蒼の約束3
男爵が連行されたあと、工場は一時、完全に稼働を止めた。
重い機械音が消え、
あれほど騒がしかった場所が、嘘みたいに静かになる。
人々は最初、戸惑っていた。
仕事がなくなる不安。
明日への恐怖。
けれど、数日後――
伯爵家の名で、新しい管理者が派遣された。
「まずは、整備だ」
機械はすべて止められ、
壊れた部品は交換され、
危険な工程は見直された。
「事故は報告する。隠さない」
その言葉は、街にゆっくりと広がっていった。
解雇された者たちにも、声がかかった。
「戻りたい者は、戻っていい」
父も、その一人だった。
怪我が完治するまでは軽作業。
治療費は、正式に支払われた。
母は、ようやく安心した顔で眠るようになった。
街も、少しずつ変わった。
人々は、俯いて歩かなくなった。
噂話は減り、代わりに、
「声を上げれば届く」という実感が残った。
俺は、工場の前に立ち、
騎士たちの動きを眺めていた。
無駄のない動き。
誰かを威圧するためじゃない。
守るための力。
――あの日。
証言が燃やされたとき、
俺は、ただ睨むことしかできなかった。
怒りはあった。
力は、なかった。
「……強くなりたい」
気づけば、そう呟いていた。
背後から、足音。
「それは、“剣が振れる”って意味?」
ティアナだった。
「違う」
俺は首を振る。
「声を、守れる力だ」
彼女は少し驚いたように目を瞬かせ、
それから、静かに笑った。
「いい志ね」
俺は、工場を見つめたまま続ける。
「力がなきゃ、正しさは踏みにじられる。
でも、力だけでも駄目だ」
あの男爵は、力を持っていた。
けれど、守る気なんてなかった。
「俺は……
誰かの声が燃やされそうになったら、
前に立てる人間になりたい」
しばらくの沈黙。
俺は、拳を握った。
――あの日、ナイフを抜きかけた自分を思い出す。
あれは、守る力じゃなかった。
壊すだけの衝動だった。
「俺騎士なる」
そう答えたとき、
不思議と迷いはなかった。
「絶対に」
ティアナは、満足そうにうなずいた。
あの日から、ティアナは時々、工場の様子を見に来ていた。
執事を連れ、騎士に囲まれて。
けれど彼女自身は、変わらなかった。
誰かが困っていれば立ち止まり、
誰かが声を上げれば、必ず耳を傾ける。
俺は、その少し後ろに立つことが多かった。
(……不思議だ)
あんなに小さいのに、
あんなに強い。
剣を持っているわけでも、
怒鳴るわけでもないのに、
人は彼女の言葉に従う。
――守られているのは、街だけじゃない。
俺も、だ。
◇
ある日、ティアナがふと振り返った。
「セナ」
「な、なんだ」
名前を呼ばれるだけで、胸が少しだけ跳ねる。
理由は、分からない。
「あなた、騎士を目指すって言ってたわよね」
「ああ」
「どうして?」
俺は、少し考えた。
強くなりたい。
声を守りたい。
それも、全部本当だ。
でも――
「……最初に、手を引いてくれたのが、
ティアナだったからだ」
彼女は目を瞬かせた。
「私?」
「ナイフを持ってた俺を、止めたのはあんただ」
あの時。
怒りで全部を壊そうとしていた俺に、
「まだね」と言った声。
もし、あれがなかったら。
俺はきっと、戻れなかった。
「だから……」
言葉が、少し詰まる。
「俺は、
ティアナの“騎士”になりたい」
剣を振るうためじゃない。
命令を聞くためでもない。
彼女が正しいと思うことを、
最後まで守れる存在になりたい。
そういう意味だ。
ティアナは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと微笑む。
「……それは、光栄ね」
からかうでもなく、
軽く流すでもなく。
「でも、覚えておいて」
彼女は真剣な目で言った。
「私の騎士になるなら、
私だけを守るんじゃだめよ」
「分かってる」
即答だった。
「ティアナが守ろうとするもの全部を、守る」
その言葉に、彼女は少しだけ驚いた顔をして、
それから――ほんのり頬を赤くした。
それが、
俺の初恋だった。
けれどそれは、
手を繋ぎたいとか、
一緒にいたいとか、
そんな言葉になる前の感情。
「この人の剣でありたい」
ただ、それだけの想い。
俺はまだ、12歳。
彼女は、8歳。
恋なんて、分からない。
それでも、この気持ちだけははっきりしている。
――いつか本当に、
ティアナ・ラピスラズリの騎士になる。
彼女の隣に立ち、
彼女の正義を、守るために。
それが、
セナという少年の、最初の誓いだった。




