盟約2
ティアナside
殿下を信じる、ではない。
殿下の“言葉”を信じるのでもない。
ただ、
本音で話すと約束した、その一点だけを信じる。
殿下が差し出した本のページをめくるたび、
そこに書かれていたのは知識だけじゃなかった。
考え方、選び方、迷い方――
生き延びるための思考そのものだった。
もし私を駒として扱うつもりなら、
あんな回りくどい優しさは不要だったはずだ。
……だからこそ、厄介なのだ。
殿下は嘘をつく。
それも、守るための嘘を。
真実を隠すために、真実を混ぜる。
気づけば相手の足場だけが、静かに揺らいでいる。
それでも。
契約上の婚約者として隣に立つなら、
剣を抜くより先に、言葉を抜かなければならない。
「殿下には……?」
あのとき、私は好きではない、そう答えた。
それは本心だ。
けれど、
嫌いだとも言えない。
信用していないとも、言い切れない。
だから私は決めた。
次に殿下が嘘をついたら、
私は逃げない。
問いただす。
次に殿下が本音を見せたら、
私は目を逸らさない。
命を預けることになるかもしれない関係だからこそ、
甘さではなく、覚悟で向き合う。
――本音で話すと、約束したのだから。
その約束を破るのが殿下なら、
私は婚約者としてではなく、
一人の人間として、殿下に刃を向ける。
静かに、そう決めて、
私はユウリの待つ場所へと歩き出した。
戻ると、殿下の姿が見えた。
「待たせたね」
「いえ」
殿下と向き合って腰を下ろす。
「では、結婚について内容を詰めようか」
「……婚約です」
「婚約、ね」
殿下は小さく言い直し、こちらを見る。
「まず一つ。お互い婚約者同士として、誰にも偽物だと悟られないようにすること。
二つ。目的を達成するまで、この関係は継続すること。
これでいいかい?」
「“目的を達成するまで”と言いましたが、どのくらいの期間を見ているのですか。
あまりだらだらと長引くのは避けたいのですが」
「できれば一年以内にどうにかしたい」
「わかりました」
「他に条件はあるかい?」
「……お互いを信用できないと判断した場合は、どうしますか」
殿下が“本音で話す”と言った約束を破った時のため、それも付け加える。
「その時は協力関係は成り立たない。契約破棄で構わないよ。
それから、君の安全が最優先だ。危険だと判断した場合は、すぐに手を引いてもらっていい」
「随分とお優しいですね」
「いつもだよ?」
……どうだか。
「では、話をまとめますね」
レイさんが静かに口を開き、殿下と私の双方を見る。
「一つ。婚約者として、偽物と悟られないよう振る舞うこと。
二つ。目的を達成するまで関係を継続すること。
三つ。お互いを信用できないと判断した場合、また命の危機があると判断した場合は、契約破棄が可能である。
以上に相違はありませんね」
殿下は一拍置いてから、ゆっくりとうなずいた。
「問題ない」
視線がこちらに移る。
逃げ場のない、確認の目。
「……私も、相違ありません」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がわずかに軋んだ。
引き返せない線を、今、はっきり越えたのだと実感する。
「では――」
私たち2人が返事をしたのを確認すると、レイさんは懐から1つのケースを取り出した。
金色の装飾が施され、宝石が散りばめられた六角形のケースだ。
「では、ティアナ様」
差し出されたケースを前に、私は小さなバッグからラピスラズリの宝石を取り出す。
「ティアナ・ラピスラズリ。
神のご加護の名の下に、盟約します」
静かに宣誓し、ラピスラズリをケースの中へそっと納めた。
レイさんはそれを確認すると、殿下へと視線を向ける。
「ディラン・アレキサンドライト。
神の加護の名の下に、盟約する」
殿下はそう告げ、ポケットから取り出した宝石を入れた。
深い緑色を湛えたエメラルドが、ラピスラズリの隣に収まる。
――この国では、盟約を交わす際、自身の瞳の色、もしくは名を冠する宝石を捧げる慣習がある。
レイさんは静かにケースの蓋を閉じ、鍵を回した。
かちり、と小さな音が響く。
「これで契約は完了しました。この箱が再び開く時――それは盟約が正式に成立した時となります」
ケースは淡く光を放ち、やがて何事もなかったかのように沈黙する。
この箱が開くその時まで。
偽りの婚約者として、共に歩く一年。
ディランが小さなケースを開く。
中には、掌に収まるほどの小さな魔宝具が収まっていた。
「これを君に渡す」
ディランが手のひらに乗せると、魔宝具は淡く青い光を放ち、微かに振動する。
見るからに精密な作りで、装飾は最小限。だが、その存在感は圧倒的だ。
「魔宝具……ですか?」
「うん。通信機能を持っている」
彼の声は落ち着いているが、鋭い意思が宿る。
「こんな小さいもので」
「必要な機能だけを絞った。軽くて携帯できる。戦場でも作戦でも、俺たちの連絡手段として使う」
ディランの指が軽く触れ、魔法具が柔らかく光を変える。
その光を見つめると、言葉にできない安心感が胸に広がった。
「使い方は簡単だ。君が魔宝具に魔力をそそげば、俺のところと結びつく。声も映像も届けられる」
「……映像も?」
「もちろん。危険な場所でも、君の安全を確認できる」
小さな魔宝具を手に取り、私は軽く握る。
青い光が手のひらを温かく包む。
「これで、離れていても連絡を取り合えるわけですね」
「その通りだ。君が危険に晒されそうになったら、すぐに知らせてくれ。
何でもないときでもいい。気軽に連絡してくれ」
彼の視線が、私の目をまっすぐ見つめる。
「わかりました。大切に使います」
「それでいい」
ディランが微かに笑い、ケースを閉じる。




