想いの果てに6
室内のドーム型庭園に辿り着いた。
天井いっぱいに広がるガラス越しの月明かりが、
瑞々しい植物たちをきらきらと照らしている。
外界の喧騒は、もう届かない。
「……ここまでくれば、平気だろう」
繋いだ手は、そのままだ。
離す気はないと言わんばかりに、
指先がそっと絡められる。
「あ、あの……殿下」
「ディラン」
殿下呼びは、どうやら気に入らないらしい。
「……ディラン」
「なんだい?」
満足そうに微笑む、その顔が少し眩しくて。
私は視線を落とした。
「……さっきは、ごめんなさい」
「何が?」
「逃げたこと」
言葉にすると、胸がぎゅっと痛む。
「向き合わなきゃって、分かってるのに……
いざ目の前にすると、怖くなって」
王妃。
未来。
責任。
しばらく沈黙が落ちる。
やがて、ディランは小さく息を吐いた。
「……そうだろうと思った」
「怒って、ませんか?」
「怒るわけない」
彼は私の手を引き、月光の下へと導く。
「君はいつだって、背負いすぎる」
静かな声だった。
「俺が欲しいのは、完璧な王妃じゃない。
俺の隣で、笑ってくれる君だ」
視線が重なる。
逃げ場のないほど、近い距離。
「俺は、ティアナ。
君が好きだ。
君以外が隣にいる未来など、考えられない」
月明かりの下で、ディランはまっすぐに言った。
「俺の弱さも、狡さも。
王子という立場の裏で、何度も迷ってきたことも――
全部知った上で、隣に並んでくれた」
一度、息を整える。
「最初から俺自身を見てくれた君に、
……どうしようもなく、惚れているんだ」
胸が、熱くなる。
私もちゃんと伝えなければ…。
スッと息を吸う。
「……はじめは、ディランのこと、正直気に入らなかった」
「それはまた、手厳しいな」
小さく笑う彼に、私は首を振った。
「本音を上手に隠して、冷めていて。
何をするにも完璧で……近寄りがたい人だと思ってた」
けれど。
「本当のあなたは、完璧な王子なんかじゃなかった」
視線を上げる。
「みんなと無邪気に笑って、
どうでもいいことで意地になって、拗ねて」
言葉を選びながら、続けた。
「優しくて……やっぱり、強い人だった」
胸の奥に溜めていた想いが、静かに溢れる。
「私、ディランが好き」
はっきりと、告げた。
「この先も、あなたと一緒にいたい」
一拍。
「……だけど、王妃になる覚悟は、まだない」
沈黙が落ちる。
拒絶でも、逃避でもない。
ただ、正直な気持ちだった。
ディランは何も言わず、
そっと腕を伸ばす。
引き寄せられ、胸に額が触れた。
強くもなく、弱くもない――
包み込むような抱擁。
「……それでいい」
低い声が、髪越しに落ちてくる。
「今、覚悟がないなら、無理に背負わなくていい」
抱く腕に、ほんの少しだけ力がこもった。
「王妃になれ、なんて言わない。
俺が好きなのは“肩書き”じゃない。君だ」
胸の奥で、何かがほどけていく。
「隣に立てる日が来るなら、その時でいい」
そっと、囁く。
「それまでは――
俺が、君の隣に立つ」
ディランと、目が合った。
月明かりを映したその瞳が、熱を帯びてこちらを射抜く。
逃げ場のない距離。
右手がゆっくりと伸び、
指先がそっと私の頬に触れた。
指の腹が、確かめるようになぞる。
「……ティアナ」
名前を呼ばれるだけで、胸が跳ねる。
視線が唇へと落ちたのがわかって、
息を呑んだ、その瞬間。
ディランの額が触れ、
次いで――唇が、重なった。
触れるだけの、柔らかなキス。
けれど離れようとした私を、
彼の手がそっと引き止める。
もう一度。
今度は少しだけ深く、確かめるように。
触れるたび、想いを確かめ合うような口づけ。
熱と鼓動が、静かな庭園に溶けていく。
やがて唇が離れ、額を合わせたまま。
「……急がない」
低く、優しい声。
「君が逃げたくなるなら、一緒に逃げたっていい。
迷うなら、一緒に迷う」
少し困ったように笑って、
「最悪、俺の代わりにレイが王子になればいい」
「……そんな適当な」
思わず呆れると、くっと喉を鳴らして笑う。
頬に触れた親指が、そっと涙の跡をなぞった。
「だから……この先も、俺といてくれ」
その声には、王子としてではなく、
一人の男としての不安と願いが滲んでいた。
「……はい」
そう答えた瞬間、
彼の腕が静かに引き寄せる。
もう一度、そっと唇が触れた。
今度は、誓うように。
離れないと約束するように。
月明かりに満ちたドーム庭園で、
2人の影が、静かに重なった。
それは、言葉よりも確かな――
恋の始まりを告げるキスだった。
そして私は悟る。
もう、王子の執着から逃れられないのだと。
それでも、私が私らしく生きるために――
物語は続いていく。
第三部 完結




