テオ 過去との決別
地下第三研究通路。
照明は半分が沈黙し、非常灯だけが赤く点滅している。
「……嫌な気配だね」
テオが言うとレオが鼻をひくつかせた。
「ここ、空気が腐ってる感じする!」
「魔女の雫の残滓だ」
レイは淡々と答え、床に散らばる黒い結晶片を拾い上げる。
「長時間吸えば、正気を保てない」
「つまり、長居は無用ってことね」
テオが肩をすくめた、その時だった。
――カツン。
奥の通路から、靴音。
ゆっくりと、わざと聞かせるような足取り。
「……来る」
レイが剣に手をかける。
闇の中から現れたのは――
顔を深くフードで隠した長身の男。右頬に傷がある。
魔女の雫事件で、宝石をばら撒いていた人物。
黒いローブの内側からは、歪に埋め込まれた魔女の雫の魔導装置が覗いていた。
「……おいおい。
もうここまで進入者が来てるのか」
低く、かすれた声。
その瞬間、テオの表情が一瞬、曇った。
「どうした? テオ」
レオが横から声をかける。
男は喉を鳴らして笑った。
「まさか……ドブネズミじゃないか」
顔を上げ、愉快そうに言う。
「生きてたんだなぁ?
“テオ”だって? 随分ご立派な名前をもらったもんだ」
「……あんたか」
テオの声は低かった。
レオが2人を見比べる。
「知り合い?」
「元、雇い主だよ」
テオは笑ったが、その目はまったく笑っていない。
「使えなくなった部下は即切り捨て。
あの時も、迷いなく捨ててくれた」
ローブの男は肩を揺らして笑う。
「仕方ないだろう?
あの時は一儲けできるはずだったんだ」
指を鳴らす。
「だが邪魔が入った。
そう――ラピスラズリ伯爵家の令嬢のせいでな」
空気が、ぴしりと凍る。
テオの視線が鋭く突き刺さった。
「……なるほど」
男は口角を歪める。
「まさかと思ったが……
今はその“お嬢様”に飼われてるのか?」
嘲るような笑い声。
「傑作だな。
どうだ、もう一度俺と組まないか?
儲かるぞ?」
「くははははは……!」
――次の瞬間。
テオが、静かに笑った。
「ねえ」
声音は、ひどく穏やかだった。
「お嬢様の近くに、魔女の雫をばら撒いたのって……」
一歩、前へ出る。
「わざとだったってこと?」
「そうだ」
男は即答した。
「ガイル様の指示でな。
それに俺も、あのお嬢様には多少恨みがある」
「……そう」
テオは短く息を吐いた。
その背後で、レイとレオが前に出ようとする。
だが――
「2人とも」
テオは手を上げて制した。
ゆっくりと剣を抜く。
紅い宝石――スピネルが、淡く脈打った。
「ここは、俺がやる」
ローブの男が肩をすくめる。
「はは……相変わらず感情的だな」
テオは微笑んだ。
それは、かつて誰にも見せなかった冷たい笑み。
「ねぇ」
剣先を向ける。
「――死ぬ覚悟、もちろんできてるよね?」
スピネルが、血のような光を放った。
通路の闇が、ゆっくりと赤く染まっていく。
テオは静かに詠唱する。
「――紅く、鋭く。
我が想いに応えよ、スピネル」
瞬間。
剣身が燃えるような深紅に染まり、空気が裂けた。
一閃。
音すら置き去りにした斬撃が、ローブの男を正面から貫く。
魔女の雫の魔導装置が悲鳴のような軋みを上げ――
次の瞬間、粉々に砕け散った。
「……っ、ぐ……」
男は膝をつく。
血と黒い魔力が床に滴り落ちた。
テオは、倒れた男にゆっくりと剣を向ける。
その表情には、怒りも憎しみもなかった。
ただ、静かな決別。
「……一つだけさ」
低く、穏やかな声。
「感謝してることがあるんだ」
男がかすれた目で見上げる。
テオは、にやりと口角を上げた。
「――あんたのおかげで」
一瞬、脳裏に浮かぶのは
蒼い光と、優しい声と、まっすぐな背中。
「お嬢様に、会えた」
紅い光がさらに強くなる。
「だから……もう十分だ」
剣を振り上げる。
「さよならだよ」
――閃光。
スピネルの紅が、通路を染め上げた。
次の瞬間、そこに残っていたのは
砕けた魔導装置と、静まり返った空気だけだった。
テオは血を払うように剣を振り、鞘へと収める。
「……さて」
いつもの軽い調子で肩をすくめる。
「借りは返した。
あとは、お嬢様のところに戻らないとね」
赤い非常灯の下。
その背中はもう、過去を振り返らなかった。
赤い非常灯が、断続的に通路を照らしていた。
静寂の中、レオがぽかんと口を開けたまま、テオを見る。
「……なに今の」
一拍。
「かっこよすぎじゃない!?」
テオがぴたりと足を止める。
「は?」
「いや今の一撃!
一言!
表情!
全部決まりすぎでしょ!!」
身振り手振りまで真似され、テオは露骨に顔をしかめた。
「うるさい。黙って歩け」
「えー照れてる?」
「照れてない」
「絶対照れてるって!」
レオが笑う横で、レイはすでに倒れた男の残骸のそばに屈んでいた。
砕けた魔導装置の奥から、金属製の記録端末を引き抜く。
「……研究データ、発見」
表情を変えず、淡々と操作する。
「魔女の雫の生成記録。
紅血への変換理論。
被験者一覧……」
指が止まる。
「……ティアナ様の名も、あります」
空気が一瞬、張り詰めた。
「やっぱりか」
テオが低く呟く。
レイは通信魔法具を起動した。
淡い光が走り、王国紋章が浮かび上がる。
「こちらレイ。証拠資料を確保した」
短く、明確に。
「ガイルの研究施設、違法人体実験を確認。
魔女の雫および紅血生成設備あり」
一拍置き、続ける。
「王国騎士団へ、即時突入要請」
通信の向こうから、緊張した返答が返る。
『了解。王国騎士団第一、第ニ部隊を即時投入する』
『5分で到達可能』
レイは通信を切り、振り返った。
「……もう逃げ場はない」
そのとき。
――ドン……ッ。
研究施設のさらに奥から、重低音が響いた。
床が微かに震える。
「うわ、今度はなに!?」
レオが身構える。
テオは、剣の柄に手をかけた。
「決まってるでしょ」
視線の先――
研究所中枢方向から、異様な魔力のうねりが立ち上る。
「――お嬢様のところが、本番だ」
3人は同時に走り出した。
戦いは、ついに核心へ――




