対話1
セナside
5日前
お嬢様とディランが2人で戻ってきた。
出かけてきたようだった。
その証拠に――お嬢様の左手の指には、見慣れない指輪がある。
アレキサンドライト。
夕暮れの残光を受けて、緑から紫へと静かに色を変える宝石。
……さぞ高価なものだろう。
俺がどれだけ剣を磨き、どれだけ功を立てようと、
決して贈れない種類のものだ。
そう思った瞬間、胸の奥に、ちくりとした痛みが走った。
だが――
お嬢様の表情を見て、言葉を失う。
どこか、すっきりしている。
迷いが晴れたような、肩の力が抜けたような顔。
それがなぜか――
指輪よりも、ずっと俺の心を掻き乱した。
そして翌日――
お嬢様が高熱を出したと聞いた。
ユウリから事情を聞かされたとき、言葉を失った。
湖に飛び込み、共鳴を使ったこと。
マルクと、その令嬢を助けるためだったということ。
……正直に言えば、思った。
なぜ、あの男のためにそこまでしなければならないのか。
命を削るような力を使ってまで、守る価値があったのかと。
けれど、それを口にする資格が自分にないことも分かっていた。
お嬢様は、そういう人だからだ。
誰かが苦しんでいれば、迷わず手を伸ばす。
たとえ自分が壊れると分かっていても。
見舞いに行くべきか、しばらく迷った。
騎士として行くべきなのか、
それとも……感情が混ざりすぎている自分には、近づく資格がないのか。
悩んだ末、ようやく決心して部屋を訪ねた。
心配していたはずだった。
……それなのに。
「セナ、その手」
弱々しい声で、そう言われた。
「……豆、潰れてる」
なぜ、そんなところに気づくのだろう。
自分の方が、熱も出して辛いはずなのに。
どうして、他人の手の傷なんて――
「これくらい、大丈夫です」
そう答えると、少しだけ困ったように眉を下げられた。
「だめだよ。大事な手だよ」
胸の奥が、静かに締めつけられた。
数日後。
少し元気を取り戻したお嬢様が、訓練場まで足を運んできた。
「セナの剣、きれいだね」
その一言が、思いのほか深く胸に残った。
技でも、強さでもない。
ただ“きれいだ”と言ってくれたことが、ひどく嬉しかった。
しばらく話しているうちに、顔色少し悪くなってきて。
帰り道、ふらついたお嬢様を背負った。
……軽すぎた。
思わず息を呑むほど、驚くほどに。
これほど細い身体で、
あれほどの力を使ったのかと思うと、胸が痛んだ。
途中でディランと合流し、交代することになった。
当然の判断だ。
ディランのほうが、立場も、責任もある。
それでも――
背中から伝わっていた温もりが離れた瞬間、
言葉にできない無力感が胸を満たした。
守りたいと思っても、
最後にその役目を担うのは自分ではない。
その事実を、静かに突きつけられた気がした。
けれど。
お嬢様は、少しずつ元気を取り戻している。
それだけで――
今は、十分だ。
◇
お嬢様が回復してきた日の夜。
「セナ、少し話さないか?」
声をかけてきたのは、ディランだった。
「……はい」
応じはしたが、正直に言えば――
俺はこの人が嫌いだ。
蝶の会。
宝石事件。
結果的にとはいえ、お嬢様を危険に晒した存在。
だが同時に、この人には――
逃げない覚悟がある。
それだけは、認めている。
静かな部屋。
ランプの灯りが、2人の影を床に落とす。
「セナ。きみに、聞きたいことがあったんだ」
ディランが切り出した。
「……俺も、貴方と話したいと思っていました」
少し意外そうに目を細め、殿下は頷く。
「君は、孤児院のボランティアの一件で
彼女を危険から遠ざけようとしていたね」
「……はい」
本当は、そうしたかった。
だが彼女は――
蝶の会へと、自ら足を踏み入れた。
「俺ともそういう話をしたはずだ」
「はい」
責めるでもないディランは穏やかな声で続ける。
「君は、どうやって折れたんだい?
彼女に説得されたのか?」
……言いたくない。
孤児院の件では、確かに世話になった。
だが――それだけじゃない。
「それとも……あの書類に関係があるのかな」
【多人数連携調律試験 実施申請】
俺は、静かに息を吸った。
「お嬢様と、決闘しました」
「……へぇ」
ディランが目を丸くする。
まるで面白い話を聞いた子どものような顔だった。
「それで?」
「……負けました」
「君が?」
「はい」
一瞬の沈黙。
そしてディランは、ぽんと膝を叩いた。
「ちょっとレイ。お酒を持ってきて。
これは腰を据えて聞かないといけない」
「だから言いたくなかったんですよ」
観念して、俺は話した。
お嬢様が俺を遠征に行かせ、
その裏で綿密に準備を整えていたこと。
6人がかりで――
さらに予想外の人物まで使い、
完璧に逃げ場を塞いでいたことを。
すべて聞き終えた瞬間、
「……く、くく……」
ディランの肩が震えた。
「ははははは!」
腹を抱えて笑う。
この人が、こんなふうに笑う姿を見るのは初めてだった。
「それは……さぞ見ものだったろうな」
「笑い事ではありません」
「いや、最高だ」
悪びれもせず言うディランに、思わずため息が漏れる。
「ああ……こんなに笑ったのは、いつぶりだろう」
涙まで浮かべるとは、本当に失礼な人だ。
だが――
笑いが収まったあと、ディランの声は静かだった。
「君は、悔しかったかい?」
「……はい」
「なぜだと思う」
俺は少し考え、口を開いた。
「俺は……守る覚悟があると思っていました。
でも本当は――」
言葉が、自然と零れる。
「“変わらない関係”を守りたかっただけだったんです」
その瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「……彼女は、前に進もうとしていたのに」
ディランは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに言う。
「だから君は、今もここにいる」
その視線が、真っ直ぐ俺を射抜いた。
「逃げなかった。
“並ぶ”という選択をしたんだ」
俺は、深く頭を下げた。
「……はい」
「なら、十分だ」
そう言って、少しだけ柔らかく笑う。
「セナ。
君が彼女を守ろうとしたことを、俺は否定しない」
一拍。
「だが、これからは――」
「一緒に守ろう」
胸の奥が、静かに熱を帯びた。
「……承知しました、殿下」
その言葉に、嘘はなかった。
ふと、指輪のことを思い出す。
あの宝石はきっと、
“奪う”ためのものじゃない。
変わり続ける中で、
それでも選び続ける覚悟の証だ。
(お嬢様――)
もう、守るだけじゃない。
あなたの隣で、同じ景色を見る。
それが、俺の選んだ答えだ。




