思惑
昨夜は蝶の会で遅くなり、今朝はのんびりと起床。
もう昼前だろうか。
ぼんやりと天井を見つめながら、昨日の夜の出来事が脳裏をよぎる。
煙、爆音、宝石、殿下の横顔――
思い出そうとすると、頭が少し重くなった。
コンコン、と控えめなノック音。
「お嬢様、お目覚めですか?」
「んー……おはよー、アリス」
扉が開き、アリスがいつもの穏やかな笑顔で入ってくる。
「だいぶお疲れですね。少し肩でも揉みましょうか」
そう言うが早いか、背後に回り込まれる。
「うー……気持ちいいぃ……い、いたいたいたいっ!」
「お嬢様、だいぶ凝ってますね」
容赦なく力を入れてくるアリス。
「もう、もう十分ですぅ……!」
ゴリュッ、って今すごい音しなかった!?
肩? 今、肩なの??
ちょうどその時。
コンコン。
「お嬢様、失礼いたします」
「ど、どうぞおおお……!」
変な声が出た。
「おはようございます……今、カエルが潰れたみたいな声がしましたが、大丈夫ですか?」
「カエルって……主人に向かってひどくない?」
「事実ですので」
しれっと言い切るユウリ。
特に気にした様子もなく、部屋に入ってくる。
昨夜あれだけ遅くまで動いていたはずなのに、疲れた気配は微塵もない。
髪も服もきちんと整っていて、相変わらず清潔感の塊みたいな人だ。
「体調はいかがですか?」
「……その顔、ずるいと思う」
「?」
「なんでもない」
アリスが一歩下がり、にこりと微笑む。
「お食事の用意をいたしますね。少し休まれたらお呼びください」
そう言って、静かに部屋を出ていった。
自室のカーテン越しに、やわらかな朝の光が差し込んでいる。
アリスが用意してくれた軽食をテーブルに広げ、私は椅子に腰掛けた。
焼きたてのパンの香り。
昨夜の出来事が嘘みたいに、部屋の中は穏やかだ。
向かいに立つユウリが、少しだけ言葉を選ぶようにして口を開いた。
「……昨夜のことですが」
「うん」
「お嬢様は、どう思われますか」
「どう、って?」
「殿下のやり方です」
私はパンを一口かじり、もぐもぐしながら考える。
「んー……」
少し間を置いて、正直に言った。
「冷静で、合理的だったね。
宝石の被害を、これ以上広げないための判断だったし、
感情を挟めば、もっと犠牲が出ていたと思う」
ユウリは静かに聞いていたが、やがて眉を寄せる。
「それでも私は…お嬢様を“駒”として扱ったことを、許せません」
その言葉に、私はきょとんとする。
「んー……それ、ちょっと違うな」
「え?」
今度はユウリがきょとんとした。
私はもう一口パンを食べてから、ゆっくり言う。
「あれはね、あの人なりの優しさだよ」
「……優しさ、ですか」
私は頷いた。
「あの人は、冷静で合理的な判断をして…
それを、ちゃんと私に見せた」
「これが自分のやり方だって。
変えるつもりはないって」
ユウリは黙っている。
「でもね…それを見せた上で、最後まで逃げ道をくれた」
私は指でパンくずを払う。
「まだ引き返せるって…
何も知らなかった頃の私に、戻してあげるって」
「……そんな思惑が、あったとは」
ユウリは、少し考え込むように目を伏せた。
「だから、まどろっこしいんだよ…殿下はさ」
その言葉に、ユウリが小さく息を吐く。
「……そのことを、殿下には?」
「言わないよ」
即答する。
「私のこと、試したんだもん…
本音で話すって言ったくせにさ」
私は人差し指を立てて、にやりと笑う。
「だから、これくらいの意地悪はいいでしょ?」
一瞬の沈黙のあと――
ユウリが、ふっと笑った。
「……お嬢様には、敵いませんね」
朝の光が、少しだけ強くなる。
昨夜の出来事は、まだ終わっていない。
それでも私は、自分の立っている場所を、ちゃんと理解していた。




