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夜明けが世界を染めるころ、 悪意の見える伯爵令嬢は王子の執着から逃れられない  作者: 舞響


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200/222

魔女の紅血

ティアナside


前を歩く案内役の研究員――

そっとディランの袖を引く。


「ディラン……」


「どうした?」


声を潜めて、囁く。


「右の奥……反応がある」


ディランの視線が、即座に私の示す方向へ向いた。


通路の分岐。

案内人が進もうとしているのは、左側。


けれど――

私の胸の奥が、はっきりと告げていた。


(違う。あっちじゃない)


「……魔力の流れが逆です」


「誘導じゃない、呼び水か」


ディランは小さく息を吐いた。


「罠だな」


案内人は、こちらに気づかぬふりで歩き続けている。


「……まきますか」


私が言うと、ディランは一瞬だけ笑った。


「同感だ」


彼は歩調をわずかに落とし、私の隣へ。


「合図は?」


「次の角です」


角を曲がる直前。


私がラピスラズリにそっと魔力を流す。


――風が、揺れた。


視界の端で、通路の照明が一瞬だけ明滅する。


その隙に、ディランが私の手首を引いた。


音もなく、右奥の非常通路へ滑り込む。


次の瞬間。


「……?」


背後で、案内人が足を止める気配。


だがもう遅い。


私たちは影の中へ溶け込んでいた。


細い通路を抜けた先で、空気が一変する。


――重い。


湿ったような、血の匂いを含む魔力。


やがて視界が開けた。


「……これは……」


巨大な円形空間。


天井まで届く魔導管が何本も張り巡らされ、

中央には禍々しい装置が鎮座していた。


無数の水晶槽。


中で脈打つ、濃紫の液体。


魔女の雫。


それらはすべて、中央の心臓部へと流れ込み――


赤黒く、粘ついた“別のもの”へと変換されていく。


「魔女の紅血……」


喉が、ひくりと鳴る。


「これが……ガイルの目的地か」


ディランが剣に手をかけた。



「ここまで辿り着くとは、さすがだよ」


拍手の音が、やけに大きく響いた。


奥の通路から、ゆっくりと現れた男。


白衣の上から深紅の外套を羽織り、

眼鏡の奥の瞳だけが、異様な熱を帯びている。


「ガイル……!」


ディランが一歩前に出る。


「王子殿下に、共鳴の令嬢。

わざわざ揃って来てくれるとは光栄だ」


愉しげに笑う。


「……これが、あなたの望んだもの?」


私が問いかけると、

ガイルは肩をすくめた。


「“王になる力”だよ」


淡々と、狂気を隠しもせず言い放つ。


誰かの気配が、ゆっくりと立ち上がる。

「あなたに、聞きたいことがあります」


その声に、ディランが一瞬だけこちらを見るが、止めなかった。


ガイルは興味深そうに眉を上げる。


「ほう?」


 

「母――アイリス・ラピスラズリは、あなたの研究に関わっていましたね」


空気が、ぴんと張り詰める。


ガイルの笑みが、わずかに止まり、

次いで――ゆっくりと歪んだ。


「……なるほど」


低く、感嘆の混じった声。


「そうか。君が――あの女の娘か」


 

その言い方に、胸が疼く。



「母の死は事故ではなかった。

研究の危険性に気づき、止めようとしていた」


「そして――」


一瞬、言葉を飲み込む。


「私が“器”である可能性があることも、知っています」


 


沈黙。


次の瞬間、ガイルは喉を鳴らして笑った。


「はは……はははは!」


「そうか……そういうことだったのか」


眼鏡の奥の瞳が、興奮に濡れる。


「長年、欠けていた最後のピース。

最近になってようやく輪郭が見え始めたが――」


私を、はっきりと見据えた。


「まさか、生きていたとはな」


 


「やはりな。

あの女が、何も残さず死ぬはずがないと思っていた」


 


「そうだ。魔女の雫を、魔女の紅血へと変える。

そのために必要なのが――君だ、ティアナ」


 


胸が、ひやりと冷えた。


 


「君の共鳴。

君の血。

そして、君自身の存在」


「王にも、神にも、なれる力だ」


 


「……だから母を、利用した」


私の声は静かだった。


 

「利用?

