嵐の夜に3
レイ side
そろそろ、ティアナ様の支度は整った頃だろう。
私は客室の前で足を止め、ノックをする。
「失礼いたします。お着替えはお済みでしょうか?」
「どうぞ」
中から、透き通った綺麗な声が返ってくる。
扉を開けると、そこにはラベンダー色のドレスに身を包んだティアナ様の姿があった。
――なるほど。
殿下の機嫌が良い理由も、頷ける。
「とてもよくお似合いですね」
自然と口元が緩み、私は微笑んだ。
「何から何まで、ありがとうございます」
そう言って、丁寧に頭を下げる。
立ち居振る舞いの一つひとつが洗練されていて、やはり育ちの良さが滲み出ている。
「いえ。殿下のご機嫌が非常に良いので、こちらこそお礼を言いたいくらいです」
「は、はあ……」
少し戸惑ったような、曖昧な返事。
ご本人は気づいていないが、殿下は彼女に対しては随分わかりやすい。
「お食事の準備が整ったようです。ご案内いたします」
「よろしくお願いいたします」
「ユウリ様 ルイ様 トワ様 のお部屋にもお声がけしてから参りましょう」
そう告げて、私は一歩先を歩き出す。
なんだろう。
背中というより、全身を舐めるように見られている気がする。
殿下の側近という立場柄、人の視線には人一倍敏感だ。
だからこそ、余計に気になってしまう。
「あの……あまり見られると、穴が開きそうです」
後ろを振り返り、苦笑いを浮かべる。
「失礼しました。あまりにも素敵な大臀筋でしたので」
「ぐふっ」
思わず変な声が漏れ、笑ってしまった。
まさか、そんな直球で来るとは思わなかった。
「レイさんは、殿下とはお付き合いが長いのですか?」
「ええ。幼少期より、お側で支えております」
「そうでしたか……」
少しだけ、納得したように頷くティアナ様。
歩きながら、私は横顔を盗み見る。
派手な反応はしないが、殿下の話題になると一瞬だけ表情が曇る。
他の令嬢たちとは、明らかに違う。
だからこそ――気になった。
「……殿下のことは、お嫌いですか?」
少し踏み込んだ質問だ。
だが、側近として確認しておく必要がある。
殿下に声をかけられただけで歓声を上げ、頬を染める令嬢は数え切れないほどいる。
それなのに、ティアナ様はどこか距離を取り、時に露骨に嫌そうな顔すらする。
物珍しさもある。
そしてもう一つ――殿下に対する敵意がないか。
「いえ、そういう訳では……何と言いますか」
頬をかきながら、困ったように苦笑いを浮かべるティアナ様。
少し踏み込みすぎただろうか、と一瞬思う。
「こちらこそ、失礼な質問でしたね」
「違うんです」
すぐに首を振る。
「殿下が嫌い、というわけではなくて……本心が見えにくい方なので。
こちらも、どう接していいのか戸惑ってしまうというか……」
曖昧に笑うその表情は、取り繕っているというよりも、正直すぎるほどだった。
――確かに。
殿下は本心を隠すのが、あまりにも上手い。
王族として生まれ育てば、それも当然なのだが。
「そうですね」
私は小さく息を吐く。
「長年お仕えしていますが、私自身も殿下の本心がわからないことはよくあります」
それは、側近としては致命的とも言える弱点だ。
だが、同時に――それほどまでに殿下は“殿下”という仮面を完璧に被っている。
「……やっぱり、そうなんですね」
ティアナ様は、少しだけ安堵したように目を伏せた。
そして、言葉を探すように視線を宙に彷徨わせる。
「私は……殿下を、尊敬……ではないし……」
一瞬、間が空く。
「信頼?……いや、それも違う気がして……」
珍しい光景だった。
殿下を評する言葉に、ここまで悩む人間を、私は初めて見た。
ほとんどの者は、淀みなく言う。
――美しい。
――聡明だ。
――完璧だ。
だが、それらはどれも借り物の言葉で、殿下の心には届いていない。
「私は殿下のことを、すべて知っているわけではありません」
そう前置きしてから、ティアナ様は静かに言った。
「ですが、これまで殿下が積み重ねてこられた実績と、その一貫性は知っています。
だから……もし殿下がこの国を治める立場になったとしても、きっと国は安泰でしょうね」
――やはり。
この方は、肩書きでも噂でもなく、
結果と行動を見て評価している。
殿下が、最も欲しがっていて、
そして最も得られなかった評価の仕方だ。
「その言葉、殿下が聞いたら喜びますよ」
素直な感想だった。
だが、ティアナ様は首を横に振る。
「そうでしょうか。殿下は、国王の座そのものにはあまり興味がなさそうですし……
それどころか、皮肉だと受け取るかもしれません」
その言い方があまりに自然で、私は思わず苦笑した。
――ここまで理解しているのに、
本人は“好意ではない”と思っているのだから。
「……なるほど」
私は肩をすくめる。
「嫌っている、というよりは……
殿下を“正しく見すぎている”のかもしれませんね」
「え?」
「殿下は、持ち上げられることには慣れていますが、
正面から“中身”を見られることには慣れていませんから」
それは、私自身が長年仕えてきて痛感していることだ。
ティアナ様は、少し考え込むように視線を落とした。
「……それ、殿下に言ったら怒られませんか?」
「ええ。たぶん、少し」
そう答えると、彼女は小さく笑った。
ちょうどそのとき、目的の部屋に到着する。
「こちらです」
扉の前で足を止める。
「ありがとうございました、レイさん」
丁寧に頭を下げる。
彼女が部屋に入るのをみて私は心の中で思った。
――殿下。
あなたが執着する理由は、
“好かれていないから”ではありません。
“見抜かれているから”です。
そしてそれは、
あなたにとって、何よりも抗えないことだ。




