孤独な黒狼4
気づけば、
俺は銀髪の男――セナと呼ばれる人に抱えられ、
大きな屋敷に連れてこられていた。
広い。
静かで、清潔で、
俺が今までいた世界とは、何もかもが違う。
「よし、まずはお風呂ね」
彼女が迷いなく言う。
「ユウリお願い」
「かしこまりました」
そう答えたのは、茶髪の男だった。
ユウリと呼ばれた彼は、にこやかに――だが有無を言わせない力で、
俺の腕を掴む。
「さ、行きましょう」
……引きずられてる気がする。
抵抗する間もなく浴室へ放り込まれ、
湯気と石鹸の匂いに包まれた。
「ちょ、ちょっと……!」
「大丈夫ですよ」
ユウリは手際よく、
長い間こびりついていた汚れを、丁寧に洗い流していく。
湯は、熱すぎず、ぬるすぎず、
皮膚の奥まで染み込んでくるみたいだった。
(……あったかい)
頭から、足先まで、
全部が軽くなっていく。
風呂を出ると、
清潔な服を渡された。
柔らかくて、軽くて、
今まで着ていたものとは、別の世界の布だ。
「似合ってますね」
ユウリが笑う。
……なんか、いい匂いがする。
そのあとすぐ、医者のところへ連れて行かれた。
白衣の男は、俺の身体を一通り診てから言った。
「だいぶ痩せてるね。でも、他に悪いところはなさそうだ」
軽い口調だが、目は真剣だ。
「急に詰め込むのは逆効果だ。
少しずつ栄養をとって、まずは1週間、しっかり休もう」
その「休む」という言葉が、
やけに遠いものに聞こえた。
……一週間、何もしなくていい?
結局、その通りになった。
用意された部屋で、
決まった時間に食事が運ばれ、
無理に動くことも、命じられることもない。
落ち着かなくて、何度も起き上がろうとしたけど、
そのたびに誰かが言った。
「今は、それでいい」
それから――
セナが、剣を教えるようになった。
「構えはこうだ」
無駄のない動き。
余計な言葉は少ない。
「お嬢様の前では、剣を振るな。
守るための剣だと、忘れるな」
それともう一つ、
はっきり言われた。
「ティアナ様のことは、“お嬢様”と呼べ」
……少し、くすぐったい。
剣だけじゃない。
お嬢様は、時間を見つけては、
文字の書き方を教えてくれた。
「これは、“あ”」
紙に描かれる線を、真似る。
思ったより、難しい。
食事の仕方も、
礼儀も、
全部、少しずつ。
「急がなくていいのよ」
そう言って、
できると小さく拍手してくれる。
(……不思議だ)
罰も、怒号もない。
できないことを、責められもしない。
代わりにあるのは、
「教える」という時間だった。
俺はまだ、ちゃんとした人間じゃない。
でも――
この屋敷で、
この人たちの中でなら、
少しずつ、
なれる気がしていた。
「テオ、すごいね!
覚えが早いよ」
訓練の合間、
お嬢様は屈託なくそう言って笑った。
「……これくらい、普通だよ、お嬢様」
そう答えたけれど、
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
お嬢様は、よく褒めてくれた。
小さなことでも、できたらちゃんと見てくれる。
……その分。
セナは、いつも厳しかった。
「構えが甘い」
「踏み込みが遅い」
「気を抜くな。命を守る立場だと自覚しろ」
声は低く、表情も変わらない。
情け容赦なしだ。
でも、不思議と――
理不尽だとは思わなかった。
ある日、
お嬢様から騎士寮の一室を貸してもらえることになった。
石造りの建物。
簡素な部屋。
それでも、
屋根があって、鍵があって、
“俺の場所”と呼べる空間だった。
第3騎士団の連中は、
俺を見るなり、やたら距離が近い。
「お、噂の新人?」
「赤い目だな!」
「名前は?」
気味悪がられると思っていたのに、
そんな素振りは一切ない。
無視しても、
勝手に話しかけてくる。
……どういう神経してるんだ。
後になって、ユウリから聞いた。
お嬢様が、
この家の当主に直談判してくれたこと。
「置いてください、って?」
「そう。かなり本気でしたよ」
条件も、あった。
期限は1年。
1年以内に、
俺が正式に騎士団員として認められなければ、
ここにはいられない。
――当然だ。
だから、
死にものぐるいでやらなければならない。
お嬢様のそばにいるために。
食事は、
騎士団員用の食堂を使うように言われた。
……でも。
まだ、俺は騎士団員じゃない。
居候が、
当然のように席に着くのは違うと思った。
だから、数日は――
訓練の合間に、敷地の端で野草を摘んで食べていた。
苦い。
硬い。
でも、慣れている。
(これくらい……)
生きるためなら、平気だ。




