秘密1
ディランと別れて屋敷に戻ると、
思いがけない人物がそこに立っていた。
「ユリア……久しぶりね。」
「ティアナ様。ご無沙汰しておりますわ。」
――あの殿下暗殺未遂事件以来、顔を見ていなかった。
「今日は、何の用で?」
ユリアはそっと花束を抱えて差し出した。
「これをアドルフ様にお持ちしました。」
私はそれを覗き込む。
「これって……アイリス?」
「はい。今の時期には珍しいのですが、特殊な温室で育てた、貴重なものです。」
ユリアの家は、植物の新種改良でも知られていた。
「そういえば、いつから?」
「ええと……もう14.5年ほどでしょうか。父がそう言ってました」
母アイリスが亡くなってからってこと?
「それって……どれくらいの頻度で?」
「毎月ですよ。確か執務室に置かれているとのことでしたが…見たことありませんでしたか?」
気にしたことなかったけど見かけたことがあった――アイリスの花。
「私も一度だけ入らせてもらったことがありますが、『夜明けの絵画』の下に飾られていましたよ。」
ティアナは胸の奥で小さく震えを覚える。
「アドルフ様……厳しい方に見えますけど、ティアナ様のこと大切に思われていますよね。執務室の絵画もティアナ様のことをさすものだと聞いておりますよ」
――夜明けの絵画……私の名前はティアナ。
朝の光を意味する名前。
「お父様は私のことを大切に思っていたの?」
ユリアは少し微笑むように頷いた。
「アドルフ様は、私の父にそう言っていましたよ。『ティアナは頑張り屋で優しい子だ』と。」
私は言葉を呑み込み、静かに花を見つめた。
光の中で、母の面影と父の思いが、そっと揺れているように感じられた。
ユリアを屋敷の中に招きいれた。
廊下の途中 私は手元のアイリスを、父の執事スミスにそっと預けた。
それからユリアを自室に案内した。
「そうだ……ユリアに聞きたいことがあったの。」
「何でしょう?」
そして、自室の引き出しから、慎重に小さな包みを取り出す。
「お待たせ……」
「いえ、大丈夫です。」
ユリアは柔らかく微笑むが、私のの手元の包みに目を細めた。
私はゆっくりと、包みからタネを取り出し、掌に載せる。
――ナタリーさんが、私に託した種。
「この種……何かわかる?」
ユリアは慎重にタネを眺める。
「んー……タネだけだと、なんとも……」
心臓が少し早鐘を打った。
「確か…オレンジの花が咲くって……」
「オレンジ……ですか……」
ユリアは自分のカバンから、擦り切れた図鑑を取り出す。
ページは使い込まれ、文字や写真がかすれかけている。
「たぶん…これです。」
差し出された図鑑を、私は息を止めるようにして見つめる。
「ラナンキュラス……?」
「はい。幾重にも重なった花びらが、中心の雄しべを隠すように咲く花です。」
ユリアの声は冷静だが、空気には緊張が漂う。
「そして……花言葉が、『秘密』です。」
私はタネを握りしめる。
その小さな粒には、ナタリーの思いと、誰にも知られてはいけない真実が宿っている気がした。
空気が張りつめる中、私は小さく息を吸い込む。
「ごめん、ユリア。
急ぎの用を思い出したの。また、あとでね。」
「はい。お気をつけて。」
「ありがとう。」
ユリアの柔らかな笑顔を視界に焼きつけたまま、私は駆け出した。
――今は、淑女の嗜みだとか、そんなものはどうでもいい。
どうして、気づかなかったの。
走りながら、記憶が一気に巻き戻される。
ナタリーさんとの、あの会話。
ナタリーさんに会いに行ったのは、
私、ユウリ、ディラン、レイさんそしてオーウェン団長の―5人だった。
それなのに、ナタリーさんは私のことも、ユウリのことも分からなかった。
その時点で、どこかおかしかったのに。
それでもナタリーさんは、私と話している最中に、こう言った。
「……後ろの2人は、誰?」
私は深く考えもしなかった。
すぐ後ろにいたのは、ディランとレイさん。
そう、思い込んでいたから。
――でも、違う。
そこには、ユウリもいた。
本当なら、
「3人は誰?」
あるいは
「他の人は誰?」
そう聞くはずだった。
なのに、ナタリーさんは「2人」と言った。
背筋が、冷たくなる。
ナタリーさんは、ボケてなんかいなかった。
分からなかったんじゃない。
――知っていて、知らないふりをした。
秘密を隠すために。
そして、その秘密を――私に託すために。
私は胸元で、あの小さな種を強く握りしめた。
ラナンキュラス。
花言葉は――秘密。




