夜明けの先に3
ユウリとディランに支えられ、医務室へと辿り着いた。
扉を開けると、薬草のやわらかな香りが鼻をくすぐる。
ベッドの上には、静かに眠るセナの姿。
私はその横顔を、そっと見下ろした。
普段は冷静で、感情をほとんど表に出さない彼が、
今はまるで別人のように穏やかな表情で呼吸している。
規則正しく上下する胸。
それだけで、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
(……よかった)
思わず、心の中で呟く。
――生きてる。
視線を肩へ移す。
深く裂けていたはずの傷口は、丁寧に処置され、
清潔な包帯がきれいに巻かれていた。
血の滲みもなく、呼吸も安定している。
(……これなら……大丈夫そう)
そう思えた瞬間、
張り詰めていたものが、すっと緩んだ。
けれど同時に――
――これ、私がやったんだよね。
喉の奥が、きゅっと詰まる。
助けられて本当によかった。
その背後で。
ユウリとディランは視線を交わし、
互いに小さく頷いた。
2人は何も言わず、
私の肩に添えていた手をそっと離した。
「無理はするな」
それだけ残して、踵を返す。
扉が静かに閉まり、
医務室には、私とセナの呼吸音だけが残った。
静寂の中。
私は、そっとベッド脇に腰を下ろし――
眠る彼の手に、恐る恐る指を伸ばした。
あったかい…よかった。本当に。
コンコン――
控えめで、遠慮がちなノック音。
「……どうぞ」
扉が静かに開く。
「ティアナちゃん……」
「お嬢様……」
聞き慣れた、やわらかな2つの声。
「よかった……ほんとうによかった。目が覚めたのね」
そこに立っていたのは、ルイとアリスだった。
いつもの余裕ある微笑みではなく、
どこか張りつめていたものがほどけたような、心から安堵した表情。
次の瞬間、ルイは迷いなく歩み寄り――
そっと、私を抱きしめた。
強くもなく、離れすぎてもいない。
壊れ物を扱うような、慎重であたたかな抱擁。
「……もう、心配させるんだから」
耳元で、息混じりに囁く。
「目を覚まさないって聞いたとき、
胸がぎゅっと苦しくなったわ」
背中を撫でる手は、驚くほど優しい。
「あなたはね、思っている以上に
たくさんの人の“居場所”になってるのよ」
そっと身体を離し、両頬に手を添える。
「だから……戻ってきてくれて、ありがとう」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。
その背後から、アリスが一歩、静かに近づいた。
ルイの腕が離れたのを見計らうように、
控えめに――けれど確かな温度で。
「……お嬢様」
名前を呼んでから、
彼女はぎゅっと、静かに抱きしめてくる。
包み込むようなルイの抱擁とは違い、
少し震えを含んだ、必死に感情を抑えた力。
「……本当に、よかったです」
額を肩に預け、声を落とす。
指先が、私の背中の布をきゅっと掴んだ。
「お嬢様は、いつも無理をなさいますから……
気づかないうちに、遠くへ行ってしまうのではと……」
一瞬、言葉に詰まり。
「……怖かったです」
その声は、
いつもの完璧で冷静な侍女のものではなかった。
「ごめんね。心配かけて」
私はそっと、アリスの背中を叩く。
「……でも、こうして触れられて、本当に安心しました。」
顔を上げると、いつもの穏やかな微笑み。
けれどその瞳の奥には、まだ拭いきれない想いが残っていた。
「ふふ。アリス、ずいぶん素直だね」
「……今だけです」
「今だけ、か」
私がくすりと笑いながらいうと、ルイが腕を広げる。
「じゃあ、今だけ特別よ。
本当にヒヤヒヤさせるんだから」
2人まとめて、やさしく包み込むように抱き寄せた。
「……私、そんなに危なっかしい?」
抱きしめられたまま、ぽつりと零す。
自分では精一杯考えて、選んで、動いてきたつもりだった。
けれど、こうして皆の顔を見ると――少しだけ不安になる。
その問いに、間を置かず。
「ええ、世界一」
ルイが即答した。
あまりに迷いのない声に、思わず瞬きをする。
「そんな即答なの……?」
「ええ。即答よ」
肩に回した腕を少し強め、くすりと笑う。
「自分の身より他人を優先して、
傷ついても笑って、平気なふりをするでしょう?」
「それを危なっかしいと言わずに、何と言うの」
「……う」
言い返せず、視線を逸らすと、
「ほら」
と、アリスが小さく息をついた。
「ですから、皆が目を離せなくなるのです」
「お嬢様は、無自覚すぎます」
「そんなに……?」
「はい」
きっぱり。
「ご自身の価値を、まったく理解なさっていません」
ルイは楽しそうに微笑みながら頷いた。
「命を懸けてでも守りたい人が増えていくタイプね、ティアナちゃんは」
「……それ、褒めてる?」
「もちろん」
「でも――」
ふっと表情を和らげる。
「だからこそ、あなたは一人で立たなくていいのよ」
その言葉に、胸の奥が静かに揺れた。
「支えたい人がいるなら、
支えられる人がいてもいいでしょう?」
アリスも小さく頷く。
「お嬢様は、守られることをもっと覚えるべきです」
「……難しいな」
そう呟くと、2人は顔を見合わせて微笑んだ。
「大丈夫」
「私たちが、逃がしませんから」
「え?」
冗談めかした口調なのに、妙に本気で。
ルイは、ふと手をとめる。
廊下の奥――
ごく微かな、けれど確かに覚えのある気配。
「……あら」
小さく微笑むと、何も言わず私から離れた。
「少し席を外すわね」
そう言って、ルイはアリスと顔を見合わせて扉の外へと出ていく。
入れ替わるように――
「……お嬢さま」
低く、震えた声。
次の瞬間、勢いよく抱きしめられた。
ぎゅっと、逃がさないように。
「テオ……」
「お嬢さま、戻ってきた……」
額を肩に押しつけるようにして、彼は何度も繰り返す。
「よかった……ほんとによかった……」
抱きしめる腕が、かすかに震えていた。
「……うん」
そう返すと、テオはさらに力を込める。
「無理しすぎ」
「頑張りすぎだよ」
顔を上げないまま、子どもみたいな声で言う。
「目、覚まさないって聞いたときさ……」
言葉が詰まり、息を吸い直す。
「置いていかれるんじゃないかって……」
「ほんとに……」
胸元に、熱が滲む。
「……怖かった」
長い沈黙のあと、そう呟いた。
私は、そっと彼の背中に腕を回した。
「ごめんね」
「……うん、許さないって言いたい」
「うん」
「自分を大事にしてって、いい加減にしてって言いたい」
「うん。…ごめんね」
拗ねたような声。
少し間を置いて、かすれた声が続く。
「でも」
「生きて戻ってきてくれただけで、もう十分だよ」
抱きしめる力が、少しだけ緩んだ。
「……でも、次は一人で行かないで」
その声は、冗談でも軽口でもない。
ただの、まっすぐな願い。
「ちゃんと、呼んで」
「俺、どこにでも行くから」
静かに、でも確かに。
「……絶対だよ」
私は、彼の背中を軽く叩いた。
「……うん。呼ぶ」
その返事を聞いた瞬間、
テオの肩からふっと力が抜けた。
「……約束だからね」
顔を上げた彼は、ルビーの瞳が揺れて、泣き笑いのまま微笑む。
「おかえり、お嬢さま」




