懐かしき思い出1
ディランside
誤って俺の赤ワインを飲んでしまったティアナ嬢が、フラフラと立ち上がる。
まさかここまでお酒に弱いとは……。
ドレスに蝋燭の火がつかないか、思わず心配になる。
普段は見せない彼女の無防備な姿に、俺は圧倒される。
しかも、俺の本質をすでに見抜いていることにも気づかされる。
彼女は、俺の腕の中で小さく体を預け、穏やかな寝息を立てている。
柔らかく、ほんのり甘い香りが鼻をくすぐる。思わず視線を落とすと、無防備な寝顔に少し胸が締めつけられるようだ。
こんなに間近で、彼女の自然な姿を見たのは初めてかもしれない。
普段の彼女は、強くて意志がはっきりしている。だけど今は――小さな人形のように。
「これは一体、どういう状況でしょうか?」
レイが困惑した顔でこちらを見つめる。
「私の赤ワインを誤って飲んでしまったようだ」
「ユウリ様を呼んできましょうか?」
「せっかくのティアナ嬢との時間を、邪魔するつもりかい?」
「絶対に手を出してはダメですよ」
「そんなことはしない。これ以上、嫌われたくはないからね」
人を見境ない獣だとでも思っているのだろうか。
彼女はまだ未婚だし、傷物にするわけにはいかない。
それに、ちゃんと外堀から固めていかないと。
こんなところで信用を落としてはいけない……まあ、そもそも信用はされていないかもしれないが。
◇
ティアナ嬢に初めて会ったのは、10歳の頃だった。
伯爵家へ挨拶に行ったときのことだ。
当時のティアナ嬢はまだ5歳ほどだっただろうか。
女の子なのに、顔を泥まみれにして土いじりをし、馬の世話をし、剣の真似事までしていた。
その姿は、お転婆で頭の悪そうな子、という印象を僕に与えた。
「レイ、どうして女の子が馬術や剣術までやっているんだ?」
僕は普通に疑問に思った。
女の子なら、ドレスに着飾り、紅茶でも嗜んでいればいいはずだ。
いずれ結婚するんだ、今やっていることは何の意味もないはずだ、と。
「うーん、何ででしょうね。何か野望でもあるのでしょうか」
側近のレイも首を傾げる。
「ふーん」
まあ、どうでもいいや。
だが、何度か伯爵家へ通ううちに、拙かった彼女の剣術や馬術はみるみる上達していった。それは目を見張るほどだった。
「勿体ないな……あれが男だったら、当主になれただろうに」
ラピスラズリ伯爵家には長男のマルクという少年がいた。
あれは、ただのアホだ。
彼女が男だったなら、間違いなく当主になる人材だっただろうに、と思った。
「珍しいですね、王子が他人を気にするなんて」
そう言われたが、別に気にしたつもりはない。
「ただ、その方がマシだと思っただけだ」
ある日、父を待っている間に庭を散策していると、木剣を素振りしている彼女とバッタリ出会ってしまった。
とりあえず、よそ行きの笑顔を貼り付ける。作り笑顔も、随分と得意になったものだ。
「初めまして、ディラン・アレキサンドライトと申します」
木剣を下ろし、汗を拭う彼女。
「初めまして。このような格好で失礼致します。ティアナ・ラピスラズリと申します」
動きやすいシャツとズボン姿だったが、所作は整っていて綺麗だ。話し方もきちんとしており、礼儀知らずだろうと勝手に決めつけていた自分を少し恥ずかしく思った。
「ティアナ嬢は、剣を習っているのですね」
当たり障りのない会話を選んでみる。
「ええ、中々難しいものですね。剣を振り下ろすと身体まで持って行かれて、力がうまく入らないんですよ。やっぱり筋肉をつけないとダメですかね」
彼女は腕をまくり、握った拳に力を込める。
「剣を構えてみてください」
木剣を素直に構えるティアナ嬢。
「こうですか?」
「後ろから失礼します」
気まぐれに、彼女の後ろに回り木剣を握る。
「はい」
「まず手の位置。そして姿勢を真っ直ぐにして、お腹に力を入れて。それから重心を下に。はい、こうですね」
小柄な彼女にとって木剣は重たく、長いため扱いにくいはずだ。
剣を振れば重心がぶれて、剣先の力も分散してしまう。だからこそ、まず剣を持つ位置を修正する必要がある。
「そう、そんな感じです。じゃあ、振ってみて」
その言葉に、ティアナ嬢は真っ直ぐ、力強く木剣を振り下ろした。
見るからに筋が良さそうだ。
「す、すごいです!!ありがとうございます!」
眩しいほどの笑顔を向けられ、思わず狼狽えた。
「いえ、それより、何故剣を?」
聞いておきながら少し失礼だったかもしれないと思ったが、彼女は気にしていない様子だった。
「出来ることは何でもやってみようと思いまして。剣が扱える女性って、かっこよくないですか?」
ノリノリで木剣を構えるティアナ嬢。
「そうですね。でも、もし男だったら良かったと思ったことはありますか?」
努力しても、伯爵家に生まれたら当主にはなれない。結婚するしかない。そうなると、剣の腕を磨いても仕方がないのでは、と思ったのだ。
「うーん、確かに男だったら筋肉ムキムキになって、重たいものもいっぱい持ててかっこいいですよね!」
「そうですね……」
なんだか少しズレている気がした。
「でも、私は私だから、他の誰かになりたいとか、性別に囚われたりはしません。
私は自分の出来ることを精一杯やります。
無駄な努力かどうかは、私が決めます」
凛とした彼女の言葉を聞いてから、伯爵家に訪れるたび、つい彼女を探すようになった。
だが、その後は両親が亡くなくなり、忙しくもなりゆっくり会話をする機会はほとんどなかった。