研究者として協力してもらっただけだ」


悪びれもなく言い放つ。


「だが彼女は途中で怖じ気づいた。

これは“王国を救う力ではない”と騒ぎ立て、

研究の破棄を訴えた」


ガイルの目が細まる。



「愚かな女だ。

未来を恐れて、可能性を捨てるなど」



「……それで?」


震えそうになる声を、必死で抑える。


「それで、母は?」



ガイルは一瞬だけ黙り――

あっさりと告げた。



「事故を装った」


 

その言葉が、胸を貫く。


だが、涙は出なかった。


「彼女が最後に守ろうとしたのは、お前だ」


「研究記録を改ざんし、血統を消し、

娘が“ただの令嬢として生きられるように”細工した」


 「……実に見事だよ」


くつくつと喉を鳴らす。



「そのせいで、私は長年“器”を見失った」


「だが――」


私を見る。


「……皮肉なものだ。

彼女が守り抜いた娘が、

自らここまで辿り着いてしまったのだから」



「ここまで生き延びたのなら――」


唇が、愉悦に歪む。


「もはや、逃がす理由もない」


ゆっくりと息を吸った。


胸の奥で、冷たい何かがすとんと落ちた。

怒りでも、悲しみでもない。


――理解してしまったのだ。


この男が、何を恐れ、何から逃げ続けてきたのかを。

前を見据える。ガイルから目を逸らさずに。



「あなたは、

『王になって国を導きたかった』わけじゃない」


ガイルの睨むような視線を感じる。


「ただ――

力を持てない自分が、怖かっただけ」


「黙れ…!」


「制御できない力が怖くて、

失うことが怖くて、

選ばれない存在になるのが怖かった」


「黙れと言っている!」


ガイルの魔力が、びり、と荒れる。


それでも、声は揺れなかった。


「だから、その不安を消すために、

“王になる”という言葉にすがった」


「俺は……国のために……!」


「本当は」


言葉を重ねるように、静かに。


「誰かを守りたかったわけでも、

国を良くしたかったわけでもない」


「そんなことは……!」


「弱い自分を、認めたくなかっただけ」


一瞬、ガイルの言葉が詰まる。


「……っ」


「その恐れから逃げるために、

人を支配し、

力を独占した――」


「やめろ……!」


震えた声。


怒りでも威圧でもなく、

追い詰められた獣のような叫び。


まっすぐに彼を見据えた。


「ただの、愚か者よ」


横にいたディランはふっと笑う。

「よく言った、ティアナ」



ガイルの表情が、激しく歪んだ。


「黙れ……!」


「お前にわかるものかーーー!」


ガイルは指を鳴らした。


床の魔法陣が一斉に発光する。


「せいぜい苦しむがいい。

まずは実験の続きだ」


――警告音。


壁が割れ、魔女の雫で構成された魔導兵が這い出してくる。



ガイルの視線が、獲物を見るそれに変わるのがわかった。


私は小さく息を吸い、ドレスの裾を見下ろす。


淡い色のスカート。

ルイが仕立ててくれた、大切な一着。


けれど――今は。


腰元へ手を伸ばす。


スカートの内側。

縫い目に紛れるように取り付けられた、細い留め具。


カチリ。


小さな音とともに、裾の重みが消えた。


外れたスカートが、静かに床へ落ちる。


下から現れたのは、

動きやすい濃紺の細身のズボンと、ブーツ。


「……さすがだな」


思わず小さく笑ってしまう。


――ルイの顔が浮かんだ。


『戦う時に裾を踏んだら危ないでしょう?

だから“外せるだけ”にしておいたの。』


薔薇の刺繍が入っており、戦闘服なのに美しい。

ルイらしいな。


ディランが一瞬だけ目を細める。


「似合っている」


「今、褒めるところ?」


「今だからだ」


短くそう言って、彼は剣を抜いた。


「準備はいいか、ティアナ」


私は床に落ちたスカートを一度だけ見てから、前を向く。


「ええ」


宝石に手を添え、魔力を整える。


「……行こう」


巨大装置が唸りを上げ、

紅血が、まるで生き物のように蠢いた。


ガイルが、愉快そうに笑う。


「その姿で立つということは――

覚悟はできたようだね、魔女の器」


ディランが一歩前に出る。


「彼女をそう呼ぶな」


剣先が、光を帯びた。


戦闘は、もう避けられなかった。


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