婚約発表 前
ティアナside
婚約発表の3日前。
ナタリーさんは、病院で眠るように息を引き取ったとのことだった。
亡くなった後にみた表情はとても穏やかで、長い役目を終えた人のようだった。
幼い頃から、私の身の回りのすべてを支えてくれた人。
母のことを知り、語れる――数少ない存在でもあった。
悲しくないわけではない。
胸の奥が、ひどく静かに痛む。
それでも私は、涙をこらえて立っていた。
立ち止まることは、きっとナタリーさんの望みではない。
前を向いて歩くことこそが、あの人が私に教えてくれた生き方だったから。
埋葬は、殿下のつてにより、身内のみで執り行われた。
冷たい土の前で、私は祈りを捧げる。
ディランは、ただ私の隣に立っていた。
「……泣かないのかい?」
「今は、泣きません」
「そうか。強いな」
少しだけ、からかうように彼は笑った。
「胸を貸す準備はできていたんだがね」
「相変わらずですね」
「はは」
私は一拍置いてから、静かに続ける。
「……じゃあ、貸してほしい時は言いますから。
そのときは、空けておいてください」
「君なら、いつでも大歓迎だ」
その言葉に、胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなった。
私は小さく息を吸い、背筋を伸ばす。
――大丈夫。
私は、進む。
あなたが見守ってくれていると、信じているから。
◇
鏡の中にいるのは、いつもの私ではなかった。
淡い光を含んだドレスが、肩から静かに流れ落ちている。
色は深く、しかし沈みすぎない――
アレキサンドライトの指輪の色に合わせて仕立てられたものだと、すぐに分かった。
「どう? 完璧でしょ?」
ルイが胸を張る。
その表情は、隠す気もないほど得意げだった。
「……すごいわ」
正直な感想が、自然と零れる。
布に重さはなく、締め付けもない。
それなのに、立っているだけで背筋が伸びる。
「指輪との相性、計算し尽くしてあるわ!
そもそもティアナちゃんがきれいだから、こんなに完璧なのよ」
ウィンク付きのその言葉に、胸の奥が少しだけ跳ねた。
「……ありがとう、ルイ」
「お嬢様とてもお綺麗です」
ユウリが一歩前に出て微笑む。
「ありがとう」
そして振り返ると、部屋の隅で様子を見ていた面々が、揃って視線を逸らす。
「……っ」
レオが露骨に顔を赤くした。
「い、いや……その……似合ってます……」
アレンも、ロベルトも、同じように目を泳がせている。
「目、合わせられないのね」
思わず苦笑すると、3人そろって咳払いをした。
「べた褒めしていい?」
テオが遠慮なく前に出てくる。
「ほんと、きれい。可愛い」
そう言って、すっと手を取られた、その瞬間。
「テオ、離れろ」
セナが即座に割って入る。
「きれいです」
短く、けれどはっきりと。
「……とても」
「ありがとう」
思わず、そう返していた。
「本当に綺麗だよ」
穏やかな声で、ディランが微笑む。
「――俺の婚約者」
その言葉ひとつひとつが、胸の中に静かに積み重なっていく。
部屋の奥。
少し距離を取った場所でレイさんは変わらず静かに立っていた。ただ、見守るように。
(……大丈夫)
ドレスの裾を整えながら、指輪に視線を落とす。
アレキサンドライトは、光の加減で色を変える。
「準備はできたかい?」
ディランの声に、私は顔を上げた。
「ええ」
小さく息を吸い、背筋を伸ばす。
(これは、肩書きじゃない)
(噂でもない)
――私が選んだ結果で、私がここに立っている。
その事実だけを胸に、
私は一歩、前へ進んだ。




