げた。
封蝋の色も、家紋も、見事なほどにばらばらだ。
「おや、お見合い相手の方々ですね。
随分とおモテになります」
「そういう問題じゃない!」
思わず声が大きくなる。
「みんな安っぽい愛の言葉ばっかり。
私のことなんて、何一つ知りもしないのにさ。
“運命を感じました”って、会ったこともないでしょうが!」
ユウリは手紙を一枚手に取り、さっと目を通す。
「……確かに、文面はどれも似たり寄ったりですね」
「でしょ?
しかも、この公爵家のリチャード!」
私は一番端に積まれていた封筒を指差した。
「見た?
何枚も送ってくるの!
やんわり断ってるのに、全然引かないんだよ」
「立場的に、こちらの方が下ですからね」
「そうなの。だから余計に断りづらい」
胸の奥に、嫌な感触が残る。
押しの強さが、善意とは思えなかった。
「正直に申し上げますと」
ユウリは、静かに言った。
「リチャード様は、お勧めしません」
「……悪い噂?」
「ええ。女性関係と、金銭絡みで、少々」
やはりそうなのか、という確信。
「害は、まだないようですが」
ユウリは手紙を元の位置に戻す。
「しばらくは、様子を見ましょう」
「うん……」
そう答えながらも、心は別のところにあった。
「それにしても」
ふと、思い出したように言う。
「最近、宝石絡みの事件、落ち着いてるよね」
以前のように、
身近で魔宝石の暴走したという
話を聞かなくなった。
「殿下が、上手くやっておられるのでしょう」
ユウリは即答した。
「あの方は、仕事ができますから」
「だよね」
私は苦笑する。
「王国騎士団に引き継がれたのも大きいけど、
采配が的確なんだよなぁ……」
一瞬、頭にディラン殿下の顔が浮かび、
すぐに打ち消す。
――今は、考えない。
その時だった。
コンコン。
控えめなノックの音。
「お嬢様、お支度しますよ!」
扉が開き、明るい声とともにアリスが顔を出す。
「今日は、トワ様とレオとお出かけの日ですよね?」
アリスが顔を覗かせ、にこりと微笑む。
その一言に、私は手を止めた。
「……そうだね」
短く答えながら、胸の奥で、記憶がゆっくりとほどけていく。
◇
孤児院でのボランティアが終わったあと、
レオとトワが今後のボランティアについての資料を持ってきた時のこと。
活動内容、必要物資、必要な支援金
どれも丁寧で、読みやすい。
「……すごい。とてもよくできてるわ」
思わずそう口にすると、レオがぱっと顔を輝かせた。
「ほんと!?
よかったー! トワがほとんどまとめてくれたんだけどさ!」
「いえ、レオが現場のことをたくさん教えてくれたので」
トワはそう言って、控えめに微笑む。
「この部分、特に助かるわ」
資料の一箇所を指す。
「孤児院側の負担まで考えてくれてる。
続けるには、とても大事な視点よ」
「えへへ……」
レオが照れたように頬をかく。
「続けたいですから。
一回きりじゃ、意味ない気がして」
その言葉に、胸が少しだけ温かくなった。
私は資料を閉じ、2人を見て微笑む。
「ありがとう。2人とも」
それから、少しだけ間を置いて。
「せっかくだから……」
自然と声が柔らいだ。
「何か、してほしいことはある?」
ほんの気軽な問いかけ。
すると、間を置かずに――
「遊びいきたい!!」
レオが、子どもみたいに勢いよく言った。
「……ぼ、僕も行きたいです」
少し遅れて、トワが控えめに手を挙げた。
けれど、その瞳は期待で輝いていた。
「俺湖がいいです!」
「僕はみんなでお弁当、食べたいです」
2人並んで言われて、
私は思わず笑ってしまったのを覚えている。
そして蝶の会以降、お見合いの話をしてからは父とはほとんど顔を合わせておらず、たまに、軽く挨拶を交わす程度だった。
今回、湖畔に行くことを告げると、驚くほどすんなりと承諾が返ってきた。
「少し、ゆっくりしてきなさい」
父にしては珍しい、労りの言葉だった。
その声には、普段の厳しさや距離感が影を潜め、ほんの少しだけ柔らかさが混じっていた。
心の奥で、私は小さく息を吐く。
こんな父の言葉に触れるのも、久しぶりのことだった。
――そんな記憶が思い出される。
今日は、休日。
それと合わせてナタリーさんにも会いにいく。
研究者でも、共犯者でもない。
ただ――私の身の回りの世話をしていた人。
それでも、長くこの屋敷に仕えてきた人物だった。
けれど彼女は、もう80近い年齢だと聞いている。
最近は記憶も曖昧で、同じ話を何度も繰り返すことがある、と。
正直に言えば、
何か決定的な情報を持っている可能性は、きっと高くない。
それでも――
会いに行く理由は、一つしかなかった。
母を、
「研究資料」や「死亡記録」としてではなく。
ひとりの女性として、
確かに生きていた“人間”として知っているかもしれない。
けれど――
この一日が、
また何かを動かしてしまう、そんな胸騒ぎもした。




