嵐の夜に11
私はすっと息を吸い、目の前の人物を真っ直ぐと見つめる。
「殿下は…自分の命を軽んじてるでしょ?
パーティーの時もそうですよ。罠だってわかっているくせについていくし、さっきの出来事でも同じ。
命が狙われても、不安も恐怖もない。表に出さないようにしているわけでもない。そもそも、何も感じていないでしょう」
私は殿下の足の間に自分の膝をそっと乗せ、ソファが小さく軋む。
そう、私が殿下を苦手というか、嫌いではないけど好まない理由はここにある。
殿下はちっとも自分を大事にしていない。
本当に、目の前にある石ころレベルにしか、自分の命を考えていないのではないかと思える。
「そうかもしれないね」
薄ら笑いを浮かべる殿下。
「でも殿下にも、大切な人がいるでしょう?
あなたが命を粗末にすれば、悲しむ人がいるはずです」
「うーん、どうかな。俺がいなくて喜びそうな人もいるけどね」
そして、少し考えてから殿下が言葉を続ける。
「なら、君は――もし俺が死んだら、悲しむかい?」
「……悲しいですよ」
思ったよりも、声がはっきり出た。
「知っている人がいなくなったら、それだけで悲しいです。
それが、殿下ならなおさら」
殿下は一瞬だけ、言葉を失ったように目を瞬かせる。
「立場とか、王族とか関係なく。
あなたは私に本をくれたし、助言もくれたし、見ないふりもしてくれた」
ふわふわする頭で、でも言葉だけは止まらない。
「ねえ……殿下ぁ」
少し間延びした声で呼ぶ。
「あなた、サーフェス……でしょ?」
「誰だい、それは?」
いつもの、はぐらかす声。
「見た目や声は変えられても……人の癖は、そう簡単には変えられないものですよ、殿下」
殿下は何も言わない。
だから、私はそのまま続ける。
「私、馬の見分け方も得意なんです」
ふにゃっと笑って指を立てる。
「伯爵家で所有している馬の名前、全部間違えずに言えますよ」
「へぇ、それはすごいね」
そう言いながら、殿下は自然に腕を組んだ。
――きた。
「……それですよ、殿下」
私はくすっと笑い、殿下の腕へ視線を落とす。
「人を試すとき、殿下は必ず一度腕を組んでから、人差し指で“トン”って叩くんです。無意識でしょうけど……考えを測るときの癖」
その瞬間、殿下の指が止まった。
ほんの一拍。
でも、それだけで十分だった。
「……そこまで見ているとは思わなかったな」
意味深に笑いながら、ゆっくりと腕を解く。
まるで、その癖を指摘されたこと自体が痛手だったみたいに。
「見た目や声は誤魔化せても……長年染みついた仕草までは変えられないんです」
私は、静かに言い切った。
殿下は小さく息を吐き、苦笑する。
「はは……まいった。確かに、君の言う通りだ」
一拍置いて、視線をこちらに戻す。
「さすがだよ、ティアナ嬢――いや、ルナ」
その呼び方に、もう探る色はない。
私は少しだけ距離を詰める。
酔っているから、ということにして。
「ねえ、サーフェス」
声は柔らかいのに、言葉は逃がさない。
「あなた、私と共闘しないかって言いましたよね」
「ああ、言ったね」
「……でも」
私は小さく首を振る。
「私、自分の命を大事にしない人とは嫌です」
殿下の表情が、わずかに揺れる。
「いい加減……本音で話してください」
胸元を、指で軽く押すようにして。
「それから――自分を大切にすると、誓ってください」
ふわふわしているのに、退く気はない。
酔っているからこそ、誤魔化さずに言えた言葉だった。
殿下が一瞬言葉を失い、ゆっくりと話す。
「命を軽んじている訳でないんだよ。
自分に対しては…まあ冷めているのかもね。でもだからといって諦めているのは違う」
ルビー色に揺れる瞳が、まっすぐ私を射抜く。
「俺は、どうでもいいものには手を出さない。
回りくどいのは――失いたくないものほど、大切なものほど…慎重になるものだよ。
だから悩んでた。君をどこまで巻き込んでいいのか…」
……ずるい。
そんなことを、こんな顔で言うなんて。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
「それ……本人に言わない時点で、伝わらないじゃないですか」
「だから今、言ってる」
一瞬、言葉に詰まる。
酔っているせいか、心臓の音がやけに大きい。
「……殿下って、本当に」
一歩近づいて、殿下の胸元を軽く掴む。
「人の心を揺らすの、上手すぎです」
殿下は驚いたように目を見開いてから、ゆっくりと微笑んだ。
「それは褒め言葉かな?」
「……どうでしょうね」
そう言いながらも、否定できない自分がいて、余計に腹が立つ。
(この人といると、調子が狂う……)
――そして同時に、目を逸らせなくなる。
あれ、殿下の顔がぐにゃりと歪む。ふわふわして、心が浮遊するみたい。
でも、思っていたことはちゃんと殿下に伝えた!
スッキリした!
もう何でもいいや。すごく眠い……。
もう抗えない、寝てしまおう。
そういえば、湖畔でのピクニックの予定を開けるため、連日の激務でほとんど寝ていなかったんだった。
ずるっ……なんか、柔らかいような、でも少し硬いような感触。
そして、殿下の匂いが、ふんわり漂う。
「すーっ……むにゃ……うんにゃ……」
体が勝手に沈み込む。意識がとろけていく。
「まさかの寝落ちか。君は本当、ずるいな」
殿下の声が耳に届く。少し笑っているような、驚いているような。
その声がふわふわ揺れるなか、私は微かに頷くしかなかった。




