蝶の会再び1
ティアナside
13日
再び、蝶の会の日を迎えた。
湖畔でのピクニック以来、彼と顔を合わせることになる。
あのとき私は、サーフェスの正体に気づき――
そして酔った勢いとはいえ、それを本人に告げてしまった。
軽率だったという自覚はある。
はぐらかされはしたが、追い詰めれば彼は認めた。
だからこそ、曖昧なままにはしておけない。
あの夜に持ち上がった「共闘」という話。
それを現実のものとするなら、条件も目的も、はっきりさせる必要がある。
そう判断し、私はユウリとセナを伴って、再び蝶の会へと足を踏み入れた。
会場の入り口で、思わず足が止まる。
深夜の空気の中、街灯の影が湖畔へ長く伸びていた。
「お嬢様。準備はよろしいですか?」
セナの問いに、私はゆっくりと頷く。
「ええ。いきましょう」
まずはサーフェスに会う。
話をしなければならない。
共闘の条件。
確認すべき情報。
そして、まだ掴み切れていない“何か”。
胸の奥で、言葉にならない違和感が燻っていた。
そのとき、ふと隣を見る。
「……ユウリ、少し変かも?」
仮面に隠れて表情は分からない。
けれど、手袋の端に込められた僅かな力が、妙に目についた。
ほんの小さな違和感。
それでも胸の奥が、わずかにざわつく。
「……でも、今は集中」
静かに自分へ言い聞かせる。
会場に入り、共闘の話を詰めるまでは、心を乱す余地はない。
ユウリは足を止め、肩越しに私の位置を確かめる。
その仮面の奥の瞳は冷静――だが、どこかいつもより鋭さを帯びていた。
私は無意識に彼との距離を詰めながら、意識を前へ向ける。
まずは共闘の話を、確実に。
そう心に定め、深く息を吸い込む。
夜の闇と危険の気配の中、
私は静かに蝶の会の会場へと歩み出した。
蝶の会の中は、相変わらず甘ったるい香の匂いに包まれていた。
花と香料、酒と欲望が入り混じったような、喉の奥に残る匂い。
今日は美術品の展示が主らしく、壁際には幾つもの絵画が並び、中央には宝石や彫刻が飾られている。
どれも高価で、希少で、美しい。
――けれど、不思議と心は動かなかった。
そんな中、一枚の絵画の前で、自然と足が止まる。
光り輝く満月に、必死に手を伸ばす人物。
その足元には、踏み潰された小さな紫の花。
タイトルは――
『幻想』
胸の奥が、ちくりと痛んだ。
なぜだろう。
ただの絵なのに、まるでこちらを見透かされているような気がした。
すぐ隣に立つ気配。
「サーフェス」
声をかけるより先に、彼が口を開いた。
「こんばんは、ルナ。この絵を見て、何を考えていた?」
黒髪に、金と黒を基調とした仮面。
会いたいと思っていた人物が、あまりにも自然にそこにいた。
「特に……」
そう前置きしてから、言葉を選ぶ。
「届くはずもない輝きを追いかけて、
すぐ足元にある幸せに気づかない――そんな、愚かな人かなと」
人物が踏み潰しているのは、すみれの花。
花言葉は“ささやかな幸せ”。
手の届くものには目も向けず、
届かぬ幻想だけを追い求める姿が、妙に胸に残った。
「そうだね。本当に愚かだよ」
低く落とされた声。
それは絵に向けられたものなのか、
他の誰かに向けられたものなのか。
一瞬、問い返したくなったが、やめた。
「ルナ。少し、話さないか?」
彼は絵画から私へと身体を向ける。
ちょうど、話をしたいと思っていたところだった。
「……ええ」
「では、内緒話をしよう」
人差し指を仮面の口元に添え、そう言って微笑む。
個室に通されソファへ向かい合って腰を下ろす。
目の前にいるのは“サーフェス”。
けれど、彼の正体がディラン殿下であることを、私はもう知っている。
この時間は、仮面越しの会話なのか。
それとも――本音の時間なのか。
心の奥が、わずかに緊張した。
「共闘の話をする前に、君に約束しよう」
彼は静かに手を差し出した。
「命を軽んじない。
そして、本音で話す」
一瞬の間。
「――俺と、共犯になってくれるかい?」
胸が、どくりと鳴った。
危険だとわかっている。
王子と裏の顔を持つ男との共闘など、正気の沙汰ではない。
それでも。
私は、彼の瞳から目を逸らさなかった。
「……わかりました」
差し出された手を取った、その瞬間。
ぐっと、想像以上の力で引き寄せられる。
「――え?」
次の瞬間。
どかん、と。
館全体を揺らすような爆音が、夜気を裂いた。
悲鳴とざわめき。
シャンデリアが震え、硝子が鳴る。
私は思わずサーフェスの顔を見る。
「手始めに、ここを“処理”することにした」
淡々と告げるその声。
仮面の奥の瞳には、冗談も迷いもなかった。
そこにあるのは――確かな覚悟。
「……そういうことは、もっと早く言ってほしいです!」
思わず声を荒げる。
けれど彼は、私の手を離さない。
むしろ強く握り返し、裏口へと引いていく。
逃げるためではない。
戦うための、最初の一歩だと――直感で理解していた。
甘い香りが漂う蝶の会は、
今まさに“狩り場”へと姿を変えようとしていた。
温室の方角から、黒い煙がゆっくりと立ち上っているのが見えた。
夜の庭園に不釣り合いな影が、空へ溶けていく。
「……温室の方から煙が」
それよりも、胸をよぎった不安を抑えきれず、私は口にする。
「セナとユウリは……?」
殿下は歩みを止めず、落ち着いた声で答えた。
「大丈夫。彼らはレイと一緒さ」
その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。
けれど、次の疑問がすぐに湧いた。
「……こんなことをして、本当に大丈夫なんですか?」
振り返った殿下は、まるで当然のことのように笑う。
「大丈夫、大丈夫」
その軽さが、逆に怖い。
「今日、ここに集まっている人間たちはね」
殿下は煙の立つ温室を一瞥し、声を低くした。
「もう宝石に“飲まれかけている”者たちだ」
「……っ」
「騎士団が、今日まとめて処理する」
その言葉に、足が一瞬止まる。
「処理って……」
殿下は即座に首を振った。
「殺しはしない」
そして、静かに、しかし断言するように告げる。
「宝石を壊すだけだ」
宝石――人の欲と命を喰らう、あの忌まわしい存在。
温室で起きている爆発と煙は、その“核”を破壊するためのもの。
「そのために、今日ここにまとめて集めたんだ」
囮の宴。
美術品も、酒も、音楽も、すべては偽装。
宝石に侵されつつある者たちを一箇所に集め、被害を最小限に抑えるための――冷酷で、しかし必要な策。
「……それでも」
言葉を探す私に、殿下は一瞬だけ視線を向ける。
サーフェスの仮面の奥にある、殿下の本当の顔で。
「だからこそ、君に共犯になってもらった」
その手が、再び私の手を強く握る。
「これは、誰かが汚れ役を引き受けなければならない仕事だ」
遠くで、宝石が砕けるような甲高い音が響いた。
温室の煙が、少しずつ薄れていく。
逃げる足音の中で、私は悟る。
――もう後戻りはできない。
私は、殿下の隣で、この夜の“真実”を知ってしまったのだから。




